水曜日, 9月 03, 2008

嵐 上海コンサートの意味

意味、なんて、気にしなくてもいいのかもしれないけれど。 気になってしまって。

昔、天安門事件の翌年、中国に行きました。事件の余波で、安くで行けたのです。上海にも行って都会の中国を感じた後、内陸のある都市に行ったんです。

水墨画そのもののような山と川の風景の中に、お城のような近代的なホテルがありました。ホテルの売店ではおとぎ噺のお姫様のようなきれいなドレスを着たお姉さんが、中国の物産を売っていました。

カラオケがある、と言われて、カラオケに行きました。私の他は現地の人達ばかり。かと、思ったのだけれど、実は、他の人たちは皆、カラオケに遊びに来ていたわけではなく、楽しそうに歌っていたけれど、私を楽しませるための仕事でカラオケしていたのです。気がつけば私は若い女の分際で、大層な遊興のようなことをしていたのです。

当時の中国は人民元と兌換券という2種類のお金が使われていて、外国人は兌換券しか使えませんでした。お店も、外国人が兌換券で買い物できるお店と、人民元で買い物できるお店は別でした。『いいもの』は、兌換券で買えるお店にしか置いてなかったのです。

ガイドさんは親切だったけれど、露店などでおみやげなどを売っている現地の人には、私を近づけてくれませんでした。外貨に近い値打ちの兌換券を、政府が認めている兌換券を使うお店以外で使わせてはいけなかったらしいです。外国人は特定の店でしか、買い物ができなかったのです。

夢のお城のようなホテルで、白雪姫のようなフワフワのきれいなドレスを着たお姉さんがお土産を売っているのは、外国人のための、現地の人たちとは隔離された世界だったんです。

ガイドさんの目を盗んで、私はホテルの回りに散歩に行きました。

ホテルのすぐそばに、貧しい暮らしがありました。

泥水がしみ込んだような服を着たおじさんが、私に向かって手を伸ばしてきました。無言だけれど、何かをくれ、と言おうとしているようでした。苛立っているような、怒っているような表情で、ブルブルと手を震わせていました。

私は何もできずに、ただ引き返してきました。

実際、あの人は怒っていたのだと思います。彼の暮らしと、ホテルの中の別世界の暮らしとの違いに。

あの時に私が学んだのは、中国が抱える貧富の差が大きいということと、中国が共産主義の国だということです。

ツアーガイドさんも、ホテルの従業員も、お店の売り子さんも、中国では国家公務員だったんです。国の方針として、外国人は現地の人の中には入れず、国の枠の中に外貨を落とさねばならなかったのです。

もう、あれから、18年も経ちました。上海はあの頃よりもさらに華やかになっているのだろうと思います。内陸部も、あのころよりはずっと経済が発展していると思います。だけど多分、その両者の差は、同程度か、ひょっとしたら、かえって大きくなっているのかもしれない。

天安門では、女神像が民主化の象徴として人気を集め、逆に政府当局の反感を買ったということでした。

今、18年(天安門事件からは19年)経っているけれど、北京ではなくて上海だけれど、嵐はコンサートをやって、大丈夫なのかな。

そりゃ、大丈夫のはずだと思います。オリンピックだって、無事に終わったのだから。

だけど、オリンピックも、無事に行われた陰では色々な不安材料を乗り越える努力がなされたらしいです。あまり知りませんが。

まだ、あの国は、完全に自由な国じゃない。今も共産主義だし。

Arashi Around Asia の意味。結構、大きいものであり得るかも。

嵐というものは、『自由の女神』とは違うから。欧米じゃなく、アジア同士だし。何といっても、嵐だし。

嵐は、上海だけでなく、いつかは、広い中国の他の色んな都市でも活動ができる人たち。それだけの人間力を備えていると思う。

中国の方たちにとっても、嵐の魅力は大きいものであり得ると思います。よく知らないけど、全然知らないけど、上海コンサートは上海に嵐ファンが居て下さらなければ、企画されないんだろうし。

昔行った時の上海でのホテルでは、ルームメイキングをして下さった若い女性と話をしましたが、その時、彼女は台湾(香港)の歌手の王傑という人を教えてくれて、王傑のラブストーリを一生懸命に語ってくれました。

だから、どこの国でも、素敵な男性アイドルに憧れる女の子はいるわけです。嵐だって、人気がでないわけないですね。

おっかなびっくりだけど、申し込んでみよう、アジアツアー。

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