火曜日, 9月 16, 2008

『魔王』は復讐心を乗り越える物語

『魔王』は、復讐の物語かと思ってました。大野智主演なら、その復讐の物語が終わった後、視聴者の心の中で復讐心を乗り越えることができるだろう、と、ドラマが始まる前に書いた覚えがあります。

実際は、第3話にはもう、そらちゃんのお母さんの嘆きに動揺して、魔王は人間化してましたから。お姉さんとのやりとりや、しおりさんとのやりとりでどんどん人間になっていき、成瀬は復讐心と罪悪感に揺れていました。

復讐は肯定できるものではなく、描き方は難しいです。元の韓国版の『魔王』は、復讐される芹沢直人側の方が中心的な人物だったようです。私は見てないのですが。過去の罪を悔い、正しく生きようとしていながら、復讐される、というストーリーは肯定できます。でも復讐する方は?

犯罪の物語で、犯罪者が主人公だと、一般的に、受け入れられるのが難しい。反社会的だから。

復讐する側の成瀬領を中心に据えた日本版『魔王』は、この点を誤解されている部分もあるのではないでしょうか。

ドラマの始まり方は、裏の冷酷な顔を持つ天才弁護士による復讐を題材にしたサスペンスでした。復讐をかっこよく描いているという始まり方だったと思います。そこで離れて行った視聴者もいるでしょう。でも、すぐに、ぐだぐだに迷いながら復讐を進めていく姿に変わっていくのです。

最終話、山野に刺されながら、「もう、やめるんだ」と説得する成瀬領がいました。成瀬の中では、復讐心は乗り越えているのです。「まだ、もう1人、死ななければならない人がいます」と言いながら、そのもう1人は自分なのだから。復讐の仕上げに、英雄を死なせた直人を死なせる気は失せているのです。むしろ、ここまで復讐を進めてきた自分を許せなくなっています。

最後、直人と、お互いに、許して下さい、僕のことも、あなたのことも、と伝え合って、兄弟のように寄り添って死んでいました。

ドラマが終わった後ではなく、ドラマの中でしっかり、復讐心は乗り越えていたわけです。

後についていた、海でしおりさんと中西が語り合う場面も、復讐心は乗り越えられたという確認のようなものですね。蝶が二つ、仲良くじゃれあうように飛んでいました。

犯人が主人公でも、復讐心を乗り越える物語として肯定できますね。  あぁぁ、よかった。

大野くん、きっと、『魔王』を、復讐の物語として思い出すのは気が重いのではないかと思います。きっと彼の中では、復讐心を乗り越えた物語です。


『魔王』のDVDも発売されるそうですが、

「復讐の話でしょ、ちょっと、ね。」

と仰る方があるかもしれません。

「ちがうよ、復讐心を乗り越える話だよ、人はいっぱい死んじゃうけど。出演者の演技が、どの役者さんもすごく上手なんだよ。涙、涙、ですよ。」

と、説明してあげてください。

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