水曜日, 2月 28, 2007

再発、じゃなかったリストその2

川竹文夫さんという方がガンの患者学研究所というのをやっておられて、その中に治ったさんというコーナーがあります。治った方の体験談をたくさん読むことができます。読むだけで、元気が出ますよ。

で、私は、術後2年ちょっとの、まだひよっこなのですけど、気分はもう自分としては治ったさんの気分なんです。

けど、一応、IV期だったんですからね、立派な?ガン患者なんです、本来は。時々、あれ、ひょっとして、と、思うことがあります。けど何とも無かった、という”再発?じゃなかったリスト”を以前のブログでも書きました。

追加です。忘れないうちに。おっかなびっくりだけれど過ぎてしまえば笑い話ですが、同じような気苦労をされる方があるでしょうから。

1ヶ月か2ヶ月か前に、唇の端の近くが腫れぼったくなっていたのです。で、思いましたね、口腔がんが唇に出たんじゃぁないか、と。再発するなら手術で取った断端(だんたん)つまり奥側、と言われましたが、ひょっとして??ということもあるんじゃないか。
でも、やはり違ったのです。プロテーゼ(でっかい入れ歯)を作る時の型取りなどで、唇に傷がついて腫れていたらしいです。数日で治りました。

一週間くらい前だったか、のどがつっかえるのです。思いましたね、食道がんになったんじゃないか?。
サプリメントやセレブレックスのカプセルは、飲みにくいです。そうそうゆっくり飲んではいられないので、つかえることがあるのです。どうやら、つかえたところでカプセルが溶けて、粉がのどの皮膚に貼りつくか何かしたらしいです。もともと、食べ物がのどを通過するには10分とか以上かかるらしいですね。カプセルをどかどか入れたら、つっかえるのです。

数日、つっかえ方が強いような気がして、あれ?あれ?、と思ったのですが、きれいに無くなってすんなり普通に飲み込めるようになりました。

心配しすぎは体に悪いけど、油断しないように、という警告だと思いましょう。





がんもどき







月曜日, 2月 26, 2007

ヘルシーバレンタイン人参ハートクッキー

バレンタインデーは大切な人にチョコレートをあげる日、なのですが、チョコの食べすぎは体に悪そうですよね。

私はチョコが大好きなのですが、やはり『食べ過ぎないように』というブレーキがかかります。病気をしたという経験上も、虫歯予防という点からも。

今年のバレンタインデーは娘のチョコ作りにつきあい、お父さんのファン活動につきあってチョコ選びをしたりしただけで、自分としてはチョコの準備はたっぷりしたような気がして満足してしまっていました。うちでよく行く遊園地のガイドのお姉さんにチョコをあげたいとお父さんが言い出して、デパートのバレンタインコーナーを歩いたのです。その時に私も同じものをもらったのですけど。

それで、肝心の父さんには私はチョコをあげていなかったのですね。それを今になって娘とお父さんが一緒になって、非難轟々。そんなぁ。

少なくとも私はもう今年はチョコは十分堪能した気がするので、健康に良さそうな人参クッキーを作ることにしました。人参と、蜂蜜と、オリーブオイルと、小麦粉が材料です。すりおろした人参を入れて、ほんのり甘いクッキーができました。

参考書は、
 みうたさんの野菜たっぷりおやつ低糖・低脂肪でおいしくつくるレシピ&ヒント」江島雅歌 農文協



分量の通りに以前作った時にはタネの水分が少なくてまとまりにくかったという記憶があるので、今回はちょっとだけ水を足してまとまりやすくしました。

麺棒で延ばして、ハート型の型抜きをして焼きました。薄い人参色のハートの山ができました。

まず食べたのは娘です。「味が薄い」と言いながらも、一山食べてしまいました。お父さんも、息子も、味が薄いとは言っていましたが、順調に口の中へ。あっという間に全部なくなりました。


バレンタイン人参クッキー、ちょっと遅れましたが、これでバレンタインデーをさぼらなかったことにしてもらいましょう。

金曜日, 2月 23, 2007

文字コードの設定を直しました(検索窓)

検索窓は文字コードの設定をし損なっていました。直したので化けないはずです。今日のところはウェブ検索だけになってますが。

はるばる三田病院に行ってきましたぁ、くたびれた。歯科の先生は優しいです。入れやすいように小さめに作りました、と、ぶっきらぼうだけれど優しさの伝わるお言葉。だけど今までのよりも口の奥側が長くて、オェッとなりそう...ちょっと発音が良くなるかもしれないそうです。

ウィキペディアへの検索窓は文字化け?

下の方に検索窓をつけていますが、ウィキペディアを選択して検索しようとすると窓の中で文字が化けるようです。
化けた後でもう一度入力しなおすとちゃんと検索できたりするようですが。

ブラウザによって違うのかもしれません。ウィキペディアでの文字コードが違うのかな??と思ったりしていますが...

今日はこれから三田病院、プロテーゼ作りの続きです。ではでは。

木曜日, 2月 22, 2007

ご出勤(腰痛)

腰痛のお父さんはウソのように回復して昨日はめでたくご出勤、お昼過ぎに帰ってきました。出勤一日目としてはまずまずだった模様。今日も朝から出勤しました。

夕方会議がある、なんて言っていましたが、やめときなさいとアドバイス。入院していたんだから、申し訳は立つはずでしょ~~。リハビリも、もう端折ろうという魂胆のようなので、お医者さんのOKが出るまでは行きなさいっ、と指示。

また入院なんてされたらたまりません、わたしゃゆっくり『療養』させてもらわなきゃ。あ、いえ、子供のためにもね。

火曜日, 2月 20, 2007

春よこい



画像アップロードの練習です。

月曜日, 2月 19, 2007

がんの後の日常と、お金

テンプレートを変えてみましたが、どうでしょ。このサイトで用意されている既成のものはあまり種類がないのですが。前のは、リンクの未読と既読が同じ色だったので。そのうちに画像も載せたいのですが、徐々に練習です。

うちの腰痛のお父さん、今日は歩いて病院まで行って、リハビリを受けて、無事歩いて帰って来れました。この分ならあと数日で会社へも行けそうです。

で、早速、保険の請求をしていました。会社でかけている保険は、10万円以下の治療費だと診断書も無しで支給されるとのこと。もう1つの農協でかけている保険は診断書が必要、でも、すぐに支給してくれるようです。

病気になってみると、保険の威力は大きいです。私も、若いときにかけていたがん保険が、役に立つことがあるとは思いませんでした。でも、いざがんになってみたらその有難さは、結構本質的です。がん保険があったから、がんに立ち向かう気力もわき、どれが本当に有効なのか分らなくても色々やってみよう、と思うことができ、それを実行することができました。

癌研病院では6人部屋で、その中では私は若い方でした。それでも、やはりもう「若くはない。」自分が療養中であり、自分の夫も病気療養、という状況は、がんの後の日常としては、珍しくないことなのかもしれません。いえ、きっと珍しくはないのでしょうね。

夫の入院中の同室の方々を見て、夫はあの世界に行きたくない、というのではなく、いつかは必ずあの世界に行くことになるから、今のうちに楽しまねば、と思ったそうです。

今を楽しむお金と、老後の蓄えと、どれも必要ですが、保険がないと両方の見通しが立たなくなるという気がします。元気な時には分らなかったけれど、保険は大事です。

土曜日, 2月 17, 2007

退院しました(病院のいろいろ)

腰痛で入院していたうちのお父さん、今朝退院してきました。一応自分で歩き、階段の上り下りもOKでした。寝て暮らす分にはそう痛くない模様。無理をしなければ順調によくなってくれると思われます。

今までのブログで、大きな病院の横浜市大病院、癌研病院、国際医療福祉大学付属三田病院などの事を書いてきましたが、今回の病院はちょっとだけ大きめの、そう有名でもない町の病院です。入院病床84だったかな。たった一週間でしたが、夫は大変に退屈だったようです。4人部屋だけど、他の患者さんと全くといっていいほど会話がなかった模様。

男性の部屋は大部屋でも静かなことが多いようですが、特に今回の部屋は、夫以外の方はみんな80歳代くらいの感じで、私が聞いた言葉もごくたまに「痛い」と聞いただけ。寝たきりに近く、夫以外は皆さんおむつでした。夫も起き上がれなくて寝たきり、トイレまで歩けず尿瓶とポータブルトイレではあったので、寝たきり部屋に入れられたようです。
私は何度かご挨拶をしかけたのだけれど、反応があるのかないのか、話せるのか話せないのか、判然としない感じで、結局一度も会話はなしで退院してしまいました。お見舞いの方も殆ど見ませんでした。

夫によると、お1人は老人ホームから入院されていて、もう1人は今度老人ホームへ入る空きがあったからその面接がある、と看護士さんが告げていたとのこと。

夫は、もう分った、一週間で退院できて良かった、なんて言ってました。あの世界には行きたくない、今のうちに人生を楽しまなくては、とのこと。一ヶ月入院していたら、その世界に行ってしまうかもね、なんて話しました。

そのお隣は女性の4人部屋で、やはりご高齢の方が多そうでしたが、まだ話し声が聞こえました。こんなことからも、歳をとったら女の方が生き続けやすいのかもしれません。

金曜日, 2月 16, 2007

病院に行って、病院に行って、接骨院に行って、

今日は国際医療福祉大学付属三田病院に行きました。リハビリと、歯科です。本当は一昨日の予約だったのだけど、色々あって行けず、今日に変更してもらいました。

リハビリでは、主に首の筋肉トレーニングをしています。鬼の筋トレです。2年ちょっと前の手術でリンパ節と一緒に右の首の筋肉を取ってしまったので、補うために左の筋肉を鍛えるんだそうで、キビシ~です。鍛えておけば食べる時の『飲み込み』の弱さが改善するそうな。
でも最近、家族がみんな腰痛やら怪我やらで、私もヘバリぎみ。横になって頭だけ持ち上げるという運動をするのですが、リハビリの先生が嬉しそうに鍛えてくれるのが恨めしい。。。

歯科はプロテーゼ(上アゴ切除した後に入れるでっかい入れ歯)の作り直しです。前回は型取りが大変だった。なにせ口が1.5センチしか開かないので。始まる前に口を縦に開く練習をしたり両手で唇を引っ張ったりしていたら、担当の先生に笑われました。準備運動をしなくちゃまたあがががが、と、大変なことになりそう、と思ったのだけれど、今日は調整で、前回よりは楽でした。このプロテーゼが出来上がったら、リハビリにまた発音の練習が入ります。

片道二時間かけて三田病院まで往復した後で、お父さんのいる病院へ。腰の牽引をしてました。昨日くらいから、横になっていれば痛くないと言っていたのですが、目出度く『明日退院!』となりました。じゃ~ん。やれやれ。でもまだ起き上がって座っていられるのは2分くらいだそうで、家でごろごろの生活になるようです。私はなにやら放心状態で、病院で休憩しちゃいました。

帰ると、昨日は学校に行けなかったけれど担任の先生にもらったお手紙の効果で今日はちゃんと行けた息子が、ちゃんと自分で接骨院にも行って、戻っていました。やれやれ。

お姉ちゃんは英語の補習に行って、その後の接骨院に行ってました。実はこの人も接骨院通い中。手の骨に『ひび』が入ってます、ブログには書いてませんでしたが。我が家はみんな仲良く骨がぼろぼろ。こんなこと合わせなくたっていいのに。。。。

今日は疲れました。おやすみなさい。

木曜日, 2月 15, 2007

死のイメージを克服するということ:千の風になって(その2)

一昨日、木の上で気持ちよく寝ていた息子は、私が帰った後、他の子に飛び降りろと言われて飛び降りて捻挫(もう1つのブログに書きました)。翌日の昨日は学校へ行けたのですが、今日は休んでしまいました。

お昼過ぎのテレビに、なんと、前回書いた「千の風になって」の秋川雅史さんが出演していました(と言っても我が家はテレビがないので音声だけですが)。息子も秋川さんのお話や歌に聞き入っていました。自分の覚えた歌詞と本物を比べて確認していました。

うちの子供達がこの歌を歌い始めた時、やはり私が癌で入院、手術して、今も会社を休んでいるということが背景にあるのだろうか、と考えました。でも、それ以外にも、うちの子供達に限らず、今の子供達の回りには死が氾濫しているように思います。

毎日のようにニュースでは、様々な残虐な殺人事件が報道されます。親が子供を殺す虐待のニュース、子供が親を殺したというニュースも、繰り返し届きます。理由のない無差別な殺人の犠牲になることや、子供同士での殺人事件すらあったし、いじめを苦にした自殺も何回も報道されます。子供用のマンガや映画にも「デスノート」のようなものが現れました。製作者はただ売れればいいと思っているのでしょうか。見た子供達は、浴びせられる死のイメージに自分をどう対峙させようかと、悩むというわけでなくとも答えのない自問自答をしているのです。

上の娘は時々『小説』もどきを書きますが、自殺した子の話や家族が死ぬ話を書いていたりします。これはこの子が何か特別なのだろうか、と全然思わないわけではないけれど、娘の友達が書いている小説にはもっと過激な殺人が出てきたりします。
息子の友達グループが遊ぶゲーム機の『マリオ』は、敵と戦って負けると海に落ちるのですが、勝てないと思うと自分から海に「ジサツ~」と言いながら飛び込むそうです。皆でそれを言い合って遊んでいる。

そういうことを書くこと、言うことに抵抗感がないことが信じられない気がするけれど、日々、不意打ちに送られてくる死の情報は、まともに受け止めていたら身が持たないほどの量に達していると思います。その中でそれを悩みもせずに子供達は生きていけるようにならねばなりません。

冗談やフィクションの世界で死のイメージに耐える練習をせざるを得ないのではないでしょうか。本気で考えたら、かなり過酷です。冗談にしている子達は、本気では考えられなくても、自覚できなくても実は本当はその過酷さを知っているでしょう。でもそれを克服するには、あまりに若いです。老成して達する域ではないでしょうか。

意味が分かっても、分らなくとも、「千の風になって」の歌が多くの人々に聞かれ、歌われ、子供達にも届くことは、大きな救いとなっているのではないでしょうか。昨年末の紅白で放映された後、この歌のCDは急激に売れて、今も高売り上げを続けているそうです。求められていたものだったのでしょう。秋川さんは『あき様』とも呼ばれているとか。大いに良いことだと思います。
きっと「デスノート」は忘れられるけれど、この歌は心にいつまでも残る力を持っていると思います。殺人事件のニュースにも、死のイメージを弄したマンガや映画にも、勝つ力を持ったものが1つでも多く世の中にあってほしいと思います。

火曜日, 2月 13, 2007

死のイメージを克服するということ:千の風になって

「千の風になって」という歌を初めて聞いたのは、去年の紅白歌合戦ででした。私のお墓の前で泣かないで下さい、そこにはいません、千の風になって空を吹き渡っています、という詩です。

これを聞いた時、以前考えた、自分の死についての思いを思い出しました。死んだら自分は宇宙までばらまかれ、子供達の中にも入ったり、その他の色々なものの中にも入ったりするのだから、子供達とも供にいることができる、そう考えることはできる、と、以前のブログにも書きました。それは私にとっては以前ご紹介した柳澤桂子さんの般若心経の解釈や、ラズロー博士の著書で学んで考えつつあることでした。でも昔からそういう風に考える人がいたのですね。随分古い、19世紀の、作者不詳の外国の歌の翻訳だそうです。

娘と2人で聞いていましたが、私は密かに驚き、喜びました。到底伝えることはできない、でも、その考えが今テレビ電波に乗って、娘の前で歌われている。何も話せませんでしたが、娘がこの歌を聞いてくれているということが嬉しかった。

秋川雅史さんというテノール歌手の浪々とした歌でした。それが印象深かったのか、また、歌が話題にもなっていて他でも聞く機会があったのか、一ヶ月くらい前から、家で子供達がこの歌をよく歌うようになりました。面白がっているかのようにテノール歌手の真似をして、浪々と冗談交じりのように繰り返し歌っています。まずお姉ちゃんが歌い始め、次第に弟も歌詞を覚えました。

今朝、ゴル吉は学校へ行けませんでした。時間割が分らないからとか、疲れたから、とか言って、元気なくせに行こうとしません。いつも一緒に行く子達に時間割を聞き、通勤途中の担任の先生をつかまえて事情を話して行くように電話をしてもらっても、ダメでした。押入れに入ったり、マンガの本をめくったりする合間に、「千の風になって」を繰り返し歌っているのです。

この子にこの歌の意味がどれだけ分かっているのだろう、といぶかって、聞いてみました。

「多分違うと思うけど、死んでも心配しないでっていうこと?」
「そうだよ。」

歌の意味も、死ということの意味も、分からないままに、何かそこに自分が克服しなければならないものがあると無意識に感じたから、繰り返しその回りを回っているらしい。止まっていて踏み出せなくなって、学校へ行くという気力が起きなくなったらしいのです。

そう思った時に、電話がなりました。担任の先生からです。2時間目が終った休み時間に、上手にゴル吉の気力を持ち上げて下さいました。幸い、3時間目から学校へ行けました。

連れて行って先生にお会いした時、土曜日からお父さんが入院したということをお話しました。ナイーブな子だから不安定になっているのでしょう、と言って下さいました。よくゴル吉を理解して下さって、ありがたいです。

無事、後の授業を受けて、さきほど帰ってきました。そして、また、「千の風になって」を歌っています。そして、かあちゃんに見せたいものがある、木の上にとっても気持のいい寝床があるんだ、というのです。

近所の大規模集合住宅の広場の隅に、防災倉庫があります。その裏に、木が植えてあります。ひとかかえほどの幹に抱きついて、あちこちのわずかな瘤に手をかけ、両足で体を持ち上げ、枝のあるところまで登ってしまいました。このあたりの普通の子には登れないでしょう。ゴル吉は棒のぼりもクラスで一番早くてっぺんまで登れるのです。あぁ、あのエネルギーはやっぱり止められない、と思いましたが、それで終わりではありませんでした。

それから防災倉庫の屋根に乗り移り、屋根の上を歩き始めました。「そこは乗っちゃいけないんだよ。」「でもここからじゃないと行けないんだ。」と言って、防災倉庫の端まで来ると、その横の二かかえほどの大きな木の枝に乗り移りました。木の幹と防災倉庫は1.2メートルくらい離れています。枝は大きいですが屋根からはけっこう離れています。よくあんなところに移れるもんです。それから、あちこちの枝を確かめながら、どこだっけ、ここだ、と言って、気持良さそうに枝に寝そべりました。そしてまた、「千の風になって」を歌い始めました。

しばらくして防災倉庫の屋根の端にぶら下がって下りて来ました。私は叱るべきだったでしょうか。倉庫の屋根は傷みます。管理人さんに聞けば禁止されるでしょう。でも、叱る気になれませんでした。

千の風を感じながら、疲れた息子はそこで癒されていましたから。

明日は朝から学校へ行けますように。息子が学校へ行った後に私はお父さんを訪ねました。大分元気そうだった、と息子に伝えました。

日曜日, 2月 11, 2007

腰痛で入院(夫)

昨日うちのお父さんは、どうしても痛くてたまらないといって、なんと救急車を呼んで病院へ行き、そのまま入院してしまいました。

階段を下りることもできないし、自分では立てないというだけでなく我慢ができないくらいの痛みだからと、自分で電話をかけていました。私では口腔がん手術の後遺症で構音障害(発音がうまくできない障害)なので、電話の内容が伝わらないと思ったのでしょう。

診察結果は、急を要する病気ではなく、痛みについては我慢するしかなく、一週間くらいは"ごろごろ"していて下さい、とのこと。家ではがまんできないなら入院してもいいですよ、と言われ、入院。

昨日は、あまりに痛くて殆ど絶食、食べないと痛み止めを飲ませてもらえないと聞いてやっと小さいおにぎりを1個食べていました。座薬の痛み止めと筋肉の緊張を取る点滴というのをしてもらって、楽になったようです。

今日は、さっき行ってみたら、お昼ご飯はきれいに食べていました。ベッドの上に起き上がることができるようになったそうです。食事時だけですが。家に近い病院は通いやすくて助かります。

入院は5日くらいの予定、もっと早く退院してもよいし、治らないならば延ばしてもよい、とのことでした。大病というわけではない雰囲気ですが、治ってくれないとなかなか大変です。

昨日、おばあちゃん(義母)に報告したら、悪くなってから歩いてもかえってだめじゃぁ、と言われました。なるほど。本人は鍛えて直すつもりだったらしいですが、逆効果だったようです。

健康増進はちゃんと体の状態を自覚してやらないと、無茶をしたら逆効果ですね。

土曜日, 2月 10, 2007

腰痛(健康増進のはずが....)

先々週の土曜日に2万1千歩あるいて、先週の土曜日に1万5千歩あるいて(前回の記事)、さらに翌日の日曜日、水族館に行って8千歩あるきました。歩数はお父さん(つまり私の夫)の万歩計です。健康増進のはずが、お父さんが、一昨日から腰痛です。起き上がれないくらいひどい腰痛。

聞くと、2週間以上前から少し腰が痛くて、それを直そうと思って歩く気になったそうです。私の健康を気遣ってじゃないことは知ってましたが、中性脂肪の方を気にしてかと思っていました。中性脂肪も、健康診断で限りなく赤信号に近い黄色信号をもらっているので。

ボクは健康には気をつけないけれどガンになんかならない、なんて豪語していたくせに、ガンになった私の方がよほど健康。

整形外科に行ったところ、何も骨の異常などはないらしく、一週間くらい様子をみましょう、とのことで、痛み止めと湿布をもらいました。ヘルニアとか、ぎっくり腰とかではなく、診断名は『腰痛症』。そのまんまです。

鎌倉の山道はヤワなハイキングコースではなく、尾根伝いですが、崖を登ったり下りたり、岩を登ったり下りたりが多いのです。腰に負担がかかったのでしょう。そういえば私も"ちょっとだけ"腰が痛いっぽい。

もう三日目ですが、まだ、起き上がれないくらい痛いそうです。

土曜日, 2月 03, 2007

歩きました!鶴岡天満宮まめまき(健康増進)

先週に続いて、歩きました。先週のことは、以前のブログに載っています。
今日は、ゴル吉も連れてお父さんと三人です。ゴルリナは英語の講習があるので行きませんでした。

先週は、横浜方面から天園まで歩き、天園から北鎌倉駅へ下りました。今日は北鎌倉駅から、山へ入って天園まで登り、先週の続きを鎌倉方面へ。後半は山を下りて平地になったので、先週よりも楽でした。

行程の最後の方で鎌倉宮まで来ると、3時から豆まき、との掲示がありました。忘れていましたが、今日は節分で、年男・年女を集めて豆まきがあるというのです。やりたかったけれど、きっと鶴岡の八幡様でもやっているからと、先を急ぎました。

鶴岡天満宮まで来ると、能舞台の前に人だかり。まさに豆まきをやっていました。

さすがに八幡様、すごい人です。警備のおまわりさんや、神主さんが、押さないように、豆が落ちても危ないから拾わないように、など、盛んにアナウンスをして、人々を整理していました。めがねとか、靴とか、落し物のアナウンスがあったり、迷子のアナウンスがあったり。なかなか始まりません。

漸く太鼓がなって、豆が投げられました。「福は内」の声が聞こえました。押さないようにと言われても、どうしても前へ人が出ようとします。つぶされそうでした。ゴル吉はお父さんがガードしていたようで、つぶれなかったようです。お父さんが一袋と、ゴル吉が一袋をつかまえました。ゴル吉はさっそく食べていました。私も一かけらもらいました。一袋は持って帰り、ゴルリナとお父さんで食べました。

お宮さんの節分の豆まきに行ったのは初めてでした。八幡様は混んでいましたが、初詣ほどではありませんでした。

今日の歩数はお父さんの万歩計で1万5千歩くらいでした。健康増進です。

金曜日, 2月 02, 2007

はじめまして

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