火曜日, 1月 13, 2009

10年越しのつながりの年賀状

今朝も嵐を通勤バスで聞いていて、涙がうるうるして、色んな事を思い出していました。その中で、特別に嬉しいと思った年賀状の事がありました。

今の家に引っ越してくる前、前の職場が遠かったので、子連れ通勤をしていました。娘が年中さんの頃です。

当時の住まいの近くの保育園に預けたら、朝夕の延長保育を利用したとしても、預けてから出勤し園が閉まる時間にお迎えでは、勤務時間が足りなかったんです。そこで、会社の近くの保育園に預けました。会社の近くの保育園まで娘を連れて来て預けてから出勤しました。夫と私と娘と、毎日3人で通勤電車に乗りました。

朝の横浜駅の乗り換えは、大変な混雑です。でも決死の覚悟??でえいやっと、夫婦二人で娘をガードして、結構無事にいつも乗り換えることができました。電車もかなりの混雑でしたが、朝夕は座席を折りたたんで全員が立って乗る車両があり、その車両は比較的すいていたのです。折りたたまれて狭いでっぱりになった椅子の上に娘を座らせてガードして、娘も結構ゴキゲンに通園していました。

毎朝同じに電車に乗るので、いつも同じに乗り合わせる方たちがありました。泣くわけでもなく騒ぐわけでもなかったと思うのですが、おしゃべりするのがうるさいと思われたようで、「迷惑だから静かにさせろ!」と叱られたこともありました。でもそれは一度だけで、特に、いつも一緒になる通学の高校生のお兄さん、お姉さん達に、娘はとてもかわいがってもらったのです。

そのうちの或るお兄さんが高校を卒業される時だったと思います。お友達と二人からということで、娘は大きなくまさんのぬいぐるみを頂きました。

それから、毎年娘に年賀状を頂くようになりました。一度は、ピアノの発表会がある事を書いたら、二人で発表会を見に来て下さいました。

毎年年賀状を頂いても、娘の方は記憶も薄れ、最近は返事を書くのが乗り気でなくなったようでした。お母さん書いてと言われ、家族の年賀状は連名ですし、私が書くようになりました。

お兄さんは大学生になり、やがて卒業されて、就職ができなかったと書いてありました。毎年必ず頂く年賀状に、返事を書いたものかどうか私は迷うことがありました。このお兄さんはどんなつもりで毎年年賀状を下さるのだろう、といぶかりました。年に一度の年賀状以外のお付き合いはなく、娘もそれなりに大きくなり、取り越し苦労ですが、親としてちょっと警戒してしまうところもありました。が、娘を好意的に思い出して下さるのは有難いには違いなく、一応書いた方がいいだろうなぁ、と、私も書いていました。

今年、頂いた年賀状に、お兄さんが結婚されたということが書いてありました。そして、あの電車での思い出がご自分にとって貴重なものだったと書いてありました。

良かったです。お兄さんが幸せを捕まえることのできる方だったということが分かって、私はホッとしました。嬉しく思いました。お兄さんにとって、幼い頃の娘や、娘を連れて通勤する私達夫婦が、どんな意味があったのか、分かりません。でも、毎年毎年頂いた年賀状で、私達が分かる以上の何かの意味をお兄さんは抱き続けてくれていたのだと分かります。

もう、10数年前のことになります。有難いと思います。

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