水曜日, 10月 31, 2007

休みが無いのはきつい(病み上がり女性エンジニア生活)

10月も終わりとなりました。今月の休みは、2日半、かな。

年休が当初言われていた日数の半分になってしまったので、最近はだいたい毎日会社へ通っています。疲れてきました。短時間勤務ではあるのですが。

会議の2時間がもたない。

月の変わり目には、休暇の申請をして勤務内容の登録・確定をします。勤労部から年休日数を大幅に間違えて多く言われていたので、何か救済策はないのかなぁ、

無いだろうなぁ、

と思いつつ、上司に聞いてみました。が、

やはり、無いようです。      やっぱりね。「勤労は平謝りに謝ってた」とは言われましたが。

そう聞いてもあんまり嬉しくないです。

休暇申請をしなければ。

自分の特許の審査対策を考えていたら、せっかくの短時間勤務なのに気がついたら45分も多く働いてました。息子の「はまっこ」(放課後プログラム)のお迎えには間に合ったけど、夕飯の買い物をする時間がなくなってしまいました。

無益に忙しくしているのかも。自分の特許の対策、業務として認められるのか不明です(でも他の人にとっても雑用だし、私がやるしかない。)

月曜日, 10月 29, 2007

特許は会社のもの、だけど。(女性エンジニア生活)

病気休職する以前に書いていた特許の後処理が、わらわらとやって来ています。

特許を書くと、そのつど、この特許の権利を会社に譲渡する、という誓約書を書きます。発明者は従業員でも、出願者は会社です。

それは寂しいようでも、良い所もあります。書いた後の出願処理は大変なのですが、それは会社が面倒見てくれるのです。

下の子を産んで育児休職を取った後、復帰したら、産休前に出していた特許の国内出願、外国出願が私が居ない間に進んでいて、まるで『もう1人の子供』がちゃんと育ってくれていたような気がして、嬉しかったものです。

今回の3年ほどの休職中にも、それまでに出していた特許の面倒は、事務処理は特許部がやってくれて、技術面は上司や同僚が見てくれていました。私のところには時々、登録の報奨金が(本人は何もしないのに)振り込まれていました。額はちょこっとですが、何だか、ラッキーでした。

不出(出願見合わせ)になるものもあります。出願しても、何度も審査のやりとりをして、登録までには何年もかかる事が多いです。拒絶になるものもあります。大抵、似た様なものを既に誰かが出していて、権利になるかどうか審査されるのです。

半期に一件以上のペースで書きます。だから、審査処理中の案件はどんどん増えます。これが、この職場からもう降りたいという理由の一つでもあります。普段の仕事以外に、以前出した特許の面倒を見るだけですっごく忙しくなるのです。すごく時間を取るのに、通常業務の課題に含まれない雑用みたいな位置づけなんです。とっても、やってられない。

もう、この開発競争から降りようと思っているので、今後自分で特許を書くことはないかもしれません。でも、今までに書いた特許の処理が、復帰2ヶ月ともなると、やってくるようになりました。

上司や同僚にやってもらっていたけど、『権利化は厳しい』という時のぎりぎりの粘りはやはり書いた本人ほどのものは期待できないようです。当たり前かも。

息子が生まれた時の記念の(?)特許の米国出願も、実は未だに審査が続いています。ここまで時間がかかるのはいい特許じゃないという事なのだけど。それを含め、その後のいくつかのもっと大事な特許が、私の手に戻ってきました。やっぱり、『よそ』へ行こうかとしているとしても、私が面倒見るのかな。会社のものなのに。

私の手に戻せたという点では、この職場に一旦は戻った価値があったかもしれません。何だかやっぱり嬉しいです。

武士道と『硫黄島からの手紙』

明治の頃、新渡戸稲造がアメリカで『武士道』を書いた時、ルーズベルト大統領は感銘を受けて、回りにも配って薦めるほど絶賛していたそうですが。クリントン・イーストウッド監督はこの本を読まなかったのでしょうか。

映画『硫黄島からの手紙』の栗林中将の台本は、いかにもアメリカ人が書いたセリフ。実際にそうであったであろうというイメージから、かけ離れています。

ニノが演じた西郷は、パン屋さんだったから、武士道的な傾向が感じられなくても不思議ではありません。でも、いくら、アメリカ帰りの人でも、訓練を積んだ中将という人が武士道っぽい部分がないわけはない。特に、子供への語りかけを中心とした独白の部分は軒並み、日本人の軍人さんの背景を無視しているようで感覚がずれています。清明さも無くて、当たり前に神社に参った経験がない中将を描こうとしたかのよう。

軍人さんを肯定するわけでも、戦争を肯定するわけでもないけれど。武士道を語る時、前回の戦争の事は苦い後悔と共につきまとってしまう。結局避けては通れない。

アメリカでもルーズベルトのような優れた指導者に高く評価されたはずの武士道が、高い評価の映画の中の重要人物で完全無視されている。歴史を考える上で重要な素材であるのに。

しいて言えば途中で自決した人たちは武士道ぽく描かれていたかもしれません。けれど、死に急ぐのは本来の武士道にとっては犬死にで肯定されない。生きて本務を全うするよう命じた栗林中将の判断の方が本来、武士道的なのに。大事な部分をアメリカ的なメンタリティーに飲み込もうとしているかのよう。

日本の歴史の理解にはまだまだ、乗り越えなければならない『よじれ』があるようです。

土曜日, 10月 27, 2007

台風の日は嵐:硫黄島からの手紙

外は台風20号でビュービュー言ってます。外に出る気にならないので以前からの懸案であった、映画「硫黄島からの手紙」のDVDを見ました。

午前中に一度見て、部活から帰って来た娘と一緒に、午後にもう一度見ました。

午前中見た時には、息子が何かと言葉を挟むのでセリフを聞き取れず、2回目見て漸く筋の詳細を理解しました。戦場もので、小声の会話が多いのよね。

ニノ(嵐の二宮和也)の演技が高く評価されています。ハイ、うまいです。

嵐にファンレターを書いたのですが、返事が来ません。ていう話をしたら、娘によれば、本人達に届く前に事務所でチェックされて、本人達に届くのは1ヶ月くらい先なんですって。

ありゃぁ、それじゃ、本人達には届かないかも。。。。。。ヘンなファンレターは除外されちゃうのかな。

水曜日, 10月 24, 2007

組合、部長(続き)、ワークライフバランスはどこへ?

組合に行ってみました。色々話してみました。

特許の仕事をしながら今の勤務地に居ることで問題になるポイントは、結局、『労務管理』ということらしいです。管理しないわけにはいかないらしい。上司の目の届くところにいるか、上司が居ないならば上司を作らないといけないそうで。

暫く前には『ワークライフバランス(仕事と生活のバランス)』とか、『ワークシェアリング(仕事を分け合う)』とかを、盛んに言われたのだけれど、

「あれはどこへ行っちゃったんでしょうね」ですって。全然言われなくなったそうで。在宅勤務なども上司の目の届かない勤務ですが、一時期は言われたことがあったけれど、労務管理ができないというので原則消えたらしい。今はむしろ『雇用の確保』が問題で、定年退職後の雇用延長が組合の主な課題のようです。

早々に勤務形態の内容が変わる(バリエーションが増える)ことはあまり期待できないようです。でも、管理部を交えて今度話し合いをしてくれることになりました。



他方、部長が「昨日の続きだけれど」と言って、別の仕事を持ってきてくれました。今の勤務地で、別の部の仕事で、以前の私の仕事と関連のある仕事。私も昔から知っているB開発の仕事で、今までの仕事よりそうそう楽なわけじゃない。部長もそれは分かっていて今まではっきり出さなかったものですが、私が勤務地にこだわるので、改めてB開発の部長と話してきてくれたらしいです。

でもそこのメンバーも相当ハードワークをしているはず。それこそ私に『役』がついちゃってるし、経験がある部分もあるし、今でもそこの人から敬語使われちゃっています。中途半端にはできないのに思いっきりやるつもりはないから、他の人からはどうしても相当な不満が出るでしょう。

まぁ、B部長が私を引き取ってもいいと思って下さったというのが分かったのは、有難かったですが。ここでやるならそういう仕事しかない。らしい。

管理部も仕事を探してくれるという話だったのだけれど、「何にも来ないよ。冷たいもんだよ。」だそうで。
部長は管理部にも組合にもとっても否定的みたい。

この部長は私が米国勤務した時に一緒に赴任した人で、その時の管理担当の人はホントひどかった。あれが部長のトラウマになっているのかな。あの時は組合も何もしてくれませんでした、確かに。

だけど、私が3年も休んでも、ぽいっ、とクビにはならなかったのは組合員であったお陰です。どこと話すかと言って、話す場所はやっぱりまず組合。組合から言ってもらったら部長も動き易くなるということも、あるかもしれません。

なんて話をしながら、特許調査の仕事はやってます。だいぶ慣れてきました。

金曜日, 10月 19, 2007

サイモントン癌療法の10の原理:その6

サイモントン癌療法の10の原理
"The Ten Tenets of The Simonton Cancer Program"


どこまで訳したっけ、と忘れそうになるくらい、久しぶりです。続き、行きます。


6. Harmony is central to health - balance among the physical, mental, and spiritual/philosophical aspects of being. This extends to relationships with self, family, friends, community, planet, and universe.


6.調和が健康の中核である。つまり人間の、肉体と、心と、精神的/哲学的な側面の間のバランスである。この調和の範囲は自己と家族、友人、地域社会、惑星、そして宇宙との関係へと広がる。


==

サイモントン癌療法10の原理の訳の続きです。

10の原理 その1その2その3その4その5は、


1.我々の感情は、健康と病気(癌を含む)からの回復に大きな影響を与える。感情は免疫系やその他の治癒の仕組みの強い原動力である。

2. 我々の考えや態度は、我々の感情に影響を与え、それによって我々の健康と治癒の仕組みに影響を与えている。

3.我々は自分の考え方や態度に大きく影響を与えることができる。それによって我々は、自分の健康に大きく影響を与えるように、自分の感情を形成することができる。

4.考え方、態度、感情へ影響を与えるやり方は、このプログラムで与えられる様々な用いやすい方法によって、すぐに教わることができ学ぶことができる。

5.我々は皆、肉体的な、心理的な、社会的な、精神的/哲学的な、存在として活動している。病気である人、その人の家族、地域、文化の個別の必要性に注目した上で、これらの側面に本腰を入れて取り組み、その広い文脈における治癒を目指さなければならない。





でした。

5までで、考え方や態度は治癒に良い影響を与えるように変えることができ、それは肉体から精神、哲学まで含めた、広い文脈での考え方・態度の深い意味での変革である必要がある、と述べました。
その6では、その変革の後、肉体から精神までの調和が得られ、この調和は社会から宇宙まで広がる、と述べています。そういう調和が、健康の中核である、と述べています。

そんな調和が得られたかどうかは分かりませんが、病気になってから、命や、地球や、宇宙について、随分と考えました。癌と言われて死について色々考えると、自分がこの星の上に生まれたこと、宇宙の摂理によって生命という不思議なものが生まれ、自分や地球上の他の生命が生かされていること、などについて、考える傾向が強まります。全員ではないかもしれないけれど。サイモントン療法のカウンセリングではそういう方向へ思考を促してくれます。

そうすると、安心できるようになります。

自分が病を得たことも、死でさえ、宇宙の摂理の中にあります。宇宙の摂理は地球の上に生命を生み出してくれましたが、単細胞生物から始まった私達は、ここまで進化することができました。結局、生命は良い方へと導かれて劇的に変化してきたのです。大局的には、宇宙によって我々は愛されているんじゃないでしょうか。

ちゃんと勉強しているわけではありませんが、ヨガや古代インド哲学では、息をすることによって宇宙とへその緒でつながる、と考えるそうです。母の胎内で守られていた時、へその緒から呼吸し、命を営むために必要なものを得ていました。胎内から出て肺で呼吸するようになった今は、息をすることによって母なる宇宙に繋がっているのです。で、ヨガでは色々な呼吸法が、中核的なレッスンになっているそうです。私はやったことないんですけどね。

社会や宇宙については、それぞれの地域や文化に応じて、それぞれに考え方があります。そこも含めて本腰を入れて考えましょう、とサイモントン療法では言っています。

自分、家族、社会、地球、宇宙、などが、全部調和していたら、ストレスはないでしょう。なかなかそうはいかないと思いますが、癌になる人は調和を取り戻すよう考え直してみると、良い方向へと何かが大きく変わるかもしれません。






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年休は少ない

復帰する前に確かめた時、年休は42日ということだったのですが、間違いだったんですって。

『前年度からの繰越し』が21日あって、今年の分とあわせて42日、9月から3月まででそれだけ使える、という説明だったのですが、繰越分はゼロの間違いだそうです。 で、今年使える年休は、21日。   そんな、今更。

うちの勤労部が間違えて、上司も間違ったことを言っていたわけですが、何と、本社の勤労にも確かめた上でのことで、本社の勤労部も間違えていたんですって。

既に、9月から今までで、10日ほども使ってしまいました。

残りを使い切ってしまったら、また繰り越し分がゼロになってしまいます。来年は丸々1年あるのに、21日しかなくなります。勤務地だって遠くなるかもしれないのに。

できれば、今年の残り分10日ほどは、全部来年度に繰り越したい。でもそれでは今から3月末まで休みゼロということに。むりむり~~。

でも、勤労担当さん、平謝りでした。本社も間違えていたんじゃ、彼が間違えるのは無理も無いのですが。

私みたいにいっぱい休んで復帰する人間は、余ほど珍しいんでしょう。でも、しっかりしてほしいです。

火曜日, 10月 16, 2007

復帰できない人

復帰して2ヶ月目です。だいたい一ヶ月おきに、上司と産業医の先生と、勤労担当、総務担当の方々と、復帰後の調子について面談があります。

まぁ、ぼちぼち、ってことで、今しばらくは今の調子で、今の勤務地で短時間勤務でやりましょう、ということになりました。

でも、上司は、いずれ私を『遠い職場』に移動させて、特許業務につかせたいと思っているのです。私は、通勤が長いのは対応できない、と当初から言っているのですが。
特許業務をやるからには、勤務管理上の安全責任などからも、特許部隊の場所へ勤務地を移らねばならない、というのが上司の主張。

「当初から言っているように、できません」と言ったところ、「あんまりそんなに言っていると、先方からも、復帰はできない人だと思われてしまうよ」って言われちゃいました。

通勤が遠い人はいくらでもいる、家を買ったとたんに転勤を命ぜられる人もいる、昔は男女の役割分担で、女の人は外では仕事をせずに家のことをやったけれど、今は世の中が変わって女性が家のことも仕事も両方やろうとしたら、両方の仕事の量は変わらないのだから絶対無理は出る、それは皆やっているのだからそれを理由に、できないというのは通らない、

と、熱弁をふるわれてしまいました。

それでも、できないものはできない。できている人も居るかもしれないけれど、それはおばあちゃんが家事をやってくれるとか、家政婦さんを雇うとか、特別な条件を備えている場合。普通に健康な状況でもできないから、わざわざ今の職場の近くに引っ越したのです。無理にやろうとして削れる部分は、私の食事の時間しかありません。

どうやら、上司は私の夫に家事をやらせたいのかもしれないけれど。病気になる前の一時期はそんな風にもなってましたが、もう、やりたくないです。彼も腰痛持ちだし。

家庭の事を度外視して仕事をするような復帰をしなければならないのなら、復帰できない人というのはその通り。

今の勤務地でも、『思いもしないような仕事』(?)ならあるらしいです。まぁ、特許調査の仕事は、出来すぎの良い条件。私のキャリアが生かされるというのはその通り。それをやらせようと言って下さるのは有難いけれど。

まだ、数ヶ月は決定を猶予して貰えるようで、時間をかけて体力を戻しながら検討しましょう、ということになりました。

日曜日, 10月 14, 2007

平和な日曜日/会社のこと(嵐)

今日は、お父さんと息子は知り合いのバーベキューへ。

娘は部活へ。

私は、1人でゆっくり、ランチしました。嵐にファンレターを書きながら。

嵐のコンサートにも行ってみたいけれど、ファンクラブに入らなければチケットも取りにくいらしいので、ファンクラブにも申し込んじゃいました。

会社で嵐の話をしたら、「若いですね~」なんて、感心されたような、バカにされたような。「僕が嵐を追っかけてたら変に思われちゃいますよ」ですって。最近は男性ファンも多いのに。

でも何度か話しているうちに、そう言っている本人も、バラエティーでしょっちゅう嵐を見ていることを白状しました。「オレ、結構知ってますね」ですって。
彼は10年後も製品化されるかどうか分からないような、将来技術の開発をしています。上司に絞られているけれど、とても純朴で良心的ないい人です。今までの経験でいうと、ああいういい人ほど、うちの職場では結婚しない傾向が強いです。仕事疲れが見て取れますが、昼休みも仕事。嵐の話題でほぐしてあげなければ。

木曜日, 10月 11, 2007

研修の友は嵐/特許調査の仕事

今日は、特許関係の研修でした。久々に都内に出ました。

ホント、携帯オーディオプレーヤーの嵐に救われました。延々と乗る電車も、ちっとも退屈せずに過ごせたし、研修中の休み時間も、昼食の間も、嵐の曲を聴いているだけで思いっきりリフレ~ッシュ! 小さい音量で聞ける、音がいい、軽い、沢山の曲を入れられる、操作が簡単。苦になる部分が全然なくて、リフレッシュ効果抜群。これ、絶対に、健康にいいです。

今日は特許調査の研修だったのですが、ラクな仕事に替わりたいという私に上司が紹介してくれただけあって、エンジニアの移動先には本当に良い分野かもしれません。

特許を書くことを使命としているのはエンジニアで、特許部門はそのサポート部隊です。そのサポート屋特許部門の中でも権利化分野や係争分野はまだ花やかな方らしく、特許調査はこの権利化などをさらにサポートする分野らしいです。
つまり、エンジニアの競争の表舞台に比べて、裏方の裏方という、地味な分野。しかも今後は知的財産の重要性は増し、特許を活用する風潮は強くなる見込みらしいです。

しかも、内容が分からなければ調査は困難なので、元エンジニアという人が主に活躍しているらしいです。調査技術自体もノウハウ的で専門性が高い。なので需要が高く、私のような病気上がりにまで来て欲しいというくらい、人手が足りないようです。定年退職後も、特許系関連会社に移ったりして、さらに頼まれて調査の仕事を続ける人も多いとのこと。そんなに先までやりたいとは思わないけど、必要に迫られた時の保険にはなりそう。

エンジニアで移動先を探している方、特許調査はよいですよ。

今日は90人くらいが研修に来ていましたが、ざっと見渡して女性は一割強といったところでした。特許専門の人と、技術系の人とが半々くらいだったそうです。きっとあれでも女性は増えてきたところなのだと思います。一時期の就職難が去って、うちの部署でも最近は新人さんも増えています。技術系を目指す女性も、数年表舞台で研鑽して、特許調査とかに移動するのも良いコースかもしれません。

そうと知ってたらもっと早くに移ったんだけどね。

月曜日, 10月 08, 2007

葉っぱさん
















MLで、葉っぱさんへのカードをご遺族へ送ろうということになりました。

この写真にメッセージをつけてみたら、葉っぱさんにぴったりだと言われました。

そんな風に言われると、ますます悲しくなっちゃいます。

バラの花言葉は、「美・心からの尊敬・愛の吐息・恋愛・満足」だそうです。

ただ賢い、勤勉、優しい、だけでなく、ユーモアも、行き届いた心配りも、持っていた葉っぱさん。

理想へ向けて、ひた走った葉っぱさん。生き急いで、神様に召された葉っぱさん。

葉っぱさん、さようなら。

土曜日, 10月 06, 2007

勝ってはいけない:女性エンジニアと職場その2

職場に、上司との関係が悪くなっている女性がいる、ということを書いたのですが、もうちょっと補足。

若い女性エンジニアでここを読む人がいるかどうか分からないけど。ひょっとしたらエンジニアでない人にも参考にしてもらえるかも?

仕事をしていて、上司に認めてもらえない時に必ずしも、女性だから、っていう理由ではない場合もあると思うんです。男性でも、認めてもらえない人も多いし、認めてもらえない時期もある。

日本は年功序列だから、若いときには下積みで、安い給料で沢山働きます。で、そんなに働いているように見えない年上の人の方が、給料が多いのです。そういう状況は、男性も同じなんです。

但し、男は、そんな理不尽な状況で、今は沢山働かねばならないとしても、『大変だけれどいつか報われる』と本人も周囲も、思って働いています。

でも、結構、女の場合、報われないという場合がある。それを、実力のある(と本人が思っている)女性の場合、許せないという場合がある。それで、闘っちゃう人があります。

実は、女性エンジニアの場合、周囲の男性よりも色々できちゃうという場面は少なくないです。出来ない女性は採用されないけれど、男性は色々な人が採用されていて、普通にやっていればそれなりに偉くなっていく。

男性は色々でも普通に職場で尊敬されますが、女性は時に(世間知らずな)新入社員にまでぞんざいにされたりします。上の人の見方にもそれは往々にしてある場合がある。出来ない男ほど、男同士で負けている分、相手が女だと油断して軽く扱ってきたりします。

女の方の心理としても、『上司のくせにこんなこともできない、分かっていない』っていうのは、男同士の場合よりも許しがたく感じるというのがあるのかもしれません。

だけどねえ。やはり社会のルールとして、男同士でも、表の態度としては、部下が上司に勝ってはいけないのよね。まして、女対男で男の上司に表立って闘って勝とうとしていたら、チームワークが取れるはずはありません。陰で自負心を持つのはいいと思うんだけど。

なまじ、今の評価は『成果主義』ということになっていて、論文や特許や工場対応は明らかな不満の理由に挙げられます。で、じゃまされ(ると思ってい)たり。でも成果主義は機能していると思えないです。

成果が出ていない部署の上層部と、『私はこんなに力がある、やっている、もっと出来る』と主張する部下の女性とが関係を悪くしているのは、両方にとって残念なこと。だけど、出来ない上司の方は多分変われない。女性の方は、自分が正しいと思っているからやっぱり変わりそうにないのですが。

やはり、状況を見つつ、「大変だけどいつか報われる」と思って、ケンカはせずに粛々と仕事をする事はある程度避けられないです。 大変さの度合いの違いはあれ、男だってそうしているんだし。

癌とは殆ど関係ないですが、無理に言えば、職場のストレスは健康に悪い。職場の対人関係はとっても大事です。

エンジニアに限らず、色んな職場で、晴れて採用された女性は普通の男性社員よりも出来る部分が多い、ということは日本ではまだまだあると思います。みんな、ハッピーにがんばろ~~。

金曜日, 10月 05, 2007

女性エンジニアと職場

私は女でエンジニアなのですが、身近にあります、様々な問題点。

幸いなことに私は雇ってもらえましたが、『女だから』という理由で、就職できない女性も多々ありました。女子学生が見学に来て、部長から「女性だから採用しないけれど、失礼のないように案内してあげて」なんて言われたこともありました。

幸いなことに職場ではそれなりに評価してもらってたかと思いますが、思う評価をされずに不満をつのらせる場合もあります。男の後輩がどんどん追い越して行くと言っていた女性が、やっと昇進してたので、先日話してみたら、「年数的に今後次の昇進を絶対にしないようなタイミングでやっと上げてくれた」そうな。
対抗意識が強くて自負心やこだわりが強いと、上司との関係が悪くなって、仕事をすればするほど返って評価してもらえないみたい。

うちは民間会社の研究開発組織としては女性は多い方だと思います。学会などでよその女性に聞いてみると、よそはうちよりももっと女が仕事をしにくいところが、多いらしい。うちはこれでも、女が働きやすい方らしい。

私も海外派遣もしてもらったし、海外で子供まで産んで、学会にも何度も行かせてもらったし、海外出張もさせてもらったし、フレックスでコアタイムはないし、『男と同じ基準で評価してくれる』し。仕事でいっぱい遊ばせてもらいました。大変だったけどね。

だけど、どうも、職場での仕事と評価と家庭生活のバランスは、なかなかうまくはないようです。

うちのグループで4人いた女性エンジニアは、他社、他部署、他グループへといなくなり、今は私1人。移って行った彼女達、かしこい。病気になるまでやってた私が一番アホなんじゃないか。

他部署でも当社は結構女性が多いです。で、結婚して子供もいる女性は、早く帰っているらしい。本当は会社も男性達も分かってるのです。家庭が一番大事、家庭を大事にする生き方は正しい、ということは。でも、どうもそこの部署、仕事の成果はガンガンやってるうちほどには上がっていないかも。

また、そんな中で男性社員以上に大変なことになっているのが、男同様以上に仕事ができて独身で子供もいない(今後も結婚しそうにもないと思われてしまった?)女性社員。
雑用仕事は押し付けられ、それをやってもさらに成果を上げても、評価はされない。と本人は思っているよう。詳細な本当の所は分からないけれど、思いっきり上司との関係が悪くなっていることだけは確か。

『男と同じ基準で評価』されるのも、実は困りものです。将来所長になりたいわけじゃないのに、出世競争を前提としての評価をされます。なりたい女性もいるようですが。男は必死で競争しているのに、競争しない、って言うと、相当気を悪くされる場合があります。一緒に仕事するために、競争しているフリをしなくちゃいけないこともありました。男の反発って、ものすごいから。

うちの職場は開発の表舞台の最前線だから、競争が命。そうそう、男でも、目の効く人は転職して行ったっけ。独身男性がいつまでも結婚せずに仕事しているところです。

そうだ、裏舞台へ行かなくちゃいけないんだ。ライフ・ワークバランスは、裏舞台でこそ実現される。

女性エンジニアや、男性でも家庭生活のウェイトを大きくしようとしている人は、開発の裏部隊で活躍しましょう。

以前、うちの職場から、購買の仕事に移動して行った男性がいました。かしこいね。そういう分野でエンジニアの腕が発揮されるって、知りませんでした。でも原料や機械を買うのに腕を奮おうと、意気込んで移動していきました。

病気休職から復帰するにあたり、私に紹介して頂いた仕事も裏舞台のサポート部隊。今までは特許を書いていましたが、紹介されたのは技術者が特許を書くのをサポートする調査の仕事です。内容的には申し分ないです。問題点は遠いだけ。

やっぱり、近い裏舞台がいいな。

女性達が色々な形の働き方になっても、辞めないで何らかの形で仕事につながり続けていたら、だんだんと女性エンジニアの環境は良くなるのではないかと思います。みんな、がんばろ~~。これから出てくる若い女性エンジニア達、がんばって~~~。 私も、粘ります。

火曜日, 10月 02, 2007

仕事復帰1ヶ月までの報告

仕事復帰1日目: 
半日だったけど、職場で座ってるだけで疲れました。

2日目から: 
やっぱり疲れました。IDカードをドアの所で読み取ってもらえるかで、いちいち緊張しました。あちこちウロウロ歩いて、3回もカードを通せばどこにも入れると分かりました。ゴミの捨て方、廊下の歩き方、行き先板のルール、部長やその他上司達の机の位置、その他もろもろ、いちいち確かめては、事故をしないように、とそれだけ念じていました。

一週間過ぎた頃:
ちょっと本格的にやることが仕事っぽくなってくると、頭痛がしてきました。手術した右側のほっぺたから首、肩が、つっぱって、右側の頭の血が引いたようになります。午後の3時まで持ちませんでした。

気合を入れて、っていうわけでもなかったのだけれど、髪の毛をゴムで結んでいたのですが、余計に血行が悪くなっていたみたいです。美容院に行き、結ぶのはやめて短くしました。マッサージにも行き、頭痛解消。

半月過ぎた頃:
ぼちぼちやっているうちに、仕事っぽくやっていてもあまり頭痛がしなくなってきました。慣れたのかなぁ。いずれにせよ5時間45分の短時間勤務にしてもらっています。そのくらいはやれる日が出てきました。

自分の体調と同様以上に、スムーズに行かなかったのはムスコ。お母さんが仕事に復帰するのは、歓迎しているようなのだけど、夏休み前の先生とのトラブルなどが尾をひいて、夏休み後の学校に行きたがらず。うだうだにつきあって午前中半日休暇(ついでにゆっくり朝ごはん)という日が何度か。このところは行ってくれてます。

色々で、半日休暇にしたり、年休を取ったり、出勤率は半分くらい。年休はいっぱいもらえると思ったはずが、こんな調子ではアッという間に足りなくなりそう。

”遠く”の配置転換先職場候補の上司にも、ちょっと会いに行ったりメールで宿題をもらったりで、ぼちぼち新しい仕事の情報収集中。何とか、今までの近い職場で、リモートでやることを狙っています。
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