金曜日, 8月 31, 2007

体にいいことをする(リレーフォーライフに行かないわけ)

自分の体にいいことをするのが、大事だと思います。他の人にとってどうかは分からないけれど、自分にとっては、何となく避けたい、という時、その気分を尊重してあげること。

プラシーボは効く、と実感していますが、プラシーボは微妙。

それは、例えば乗り物酔いの経験でも分かります。お菓子のタブレットでも、『酔い止めの薬』と思って飲めば酔い止めとして効いてしまう、ということがあります。でも、「本当は薬ではなくてお菓子だ」と知ってしまうと、せっかくの効果が消えてしまいます。

意識状態の微妙な違いが、体の状態に影響を及ぼします。

今、自分としてやっぱり近づきにくい、と感じているのが、癌の「リレーフォーライフ」です。

土橋重隆WEBサイト』によれば、

「いまのガン治療というのは、ガンと"対峙"させているわけです。一方、"共生"ということは「共に生きる」ということです。しかし「共に生きる」と言っても、「ガンと仲よくする」ということではないのです。「共生」というのは、両方にとってメリットがあるということです。」

癌にとってのメリットは、その存在意義を認めてもらい、生き方を変えてもらう事、

と土橋さんは言われます。

そして、その役目を終えたら癌は消失する、と。

リレーフォーライフの印象は、主としては、ガンと"対峙"だと思います。様々なチームが参加するから、"共生"派も無くはないようですが。 主たる雰囲気は"対峙"のようです。

私は「自分の癌は消失した」と思っていますが(実際は手術で取ってもらっちゃったわけですが)、生き方については、まだまだ発展途上。

"対峙"の雰囲気からは、距離を置きたいと思います。だからリレーフォーライフに近づきません。

葉っぱさんについて語り合うのも、悲しさの方が強すぎる気がするし。

でも、リレーフォーライフが力になって治療の励みになる、という方も沢山あります。

それぞれが、自分の体にとって良いことをするのが、よいと思います。癌との付き合い方は、患者の数だけ千差万別だから。

水曜日, 8月 29, 2007

葉っぱさんについて

先日亡くなってしまった葉っぱさんについて、ご存知でない方もあるかもしれません。ここからは『葉っぱメモ』をリンクしてありました。

その他、私も断片しか存じ上げないので、サイトわいはまーるよしさんの記事をリンクします。

わいはまーるさんの掲示板でも、葉っぱさんについて語られています。

日曜日, 8月 26, 2007

死を受け入れること:疲れます

葉っぱさんが突然、亡くなられたとの知らせ。 どうも、今回は、ダメです。

ネット上でのご縁があった方としては、暫く前にモモちゃんが亡くなりました。それは残念だったけれど、モモちゃんとはお会いしたことがなかったためか、まぁ、落ち込んでも数日で復活できました。

身内が亡くなった経験としては、小学生の時に祖母が亡くなりました。何にも分かってなかった。何となく怖くて、祖母が寝ていた方を向いて寝ることができなかった事だけ、覚えています。

親戚の人も何人か亡くなっているけど、骨身に染みた死別というほどではなく、お葬式から帰って来たら復活してました。

ご近所の、お世話になった小母さんが亡くなったこともありました。それは悲しかったけれど、この方は優しい方で、ご自分から、私の気持ちの準備ができるように、心遣いをして下さった。別れは悲しかったけれど、それでいいんだ、と、静かな満足を覚えることのできる別れでした。

でも、葉っぱさんは、あまりに突然。ネットの上でも、あまりに存在感のある方でした。残された遺産は多岐に渡っています。偉大です。おまけに、何度かお会いしたこともあって、そのお人柄にも触れて、自分と引き比べたりして、色々考えていました。

言いたいこと、言ったこと、まだ言わないでおこうと取っておいたことが、沢山ありました。それなのに、突然、いなくなってしまいました。

他人なのに、数回しかお会いしたことがないのに、と思っても、どうしても考えてしまい、涙が出てきてしまいます。

交差点で信号を待っていて、歩き出した時は、危ない。待っている間に放心状態になり、歩き出すと勝手に思考がそちらに行ってしまう。モモちゃんの時も、信号を渡りながら涙が出てきたことを思い出しました。

朝起きた布団の中で。トイレの中で。そんなに考えたくないので、『嵐』の載っている雑誌を買ったりCDを聞いたりして『嵐』で頭の中をいっぱいにしようとしています。が、それでも断片断片の色々な言葉が葉っぱさんに関連して浮かんできて、なぜなぜなぜ、と思ってしまいます。

何か、とても疲れます。

他人の私がこうなのに、突然大切な人を失ったご家族の方の嘆きは、いかばかりでしょうか。

ガンになって、自分が死ぬということについては結構、考えました。『ガン治癒とは死ぬ事と見つけたり』は、まだ上手に説明はできないけれど、基本的には合っていると思っています。が、自分よりも、他人が死ぬことについて、私はまだ弱いようです。

金曜日, 8月 24, 2007

訃報/ENTORALは当面受け付けされず

待っていても、もう、どうしようもありません。苦しくなっちゃうので、お知らせすることにしました。

頭頸部癌の方はよくご存知の方が多いと思います。『ENTORAL』という頭頸部癌のメーリングリストがあります。ここからは『葉っぱメモ』のブログをリンクしてあります。

その主催者の葉っぱさんが、20日に、水の事故で亡くなられたそうです。

葉っぱさんのサイトは葉っぱさん個人が管理しておられたので、他の人間が葉っぱさんのサイトでお知らせをするということは、今後もできないかもしれません。

当面、メーリングリストに新しい参加者を受け入れる手続きなどは、葉っぱさんがされていたので、今、機能しません。

残念です。

火曜日, 8月 21, 2007

ニノのドラマも、嵐のCDも、

松潤が出演するドラマをチェックしていて、『ごくせん』は面白いな、と思って、続きを見ようとしたのだけれど、お父さんからのNGが出ました。娘がマネするからダメなんですって。父親の心、意外でしたが、尊重することにしました。

今見ているのは、二宮君主演の『南くんの恋人』。三巻(5~6話)まで来ました。二宮くん、最初の方はぎこちなかったけれど、だんだん役らしくなってきました。

嵐の歌も、今まではドラマを見るついでに主題歌を聞くだけだったけれど、我慢できずにCDを借りて来ました。
『We can make it』を借りて来たら娘が、「それ私持ってるよ。」既に娘も借りて来たことがあったようです。また無駄にお金を使ってしまいました。いい歌です。「揺るがない夢はいつもそこにある」って、聞いていると、勇気付けられます。

『時代』もいいし、『感謝カンゲキ雨嵐』も、とってもいいです。櫻井君のラップが入っていて、他のメンバーのメロディが乗る、という、嵐のスタイルも、娘に教えられました。ラップという、古い人間の私には縁の無かった音楽にも、出会うことができました。大野くんの声はきれいです。相葉くんは、チャーミングだし。

歌に勇気付けられることは、よくありますが、これだけたっぷり色々楽しめるのは久しぶり。昔は出会うことのなかった歌詞です。嵐に出会えてよかったです。

月曜日, 8月 20, 2007

壊れたノートパソコンを復活させる:続き(秋葉原編)

秋葉原に行ったのは、学生時代以来です。昔の様子はよくは覚えていないけれど、駅前は随分変わって、きれいになっていました。でもほんのちょっと行くと、大きな店と混じって昔の雰囲気と同じの猥雑な小さな店がびっしり並んでいます。

どのお店でハードディスクが手に入るかは分からないけれど、まずは大きなお店に入ってみました。小さな店が沢山ありますが、保障が付いている方がいいので。

駅に近い大きな店で聞いてみました。

「うちでは扱っておりません。」
私「売られているお店の心当たりを教えて頂けないでしょうか。」
「あの大通りの裏の、パーツ屋さんや、パソコンショップにはあると思います。」

う。やっぱり、あの猥雑うら通りの方に行かないと、手に入らない。

ま、怖いわけじゃない、と、ちょっとだけ緊張して大通りを渡りました。

裏に入って最初に見えた、大きめのパソコン館という店に入りました。

「パソコンのハードディスクが壊れたので、入れ替えたいんですけど。」
「デスクトップですか、ノートですか。」
「ノートです。」
「それは、お客様にはできないと思います。」

と来ました。

めげずに、パソコンから外してきた壊れたハードディスクを見せました。「これと同じものが欲しいんです。入れ替えたら動くので。」

奥の方から、別の店員さんが出て来て、ハードディスクを手に取ると、さらに奥の別の店員さんに声をかけました。「これの代わりに使えるのがあるかどうか、上に行って聞いてきて。」メモして行ったパソコンの型番も知らせました。

暫くして、『上』から別の店員さんが、箱を持って下りてきました。持ってきたのはバッファローというメーカーの40GBのハードディスクで、11800円。うちから持って行ったのと互換であると、メーカーが保障しているそうです。ハードの他に、ディスクの内容をコピーするためのソフトがついていて、さらに保障期間が1年ついています。

ひょっとしたら使えるハードディスクが既にどこにも売っていない、という恐れもありました。が、これで、少なくとも売っているものはある、ということは分かりました。内容入れ替えソフトまでついていれば、CDなどにディスク内容をバックアップして丸ごと新しいディスクへと移動させられるわけです。

でも今回はそのソフトまでは要りません。値段をメモして、店を出ました。

ちょっと行くと、入り口の周りにこまごました部品を並べていて、大き目のパーツ屋さんという感じで、「ハードディスク、2階で絶賛発売中」と張り紙がある店がありました。

2階に上がると、色々な部品が並べてある横にガラス棚のカウンターがあり、ガラス棚の中にメモリーやハードディスクが並んでいました。カウンターの店員さんに、例の壊れたハードディスクを見せて、これの代わりになるものが欲しいのですが、と聞いてみました。

店員さんが出してくれたのは、日立の20GBのハードディスク。4500円で、3ヶ月の保障つき。ハードだけが、銀色の袋に入っていました。新品です。

パソコンをハードディスクの修理に出せば、5万円。それに比べれば10分の1です。20GBあれば、ひとまず十分。小さなお店まで探せばもっと安いものもあるかもしれないけれど、ジャンクを買うよりは、失敗の可能性は少ないだろう、というわけで、これを買って帰りました。

久しぶりの秋葉原で、思っていたより、スムーズな買い物ができました。

昨日買って帰って、今朝、パソコンに入れてみました。リカバリーディスク5枚、ちゃんと読んでくれて、OSインストール終了。無事、ウィンドウズが立ち上がりました。

「サービスパックの2までパッチを当てろよ!」と、お父さんの声。  

じっくりパソコンの面倒を見るのは、子供がワラワラをまとわりついていると、結構大変なんですが。
普段は、暇なお父さんが遊びながらやっているのだけど、今回は私がやらないと、パソコンを取り戻せません。そのうちやらなくちゃ。

壊れたノートパソコンを復活させる

暫く前に、パソコンが壊れて買い換えました。今、新しい方で書いています。

で、古い壊れた方はボロボロでした。液晶のバックライトは時々勝手に消えて、無意味に画面が真っ暗になっていました。立ち上げなおすと治っていました。
キーボードもボロボロで、キーの並びは微妙に凹んで波打っているし、いくつかのキーは外れたり付け直したりを繰り返していました。

時々ものすごく遅くなったり、きちんとシャットダウンができなくなったりしてきていました。ああ、そろそろ寿命かな、と思われ、何度かディスクチェックをしました。そのディスクチェックが止めをさしました。会社での経験でも、大抵、ディスクチェックの後には大きな故障が起きる、という気がします。

さて、パソコンが壊れるのを、ドライバー片手に楽しみ待っている者がおりました。うちの息子です。分解したくてしょうがないのです。

しかし、安物の目覚まし時計くらいならまだしも、壊れたと言ってもパソコン。そう、やすやすと子供のおもちゃに引き渡すわけにはいかない、と、お父さんの『もったいない精神』が発揮されました。

私は、もうボロボロだし、いいや、と思って買い換えたのですが、お父さんはさらに調べていました。ハードディスクのエラー箇所を調べ、そこを避けて再フォーマットすればいいのではないか、とか、やっていました。仕事もそれくらい一生懸命やれば??と言ってやりました。

でも、結局、ハードディスクの壊れ方は決定的で、どうにも使いようがない、という結論だったようです。ハードディスクの故障でメーカーに修理に出すと、修理費は約5万円。そこまで出す気にはなりません。

で、もったいない精神の情熱は大したもので、秋葉原のジャンク屋さんに行って、中古のハードディスクを数千円で買ってきて、入れ替えたら、直っちゃったのです。

普通、ノートパソコンのハードディスクはユーザーが入れ替えするようにはできていません。でも、実はできるんですね。

ご立派。息子に分解させたくないというケチ精神の賜物です。それで、なんとなく、私の壊れたパソコンは、お父さんの物になっちゃいました。最初はあからさまではなかったのですが、次第に、直した後に作ったはずの私のIDはなくなり、共有のIDはパスワードを教えてくれなくなり、全然使わせてくれなくなっちゃいました。

で、私も、どうしても使いたい。新しいパソコンは、音がどうにも安っぽくて、DVDやCDの使用感は古い方が圧倒的に良かったのです。子供が使う用にも必要。

「それ、返して! ハードディスク抜いて!」 文句は無かったようで、ジャンクハードディスクを抜いて返してくれました。 ケチ!

ハードディスクを入れれば直ることは解っているので、後はできるはず。久しぶりに秋葉原へと出かけました。

(続く)

日曜日, 8月 19, 2007

破綻していてもいいけど破滅はダメ

『花より男子』から嵐の松本潤を知って、嵐の他メンバーの事や、松潤出演の以前の作品を漁っています。いっぱい楽しめそう!と思って。

「ピカ☆ンチ」の1巻目を見て、「君はペット」の1巻目を見て、「ごくせん」の1巻目を見ました。子供と一緒に見てるというところがネック。夏休みだししょうがないか。それぞれの作品に役者としての松潤の成長の軌跡が想像され、じっくり楽しもう、と思うものばかり。

なのだけれど、一つだけ、灰色にしか見えない映画が出てきてしまいました。

「僕は妹に恋をする」。双子の妹に恋をする話だそうな。

原作は少女マンガで、少女コミックと言いながら、成人誌顔負けのエロ場面満載のマンガらしい。映画も見てないし、原作も見てないけど、見る気になりません。エロ全否定というわけではないけれど、近親相姦というのがいただけない。

花男みたいに、ものすごく異質な二人の恋愛という”ありえない組み合わせ”は、その破綻を乗り越えるドラマがあり得て、花男はそれが大成功しています。

でも近親相姦という”ありえない組み合わせ”は、もともと近い者同士だから、二人の関係に乗り越えるドラマはない。双子っていう設定で年齢をわざわざ揃えていても、自分の分身に恋しているようなもの。双子の恋愛、という設定では、どうにも話の発展のしようがなくて、最初から破滅的。

禁断という枠を利用して、それを乗り越えるというエロのドラマくらいしか、あり得ないでしょう。原作のマンガはそれで売っていたらしい。

松潤はこの作品で何がやりたかったのだろう。彼はエロチックな演技がとても上手だからそれがやりたいというなら、分からなくはないけど、そういう、エロだけの路線には行って欲しくないです。で、実際のこの映画の出来は、ちっともエロくないらしいです。本人も、きれいな映画と言っているらしい。

だったら、松潤がやる必要はない。というより、誰も、やる必要はありません。結局、映画という表街道の表現には、この原作の内容を出すわけにはいかないという良識が働いたのでしょう。つまり禁断だという当たり前の事が確認されただけ。

少女誌なのにエロ雑誌だと言われる元本に注意を集めて、行政の監視を促す効果はあったかも。野放しにされている状況は異常ですから。でも、そんなためにこの映画をやったとも思われないし。

松潤は芸術家肌なようだから、色々やってみたいのだろうけれど。破滅的なものに対する嗅覚は養ってほしいと思います。破滅的では見た人を幸せにできないから。ウェブのどこかで、三島由紀夫の作品をやってみたい、と言っていると書いてありました。三島作品の魅力は肯定しますが、三島は最終的には破滅しているのが、全肯定はできません。いいとこ取りで、成長して行ってほしいと思います。

金曜日, 8月 17, 2007

ファン活動:嵐

花男から松潤のファンになって、そこから嵐というジャニーズグループもいいやん、と、若者の仲間入りの気分。嵐の単行本『アラシゴト』は、娘が大喜びで読んでいます。私も熟読しました。

昨日はハリーポッターの映画を見に行ったのだけど、娘も私も頭の中は嵐や松潤でいっぱい。映画の帰りにはツタヤによって、嵐のアルバムの「Time」や映画「ピカ☆ンチ」のDVDを借りました。

日ごろ、娘の言葉遣いに違和感を覚えることが多かったのですが、花男をはじめこれらの歌やドラマに触れると、娘の言い方にそっくりなのが出てきます。単に、うちの子が素直に時代に従っていただけらしい。

「ピカ☆ンチ」は、嵐の5人が出演する一作目の映画だそうです。子供に見せちゃいけなかったのかも。でも、結局は若者が前向きに人生に取り組む話だったから、よいかな。相葉くん(嵐)かっこ良かったです。でも、うちの子達、何が言いたいお話なのか、よく解らなかったようです。

最近、嵐の5人が出演する映画の「黄色い涙」というのがあるそうですが、これが、癌のお母さんを田舎から東京の大病院に入院させる、というのをきっかけに5人の若者が知り合うというところから始まります。このお母さんはお決まりのように、死んでしまいます。    んんん、ダメじゃん。せっかくだけど、これは見ないことにします。いい出来の作品らしいですが。

他にも、二宮君(嵐)主演のDVDで「少しは、恩返しできたかな」というのがあるそうですが、これは、主人公自身が癌で、死んでしまうそうです。でもこれは実話に基づいているそうだから、死んでしまうお話でもしょうがないのだけれど。

「黄色い涙」の方はフィクションなら、都会の病院にせっかく入院したら、治ったという話になってほしかったな。

でも、今の癌医療だと、都会の大病院に入ったら、かえって治らないのかな。("破綻していてもいい"とは言えないけど、現実。。。)

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相葉くんを相場くんと書いてしまっていました。ゴメンナサイ。教えてくれた奈津子さんありがとう。

木曜日, 8月 16, 2007

映画:ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

あっついあっつい。うちにはクーラーが無いんです。うちは高台にあって風がよく入るので、例年クーラー無しで済んでいるのですが。

まあ、例年、あっついあっつい、と言いつつ、済ませてきているわけで。でも、ここ数日は、もう我慢できないくらい。で、映画館へと避暑に行きました。

やっぱりチェックしておかなければ、ということで、子供達を連れて『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』に行きました。

ありゃ。お父さんがもう寝てしまう。パソコンを使えなくなってしまいます。
一言感想を書いておくとすると、本で読んだ時には細やかな心理描写が記憶に残りました。私はそこがこの本の好きなところなのです。でも、映画では、それが表面的にたどるだけなようになってしまっているようで、残念でした。

でも、まるで世界が崩れていくかのような、大規模な魔法同士の戦いの映像は、堪能しました。

水曜日, 8月 15, 2007

ファン活動

花男がきっかけで嵐の松本潤の写真とか探してましたが、小栗旬や櫻井翔や、嵐の他のメンバーの方は雑誌で見かけるのだけど、松潤は見当たらない。で、我慢できなくて、買ってしまいました。嵐の単行本の『アラシゴト』。(画像が出ません、残念。定価1500円、ユーズド1337円からです。)

嵐の結成5年記念の単行本だそうで、5人のメンバーの、インタビュー、写真、など、それぞれの軌跡がまとめてあります。読んでみると、松潤以外のメンバーも、それぞれに、よいです。ジャニーズの印象が一変しました。

正直、今までジャニーズをこれだけ追っかけたことはありません。若いけどかっこいいだけの、あまり興味を覚えない対象、ていう感じでした。

キムタクは好きでした。でも、私の中で松潤はもうキムタクを越えています。で、そこから広がった嵐というグループも、よいです。それが、どの誰がどう良いと、言えないような、それぞれのどの人も違った良さで、全体がいい。全然知らないグループだったんだけど。

色々読んだり、動画を見たり、しているうちに、二宮君も櫻井君も松潤に負けず劣らず良いという気がするし、相葉君も負けず劣らず良いし、大野君も。

何だろう。危なげがないのがいいのかな。それぞれが個性があるのだけれど、とっても、普通。それが、追いかけていて、安心できる。どこまでも楽しませてくれるだろう、っていう気がする。

まだ殆ど見ていないけれど、彼らの歌の歌詞も、動画を見ながら聴いていると、端々で、癒される。

『アラシゴト』は花男の放映よりも前に出た本のようで、松潤は本の中では発展途上、この本の後に、ワンステップ階段を登ったという感じです。わりと素顔は控えめな、弟キャラなようです。

松潤もよいし、嵐もよいですね。

月曜日, 8月 13, 2007

破綻していてもいい

最近、『花より男子パート2』をきっかけに、松本潤をおっかけています。で、タイトルに書いたように、「破綻していてもいい」ということを考えるようになりました。

『花より男子』の道明寺司(松潤)って、破綻しているんだよね。やることなすこと。性格。乱暴で優しい。美しくて醜い。馬鹿で考え深い。つくし(相手役)へのあり得ない設定の恋愛。松潤はそれを抜群の演技力で丁寧に演じて、魅力的な道明寺司を生み出しています。

ふと気がついたんだけど、私も、破綻している人間。でも、破綻していてもいいんだね。

今まで、Aという私と、別のBという私を、きちんとつくろって、統一した何かである私として生きなければならないと思っていました。そうしないで生きることは、怖いと思います。

でも、松潤が演じる道明寺は破綻していても、破滅的じゃない。自分を本能的に磐石の確かさで信じているから。

究極的には、例えつくしの記憶が飛んでしまうほどに苦悩しても、本能だか霊感だかの導きでそれを乗り越えて窮地のつくしを助けてしまう。ドラマでは何度か、道明寺がつくしを追いかける(守る)のは『本能』って言ってたけど、私には霊感と言った方がぴったりします。

破綻していても、破滅しないでいられるということが解りました。

昨日は、代替・統合医療コンベンションの2日目でした。それの内容もスゴかったんだけど、帰り道の本屋さんやコンビニで、週刊誌や芸能誌で松潤を探してしまいました。裏表紙の広告に小栗旬が使われてたけど、松潤はどこにも無し。毒気のある松潤より清潔感の小栗旬の方が受けているのかな。かつえて、でもそのまま帰りました(当たり前じゃ)。

日本の世の中、色々破綻しています。癌コンでは癌医療の色々な破綻が示されました。年金も破綻しているし。年金なんて、あれで何で暴動にならないんでしょ。総理大臣はやめないし。

でも世の中の破綻まで責任感じる必要はないんだ。そもそも自分が破綻してるんだし。

破綻したままで、1人分を生きることで、1人の人間になれる。自分という本能や霊感をしっかり感じていれば、できる。それでいいんだ、と思うようになりました。

土曜日, 8月 11, 2007

第13回代替・統合医療コンベンション1日目

代替・統合医療コンベンションの1日目に行って来ました。

この夏は、システム科学学会と、代替・統合医療コンベンションと、両方があって、どっちも行きたい、行きたい行きたい!!って、思ってたのですが、日程も続いているし、現実には両方に行く元気も余裕もありません。

システム科学の方は又とない貴重な機会だとは言え、まだまだ勉強不足で、代替医療の方だってそうなのですが、システム科学よりはとっつきやすそうなので、代替・統合医療の方にしました。

にわかボランティアでお弁当係をしました。せっかく行くなら何かやった方が、より色々なことが分かるのではないかと思って。

お弁当販売準備や、販売・後片付け後のお昼ご飯になったため、いくつかの講演は聴けませんでした。でも、朝から全部聴いたって、消化できないし疲れちゃいますから。素晴らしかったです。お目当ての、帯津先生のお話と、安保先生のお話は、聞けました。

今回のコンベンションの主催の癌コントロール協会は、ごく最近時々顔を出すようになりましたが、やはり、けっこうハイテンションなところがあります。これまで医療としては正道扱いされていなかった部分もあり、けっこう、世の中を変えなければならない、という使命感のようなものがなければ進めていけない分野なのだと思います。

それは立派で、これからの癌治療のためには絶対に必要なことなのだけれど、治療を終えた一般癌患者としては、ハイテンションにはちょっと引いてしまう部分も、実はありました。

だけど、癌の治療が3大療法だけで十分ではないことは、否定のしようもありません。既に、米国などではがん治療のウェイトは大きく代替療法の方へと移っているようです。

ハイテンションの背景には、既存の製薬業界、医学界、医学部の教育、農薬に依存した政界の体制などを覆さねばならないということがあるようです。

ハイテンションに引いてしまう部分のある私にとって、一番ホッとして、また、素晴らしいと思い、心強く思ったのは、安保先生のお話でした。新潟弁で、ゆったりとユーモアを含めながら、すごいハイレベルのお話をしてくださるのです。絶対的な智識と経験と自信があるから、余裕があるのですね。

内容はまだ消化できなくて紹介できませんが。 疲れちゃったし。

癌医療は、変わるでしょう。300年後、という話がありましたが、安保先生によると、50年後とのことでした。

別の先生は、来年には、『癌患者解放宣言』を発表する、と仰っていましたが、これに安保先生や帯津先生、あとゲルソン療法の星野先生も、連名とされるようです。

また、日程終了後に、会場の方で何か言っておきたいことがある人は?一番遠くから来ている方何かお話を、という呼びかけがありました。驚いた事に、ニューヨークから来ました、と、あの『地球交響曲』の龍村仁監督のお姉さんという方が出てみえました。

代替医療と地球交響曲、通じる部分があると思います。潮流だと思いました。

(始め代替医療コンベンションと書いたのは間違いで、代替・統合医療コンベンションでした。また、代替医療協会ではなく、癌コントロール協会でした。)

金曜日, 8月 10, 2007

ドラマの中の癌

最近、娘と『花より男子パート2』を見て、松本潤クン(松潤)のファンになりました。かっこいい、かわいい、演技がうまい。

で、松潤が出た他のドラマということで、『金田一少年の事件簿』のDVDを借りてきました。うんうん、かわいい、かっこいい。特に、エンディングの映像は、怪しくてきれいでゾクゾクします。

で、それは良かったのですけど。

出てきたのですね、ちょこっとですが、『癌』。登場人物が、実は癌で、死ぬ前に、誰それ誰それを殺しておきたい、と、いうセリフ。

うんざり。『癌』って、ドラマの中でこういうふうに使われる。今回、ドラマの本筋にとって全然重要ではなく、ちょいと小道具として使われていました。

癌の人が死なないような映画がないかな??と思ってちょっと調べてみたのですけど、ぜんぜん見つかりません。

ここまで徹底的に癌の人は死ぬというイメージでドラマや映画が作られ続けていると、死なない癌の人を登場させる作品を作るのは、大変なのかも。

『事実は小説よりも奇なり』  ちょっと使い方が違う?

癌についての現実には、創作の世界で開かれていない大事な部分があるようです。なんたって、癌になっても3分の1は癌では死なないのだから。

日曜日, 8月 05, 2007

癌研病院サテライトさとう消化器内科クリニック:眠っているうちに内視鏡検査

昨日は、池袋のさとう消化器内科クリニックに行きました。

前回三田病院の頭頸科に行った時に、「そろそろ再発の心配ばかりでなく、他の癌のことも考えた方がいい」と言われました。

癌の術後、もうちょっとで三年。幸い、再発・転移無しで来ているのは嬉しいのですが、最近、治癒率が上がるにつれて、もとの癌とは関係の無い別個の癌が出てくる人も多いそうです。最初の治療の時に抗癌剤やら放射線やらをやっていると、それが他の癌を誘発することもあるらしい。そういうのを多重癌というそうです。

ま、しょうがないですね。そういうものらしいです。口腔癌の場合、やはり消化器系の多重癌の確率が高いとのこと。

さとう消化器内科クリニックは、今は有明にある癌研病院が大塚にあったころから癌研病院と提携していた病院だそうです。検査の予約待ちが長くなってしまう癌研病院での治療がスムーズに行くように協力していたとのことで、今でも必要な場合は癌研病院への速やかな紹介を行っているとのこと。今の三田病院の主治医は癌研病院から移られた方です。

食道、胃の内視鏡検査は、最初の告知の後、口腔癌の治療前にも受けましたが、

「あんなの、二度とやりたくない」

と思ってました。でも、さとう消化器内科クリニックの検査は、眠っているうちにやってくれるとのことで、辛くないですよ、と、こちらへの紹介状を書いて下さいました。

JR池袋駅から歩いて5分、区役所の裏手のビルの三階にありました。

入り口には熱帯魚の水槽がありました。受け付けから、緊張感や苦痛感の生じがちな検査を患者がリラックスして受けられるよう、病院の方全員が万全を備えているという感じでした。パンフレットによると、高度な画像診断を行うと同時に『快適・安楽な検査へのこだわり』『安全へのこだわり』が特徴とのこと。

検査は、まず、「胃をきれいにする」という、味の無い液体を少し飲みました。それから診察着に着替え、ストレッチャーのような診察台に横になります。スプレー式の苦い麻酔剤を口の中にスプレーします。

内視鏡を入れるためのマウスピースをくわえます。私は口が2センチほどしか開かないので、ちょっと心配でしたが、ちゃんとマウスピースが入りました。

鎮静剤を点滴する、とのことでしたが、実際、殆どの人がこれで眠ってしまうようです。それでも鎮静剤って言うんですかね。私も、目がさめて気がついたら終わっていました。全く途中の意識はなく、ずーっと眠っていました。始めたのは11時前だったと思いますが、気がついたら2時過ぎになっていました。

気がついた後、水と、小さなゼリー2個と、あめ玉を2個もらいました。検査のために朝食抜きだったからちょっと嬉しかったです。

それから、すぐに結果の説明がありました。写真を見ながら、『異常なし。』写真のコピー4画像分をおみやげ?にもらいました。

ちょこっとだけ、胃炎の治った痕があるとのことでしたが、これは多分、3年前の前回の内視鏡の時にもあると説明されたものと同じもの。一応、そこの組織をちょっとだけ取って精密検査するそうです。あと、ピロリ菌の検査という小さい試験管がありました。

でも、検査はどうやらダメ押し的なもので、ピロリ菌も、見ただけで「大丈夫そうですけどね」とのこと。

「前回内視鏡をやった時には、2度とやりたくない、って思ったんですよ」というと、さとう先生は、

「ここの検査だったら、何回受けてもいいと思うでしょう?」

ですって。

ま、何回も受けたいというわけではありませんけど、前回よりもウンと快適な検査でした。

検査の結果を10日後以降に聞きに来るようにとのこと。

検査クリアで、だいぶ気が楽になりました。

木曜日, 8月 02, 2007

「東京タワー」も見れないや

映画やドラマで「誰それは癌だって」というのは、その人はもうすぐ死ぬ、という設定。

やんなってしまう。

映画の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」も、感動の映画らしいですが、お母さんは癌で、死んじゃうらしい。そのクライマックスへ向かって感動が盛り上がる、らしいです。

実話だそうです。実際の、素晴らしいお母さんのお話なんですね。

でも、癌で人が死ぬ話は見ないことにしたので、これも見れません。



実話のストーリーには文句はつけられないけれど。

でもさぁ。死なないと感動してもらえないのかしら。

分別のつき始めた娘には、時々話すことがあります。

「ドラマとかで、癌、ていうと、その人が死ぬっていう設定でしょ。あれがお母さんはイヤなの。実際は、死なない人もいっぱいいるんだよ。」

事実だもの。癌になった親を持つ子には、きっちり理解しておいてもらわねばなりません。

『判官びいき』とかとも関係があるのかなぁ。日本人はヤラレて敗退する側を応援するのよね。強くて勝ち残る者は概して嫌われる。

でも、私は、癌の後生き残っている人はかっこいいと思う。『映画 寺山心一翁』とか、『映画 長友明美』とか、作って欲しいです。既に私の中ではスターです。樋口強さんとか、川竹文夫さんとかも。まだお若いから映画にというわけにはいかないかもしれませんが。

他にも、たくさんおられるハズなんです。癌になる人全員のうちの3分の1は癌では死なないんだもの。

水曜日, 8月 01, 2007

生きている人を見る

夏休み。家の近くの映画館で、『Life 天国で君に逢えたら』というのをやるとポスターが出ていました。

恋愛ものかな?と漠然と思っていたら、プロウィンドサーファーの飯島夏樹さんという方が、癌になって、家族と過ごした時間などの本を映画化したものだそうです。

残念ながら、最近亡くなられた方のお話だそうです。

だから、私は見ません。

癌で余命いくらいくら、とか言われて、或いは何年後に生きてはいないでしょう、と言われて、その後を立派に生きることは、立派だし、感動を呼ぶけれど、それで結局亡くなったという方のお話はさらに感動を呼んで目立つのです。

この映画も素晴らしい作品なのだろうけれど、でも、癌になって死ぬ、というストーリーは、私は避けようと思います。

心は免疫に影響を与えます。『気持ち』でがん細胞は増えたり減ったりするのです。

余命より長く生きたら、それもとても貴重だけれど、でも私にはそれでは足りない。何としても、孫までは見ないと。

癌になった人の3人に1人は癌では死なない。そちらの方の方のお話は、なかなか映画にはならないようですね。でも、癌患者にはそちらの方が薬になります。

是非、そういうお話を、映画にしたりマンガにしたり、してほしいものだと思います。世の中の先入観も変わるはず。

『いのちの落語』の樋口強さんが、落語講演会で、「生きている人を見て下さい」と言っておられました。彼は、生きているはずがないと言われた5年目よりも、さらに5年以上も過ぎた今も、生きているのですね。その事実を重視して、素晴らしい先輩のアドバイスを採用しようと思います。
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