今日で、子供達の夏休みは終わりです。まだ8月だけど、明日から学校が始まります。
今年の夏はどこにも行かず、シーパラにすら行かず、『魔王』だけで乗り切っちゃいました。ナント安上がり。
最近うちのお父さんは、また腰が痛くて、遊んでもらえないんです。でも相変わらずのアンチジャニーズで、『魔王』につきあってくれません。
さて、『魔王』を見ると、一週間かけて宿題のように考え続けるのが習慣になっちゃいました。分からないんだもん。
第8話は、花火のシーンがきれいだったんだけど、分からなかったんです。なぜに、あんなに、さわやかに楽しそうにできるの?
魔王に戻ろうと決心した時にもっと絶望感が欲しかった、という感覚の、続きの感覚で。最後だと決めてきたなら、悲しいでしょ。
だけど、思い出してみると、この人、いつも分からなかったわけです。教会でしおりさんに百合の花言葉を語る時も分からなかった。実は復讐を遂行しているその最中だったのに、さわやかだったんです。
成瀬さん、演技力ありすぎ。自分が悪魔だということを忘れて悪魔のことを話せるなんて。
でも、成瀬さんは、自分が誰だか、分からなくなってるとのことでした。復讐する自分は自分でないように感じながら行動している。芹沢へのセリフでもいつもそうです。大野くんの言うところの、病気なんでしょうね。やっぱ、人としては、壊れてるんでしょうか。
主題歌『truth』の歌詞に、「心は謎めいて」とあるのですが、常人のはしくれの私には、分からない世界に住んでいるらしい。
先日『テレビナビ』の表紙の大野くんが、左半分は少年の顔で右半分は魔王の顔、と書きました。半分ずつ、隠してみたりして、まじまじと見ています。照明の事は書きましたが、メイクも左右違うのかな、と思いましたが、中の6ページ・7ページの写真も同じ時に撮っているようで、メイクは特別なことはしてないようです。照明の効果って大きいのですね。
一枚の写真に二つの顔。二つの成瀬領のイメージが重なって、だんだん、心霊写真のように、怪しく謎めいて見えてきました。
昔、FREESTYLEと東京芸大の作品展「OS1」のことを書きましたが、大野智は自分の顔でもメディア映像的なアートをやっちゃうのでしょうか。今回はむしろ写真家さんかもしれませんが。
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