日曜日, 12月 30, 2007

脱力大掃除:森高しんちゃん

年賀状も出し終えて、今日は大掃除の続きをしていたのですが。

夫はBGMに森高千里をかけていました。 古いですね。 彼には嵐は通じません。

と、息子が言いました。 「クレヨンしんちゃんに似てる!」

え???  

うんうん、そうそう! 似てるんですよ。 意外や意外、本当に似てます。 森高さんの声がしんちゃんにそっくり。

そう思って聞いていると、何だか、歌の内容まで似てます。「非実力派宣言」とか。他にもそっくりなのが色々。

思い切り脱力。 森高さんはしんちゃんだったとは。 今年最後の大発見。

森高さんとクレヨンしんちゃんの両方をご存知の方、よろしかったら比べてみて下さい。

脱力笑いが止まらないので、書かせて頂きました。  森高ファンの方ごめんなさい。

癌年齢って

今更ですが、癌って老化によって起きるのよね。
大腸癌のデータですが年齢別の数字がありました(倉敷中央病院)。60歳台、70歳台が多いです。

(1996~2000年切除例)
年齢|性別 男 女
19歳以下    0  0
20~29歳    0  0
30~39歳    5  7
40~49歳   20 12
50~59歳   45 46
60~69歳  116 71
70~79歳   98 72
80~89歳   31 41
90歳以上   2  2

私は口腔癌ですが、やはり私より上の年代の方が多いようです。

何で、こんなに若いのに、癌になっちゃったんだろう。 もう若くはないけれど、それにしても。

何でなのかは今更言ってもしょうがないけれど(まぁ、酒もタバコも暴飲暴食もせず、仕事のしすぎだと思っていますが)、若くて癌になるのは、色々と不便です。

後遺症あっても、仕事も子育ても現役世代で、まだまだ当分は引退できないし。

患者会も、ずっと上の年代の方ばかり。

団塊の世代の今後の生活をサポートする新しい事業なども出て来はじめているようですが、それにも乗りにくい。

自分が再発するのもイヤだけど、せっかく知り合って励まし合った病気仲間が、再発したり、亡くなったりするのを見るのも辛いです。けど、見なけりゃならない。







そっか。 私よりももっと若くてなる方もありますね。

そういう方のお手本になれるようにしなくちゃねぇ。



あ、ただ生きているだけで、術後年数のお手本にはなれるわけです。  お得だと思うべきでしょうか。

金曜日, 12月 28, 2007

年内最終日/男女共同参画の難しさ

今日は会社の年内最終日。年末と年始は今までの職場に来るように、との指示があり、元の職場の方に出ました。

もう、移動することは確実なので、書類の処分の続きや、捨てる荷物の確認、四方山話などなど。気になっていた機密にせねばならない書類を、バサバサとシュレッダーにかけました。

女性には、どうなるか分からない新しい(けれどうまく行けば重要な)分野に手をつけさせ、見通しがついたら男性社員がやる、というパターンがある、と以前書きました。それで上司との関係がとても悪くなっている女性同僚もいるし、私も経験しています。それに関係して、嬉しいことがありました。

私が手をつけた事から始まった一連の試料があるのですが、もう古いし、当然、捨てねばならないと思っていたのです。でも、私以上に、私の後にその関連の仕事をした男性社員達が、その試料に愛着があるらしいのです。結局、全部捨てることはせずに、一部を残しておくことになりました。

私は、何も無いところから、予算をもらい、よそから教えてもらい、何をやるか考えて、やったから、自分がそれをやった、それが育った、と思っていました。

でも始めに私がやったということは、覚えてくれている人は覚えてくれているけれど、日ごろは言われることもありません。そこから生まれて来た成果は殆どが後からやった男性社員たちのそれぞれのものになっています。誰に教わったかも忘れて自分の領域として振舞っています。 (ハイ、無礼なヤツも居ます。 よくあることですが。) 若い人は、私がやったことを知りもしないでしょう。

給料はもらっても、とりたてて評価されているわけではない無償の労働みたいなもので、報われることのない『お母さん』みたいな役回りです。

でも、そこに入って後をやってくれた男性社員たちも、あんな古い試料に愛着を感じるような自分の大事な仕事としてそれをやってくれていたわけです。限られた領域だけれど1つの流れになり、社内の技術の一翼を支えています。良かったと思います。どうせ、私1人でそれだけの事ができたわけはないのだから。

男女共同参画という意味では課題があるけれど、報われない仕事に多くの時間を費やすということは年功序列の日本のサラリーマンの若い時期にはよくあること。同僚男性諸氏がよく頑張っていたことは私も間近かに見ています。彼らには今や部下があり、幸い、私みたいに病気になった人もいません。彼らの仕事のネタの種を多少とも蒔くことができたのは嬉しいと思います。

水曜日, 12月 26, 2007

「通勤が一番大変」/感性の覚醒

月に一度の、産業医の先生を交えた面談がありました。


新しい職場の方へ通って、ほぼ元気に過ごしていることを報告しました。この分なら正式に新しい職場へ移動しても大丈夫だろう、という方向の話になりました。もう、私もそういうつもりになっています。


そしたら、皆さん口々に仰います。


「毎日だから、通勤は大変だと思うんです。」


「僕も通勤が一番疲れるんだ。」


もう。。。。そうでしょ!!! (もちろん心の中で。)


皆さん分かってらっしゃるのに、変えることはできない。私がその気になったと思って安心して、本音を出されたようです。自分も大変だと思っていても、病後の子持ち主婦にも『みんなやってるのだから』と言って、同じようにさせる現状をどうしようともされません。ご自分はPTAにだって出た事がないのに。


社内の「男女共同参画推進」担当の方からもその後の返事が来ましたが、今の近い勤務地で移動先の仕事内容をやることは、「現場で運営ができるなら、それに沿った制度を作るお手伝いをしましょう」とのことでした。


現場がやればそうなっていくのです。


でも、現場の方々は、制度がそうなっていないから、できないわけです。


そして、「でも、元気に復帰できて本当によかった。復帰の当初よりも元気そうだよ。」と言って口々に喜んでくださいました。   本当にいい人たちなんです。

いい人には変革はできないのです。

移動先に通っている間に昔の知り合いに何人も久しぶりに会いますが、その内の1人の女性が、以前の上司がオキテ破りの超法規措置で管轄外の『近い社宅』を使えるようにしてくれた経験を教えてくれました。
社宅も、「通勤時間が長いのは普通だから」と言って職場から離れた場所を与えられることが多いですが、家族もちの女性にはそれが切実な負担だから、やる手腕のある上の人はそういうことをやってくれる場合もあるのです。

けどね。 まずはやってくれない人達が殆どだわけで。 世の中が変わって皆がこれはおかしいと言い出すのを待つしかない。

通勤時間は本を読んで没頭してしまうこともありますが、そうすると乗り過ごしたり。気がついて電車を降りて引き返すと、短時間勤務で出勤時間を固定されているので、遅れて欠勤がついてしまいます。

本も読まずにぼ~っとしていると、待っても、待っても、降りる駅に着かなくて、とてつもなく退屈です。

今日は嵐のアルバムを聞きながら乗っていました。バスに乗っている時に快適さを感じることも先日書きましたが、今日も、何だか景色が違って見えると思いました。こんなに美しい街だったんだ、って。

バスの後、駅についても聞いていて、『Eyes with delight』の歌詞が聞こえてきました。

「その瞳は今風を見てる、、涙より深い輝きをたたえ」

ふ~む、と思って聞いていたら、目の前の人たちの「目」が、どの人も何かを見ていて、深い輝きをたたえているんだ、ということが、急に分かったんですよ。その目の向こうに意識があって、あ、ドアが開いたから降りようと思っている、左右を確かめている、横の人を気にしている、などの心の動きが、一々声のように聞こえてきました。

そんなこと、普通の人は普通に気がついていることなんでしょうかね。 どの人にも、生き生きとした心がある。

以前、家の近所の道を歩いていて、急にその横の木々の『気持ち』が伝わってきて、あ、私が元気になるように応援してくれている!と思ったことがありました。その時と同じような感動でした。

暫く電車の人々を見ていて、そうだそうだ、どの人も、確かにその目の奥に心の動きがある、と思いました。

でも、すぐに、これはマズイ、とも思いましたね。人の心の動きが見えすぎるのも、自分の心が騒がしくなりすぎる、と思って、すぐにシャットダウンしました。

日常的には、他人の気持ちは必要に応じて適度に見つつ、適度に見ないような平衡状態になっているのでしょう。 電車の中なんて、みんなお互いに無視し合うのが普通なのですから。

電車に乗っていると、見えるのは人間ばかり。嵐の歌は見えるものについて妙に感性を覚醒させる効果があるのかもしれません。

毎日毎日、通勤3時間。 何をして過ごしましょうか。 寝てる人も多いですけど。

火曜日, 12月 25, 2007

ごはんの準備がタイヘン

娘が塾へ行くと言い出しました。

それは感心なのですが、ごはんの準備が半端でなく大変になります。

部活の朝練のある日には朝は6時40分に家を出るので、5時半には起きて朝食とお弁当の準備をします。これは今までもやっていましたが、『遠い職場』に通うようになって、夕方私が帰るのは6時ちょっと前、息子を放課後プランの「はまっこ」に迎えに行って帰って来ると6時15分くらいの帰宅になります。

今までは、朝にご飯を仕掛けておいて、お味噌汁と1品くらい用意しておけば、会社から帰ってからメインのおかずを用意して何とかなりました。

でも、今度から塾へは娘が6時20分に家を出るというのです。これでは夕食が絶対間に合いません。

娘が学校から帰って来るのが5時半くらいで、その時に自分で食べられるようにしなければなりません。

今日は、冬休みで部活も午前中だったので、おかずを用意して、お味噌汁をお味噌を入れる直前まで準備しておきました。自分でお味噌汁の仕上げをして食べるということはできました。

娘が自分で食べられるなら、夕食もそうできるかもしれませんが、準備をある程度しておかなければなりません。いつ??

朝はお弁当と朝食の準備をして、自分も食べないといけないし、まずは無理です。となると、可能なのは前日の夜。 つまり、夕食を食べたら、翌日の夕食の準備をする、ということになります。  ひぇぇぇ。 実質、翌日の朝食と、お弁当(昼食)と、夕食の分を全部考えて一度に準備しなくちゃならないということに。

これはいいことなんだろうか。かえって手間が省けるという風に、できるものでしょうか。

やらなきゃならない所に追い込まれました。 やらずばなるまいっ。

まずは、電気釜の2個目を買わねばならないようです。お弁当用に炊いたごはんがきれいになくなってから炊いていたら夕食用には間に合わないのです。保温で置いておくのは美味しくないとブーイングが出るのです。前日に翌朝と夕方の2回分をセットしておけば、安心しておかず作りに専念できるわけで。  ぅ~ん、夏はこれはダメでしょうか。 夕方の分は朝仕掛けるとしても、その時にお釜が空になってないといけないので、やはり2つ欲しい。

夕食後にフィットネスクラブに行こうなんて事は、夢物語になってしまいました。

日曜日, 12月 23, 2007

黄金の湯、白金の湯(伊香保温泉)


息子と二人で群馬県の伊香保温泉に行って来ました。

群馬県でお泊りするのは、ずっと以前の学生時代に尾瀬に行った時以来です。温泉と言えば近場の熱海、湯河原ばかりだったので、違う所に行ってみることにしました。

横浜からはちょこっと遠いけど、携帯の乗り換え検索で調べながら、行きは上野経由で高崎線で、帰りは湘南新宿ラインで横浜経由で帰って来ました。高崎まで行けば、後は上越線で渋川まで24分、渋川から関越交通バスで25分弱です。宿もネットで手軽に予約したし、乗り換えも逐次携帯で手軽に調べられて、便利な時代になったものです。前もって計画をきっちり立ててというのは苦手なので助かります。

横浜はけっこう山が多いのですが、都内に入るとずっと平らで、埼玉県を越えて群馬県に入っても電車からの景色に山はずうっと見えません。関東平野は広いです。でも上越線に乗るとだんだん山が見えてきて、最後にバスで山の中に入っていきます。伊香保温泉からの眺めは雲にけぶる山々を見下ろす雄大な景色です。宿の屋上に露天風呂があり、夜は頭にタオルを乗せて雪をよけながら、朝は積もった雪を眺めながら入りました。朝の露天風呂からの山々の眺めは絶景でした。

伊香保温泉というと茶色いお湯、と思っていたのですが、ここはお湯が2種類あるそうです。黄金の湯が茶色で、白金の湯が透明。泊まった旅館は透明でした。温泉っぽさは少なくて物足りなかったです。でも殆ど下調べもせずに行ったのでしょうがないです。

帰りには高崎から上信電鉄で富岡に出て富岡製糸場を見てきました。これはまた後日に書きます。

木曜日, 12月 20, 2007

術後3年3ヶ月検診/エピテーゼ/ジムデビュー

昨日は、国際医療福祉大学付属三田病院に行って3ヶ月ぶりに主治医の顔を見ました。楽天ブログの方にちょこっと報告しました。異常なしでした。

紹介してもらったエピテーゼのこともちょこっと書きました。

それで、昨日は会社を休んだのですが、帰って来て、子供に夕飯を食べさせた後、あとの事(子供のお風呂など)をお父さんに頼んで、初めて、近所のジムに行ったんですよ。

鎌倉まで山を越えて歩いた時以来の久しぶりにスニーカーを履きました。あの後お父さんが腰痛になり、歩く事も運動らしいこともやっていませんでした。

タダ券での体験ということで、一通り説明してもらいました。スタジオでのヒップホップやヨガの教室もありますが、ちょうど良さそうな楽なクラスが無かったので、ジムでマシンを使ったトレーニングをぐるっと一周しました。

自転車を漕いだ後、腰、背筋、腹筋、肩、腕、胸、などなどの筋肉トレーニングをしました。それぞれに、重りがついていて調節できます。10回とか20回、曲げたり伸ばしたりできる程度の重りに、トレーナーさんが説明しながら調節してくれました。

それぞれに、目的とする筋肉が個別に動いているのが分かって面白かったです。肩こりも治りそうで気持ちよかった。肩こりを治すにはマッサージでなく、トレーニングも効きそうです。

私はなかなか体重が増えなかったのですが、食べる事だけでなく、運動量が足りないということもあるかもしれません。筋肉は食べるだけではつかないらしいです。

体重も量ってもらいましたが、実はちょっと増えていました。術後3年、増えなかったのに、会社に復帰してからの3ヶ月で2キロ近く増えたようです(びっくり!!)。よほどダレて3年間過ごしていたということでしょう。

汗をかくという程ではなく、ゆる~く体験させてもらいました。その後は、お風呂へ。

お風呂屋さんのような立派なお風呂でした。あんな立派なお風呂がついていたとは知りませんでした。サウナもありましたが、痩せたいわけではないのでサウナはやめておきました。

冬の夜だからか、ニュースでの乱射事件報道のためか(?)、空いていました。あと、実はここはプールもあって、子供のスイミングの付き添いでは何度も通っていた施設です。その時のママさん仲間と、大人の利用者とは、かなり年齢層が違ってました。当然なんでしょうね。年配の方が多かったです。

家に帰ってみると、子供達は二人とも寝てました。今朝も何事も無く普通に起きて普通に朝練へ出かけていきました。私が夜遊びして来ても全然平気なのね。

今日はお父さんが飲み会で、明日も忘年会へ行くんですって。

私もたまにはまた夜出かけることにします。

火曜日, 12月 18, 2007

何か足りない

仕事は新しい職場へ移動する方向で進んでますが、何か足りない気がします。

楽な仕事に変わりたい、と思ったのですが、慌しいのです。

朝、ごはんを食べ終わらない。残ったリンゴを薄切りにして会社へ持って行ったり、ご飯をおにぎりにしてラップに包んで持って行ったり、食パンの切れ端を食べ終わらずにラップに包んで持って行ったり。

晩ごはん用のおコメは朝仕掛けておこう、と思ったら、電車に遅れそうになり、小走りで駅まで急いでやっと間に合ったり。一度は本当に遅れてしまいました。欠勤がつくのでこの日は会社に行ったけど、半日休暇扱いにしてもらわなくては。

会社に行けば今更リンゴを食べる気にもならず、メールを読んで特許明細を舐めるように読んでたり。できるだけ食べるようにしていますが。

夕方は、お腹のすいた息子に急かされながら晩ご飯作り。

癌にガンッとやられて、生活を変えよう!と思ったのに、相も変わらず何故にこんなに忙しいんでしょ。朝と夕方は1分刻み。仕事は短時間勤務で、時間がないので休めない。休んでたら何しに行ってるんだか分からなくなっちゃいます。

今時、『楽な仕事』なんて、無い、という正統派のお叱りが来そうですが。上司も言ってました。「みんなやってるんだから。」

でも、何か違うはず。

そうそう、カラダを鍛えなくちゃ。

残業しないから、夕飯の後はそれなりに時間は空いているのです。洗い物はそのままだし、洗濯物も片付き終わってないけど。お皿は朝食の分と合わせてお父さんが食器洗い機を回してくれるし、洗濯物は娘がその気になれば(50円で!)片付けてくれます。なかなか、私やる気にならないの。

娘は毎日のように部活の朝練、夕練。息子も最近週に2回は朝練で走っています。会社に部活はありません。あればいいのに。   夕飯後の活動じゃ、会社の部活じゃ無理でしたね。

会社帰りにジム通いというトレンディな方も都会では多い(?)らしいですが。夕飯を放っぽり出して娘に任せるのも無理だし。

夕飯後に走るのかな、可能な線としては。  寒いけど。   近所のジムのタダ券があるから、行ってみますか今度。  って、いつか分からないけど。

金曜日, 12月 14, 2007

特許は戦い!(女性エンジニア日記)

とは言え、エンジニアは戦おうと思って発明をしているわけではありません。戦えると思って特許提案はしますが、もともと、要求されている製品開発の性能を満たそうと戦って開発を進めているだけです。

だから、こんないい性能が出るとか、こんなに新しいとかは書きますが、特許として戦うための視点はまた別なものが必要なようです。

書きすぎると条件つきとされて権利行使を制限される、とか、新規性の論点に限って主張する、とか、他社が使っていることを証明できない内容はお金を使って権利化してもしょうがないから出せない、とか、色々です。

今やっている自分の特許の対応は、休職前である3年前の提案のもので、その時点で自分の明細書に書いた範囲で審査官に新規性を主張します。当時の書き方に制限されて、主張できる内容が限られます。細かく色々気をつけて判断せねばならないようです。裁判だわけで、特許部権利化担当や特許事務所の、専門家の技術が必要です。

相談していて、自分の特許がどういう意味があるのか、改めて学ばせてもらっています。なかなか面白いです。続きをやりたくなってしまいます。3年経って、進んでいる状況もあるけれど、基本的な難題はあまり変わっていません。

でも、当然、もう誰かがやっているはず。どこも、一生懸命開発している内容だから。渦中でかかわる事は辞めようと決めたのだし。審査官が状況を理解してくれてあの特許が通れば、基本的な部分の大きな一部分を押さえられます。それでも、大きな満足は感じます。技術がそう進むかどうかは不明ですが。私の特許をよけて、他の技術が生き残って行くのかもしれません。どうなるのか、それは楽しみです。

通せるかどうかはやはり私よりも、戦う専門家の方たちの力量だなぁ、と感じました。もちろん元になる内容そのものが基本なのですが。だから、特許の権利を会社に譲るのは、けっこう納得しています。

木曜日, 12月 13, 2007

昨日も今日も特許対応(女性エンジニア日記)

許可になった自分の特許の継続出願の他に、拒絶査定が来た別の自分の特許の再審査申請対応も来ています。昨日も、今日も、特許調査ではなくこれらの特許対応をやってました。特許部に移ってきたお陰で私の特許を担当してくれていた人と同じ部屋になり、身近に相談しながら対応ができました。

この部屋の人たちや特許事務所の人たちが後の面倒を見てくれるので、エンジニアは出願の細かい事を考えなくて済んでいたわけです。つくづく、アイデア製造マシンにされてたんだなぁ、と思いました。されてた、って、被害的に言いたいというわけではないけど。やっぱり、この部屋の方が、もとの職場よりはのんびりとしています。

以前出した特許についての対応は前の職場では、雑用扱いだった仕事です。普段の業務をやり、その周辺から出る新しい特許提案もやり、その上で自分の以前出した特許の面倒を見るのは当たり前の雑用でした。特許部の人や特許事務所の人がよくやってくれるのですが、やはり対応の方針はエンジニアが出さねばならず、審査請求の内容の最終チェックもエンジニアがやらねばなりません。それが半期に1件ずつ、まぁ、不出になる(提案したけれど出願はしない)ものもあるけど、増えていくわけで。

今日はじっくり自分でも意見書を書き、じっくり特許部の人と相談しました。ぎりぎりの新規性判断を審査官とやり合うわけだから、そんな雑用でやれることではないのです。以前は業務時間中にはやる時間がなく、持ち帰り、通勤途中やお風呂や布団の中で考えてたわけで。普段の業務もみんな忙しいから、みんな夜の10時頃まで居ても普通だったし、土曜日の出勤は平気だったし、日曜日に出ることもありました。あの職場よりは、のんびり気味のこちらの職場の方が正常です。

だけど今日も、『これは厳しい、ダメかなぁ。』と思ったものが、見方を変えることで、『いや、行ける!』と気づき、その線で考えたり調べたりして、だんだんと形にする、というジェットコースターのような仕事になりました。この醍醐味がもう味わえなくなってしまうのは、ちょっと寂しいです。基本的にそれは好きだったから、やって来たのです。

今やっている2件とも、通れば大きな特許になります。その種はエンジニアが出すけれど、通す所は特許部の(権利化担当の)仕事です。頼りになる、女性の担当の方です。その先に特許事務所の方も居ます。きっと、通してくれると思います。

水曜日, 12月 12, 2007

『2004 嵐! いざッ、Now Tour !!』

最近聞いている嵐のアルバムはこれです。
          

ジャニーズの方針らしく、画像は出ません。これはCDですが、実は同じアルバムのDVDも持ってます。

           
  

やっぱり画像が出ません。

DVDよりもCDの方が丁寧に歌っています。バスの中でじっくり聞くと私が特にうっとりできるのは、「ジャム」と「チェックのマフラー」です。5人それぞれのソロがいいです。(チェックのマフラーはDVDには入っていません。)

DVDはコンサートの会場(横浜アリーナ)のセッティングがきれいで、臨場感が伝わってきます。これで見て大野君のダンスがすごっく上手いということが分かりました。「Eyes with delight」が、多重録画になっていて、5人それぞれに曲の間中1人を映しています。普通は1人を数秒とかで、色々な撮り方をしていて、映像効果があり全体を見られるのはいいのですが、1人をじっくり見ることができません。この多重録画は切り替えることで見たい1人をじっくり見られるので良いです。

火曜日, 12月 11, 2007

バス通勤と嵐はドキドキ

今度の職場は電車の後バスに乗るのですが、バスでは本も読めず、ぼーっとしててもつまらないので携帯オーディオプレーヤーで嵐を聞いています。これ、なかなか、いいです。

バスの席は窓から外を眺めることができるので、1人の世界に浸ることができてしまいます。けっこう窓側に座れるので。
電車だと、座っても立っても向かいの人の後ろに窓の外の景色を見るので、こうはいきません。

バスで座ってイヤホンで嵐の歌を聞いていると、木立ちのシルエットや、ビルや道路沿いの灯りの景色が移り変わるのを間近に見ながら、ニノや、相葉くんや、松潤や、大野くんや翔くんの声が1人の世界の中ですごく近く聞こえてきます。次々に、うわぁ、わぁっ、いいなぁ、ドキドキ、うっとり、って感じ。嵐って、ぜいたくです。5人みんな、いいんだもの。

ノイズカット機能つきのイヤホンの音がいいので、きれいな景色を眺めながら、耳元に嵐の1人ひとりの吐息が聞こえるような気がしてしまいます。

それにしても、今日は移動先の職場で、前の職場で出した特許の継続出願の調べ物ばかりしてました。新しい上司がまだ何もくれないし、前の職場の仕事だけど一応、やらせてくれています。前の職場では特許調査ばかりしていたんだけど。どちらも場所違い。結局、仕事する『場所』なんて関係ない。

遠い職場まで通勤する事で利益を得ているのは、電車とバスの会社だけ。うちの会社にとっては交通費がかかるだけ損害が出るし、私が仕事する時間だって減っています。移動するのにエネルギーを使うから、地球にも迷惑をかけているし。

移動時間で得られる利益を、嵐で増やさなくちゃ。

月曜日, 12月 10, 2007

夜に買い物/電子レンジのこと

土、日に買い物に行かなかったので、明日の朝ごはんのネタがありません。夕飯の後、買い物に出ました。

夕飯を食べるのに時間がかかるので、子供達やお父さんが食べ終わった後も延々と食べ続けて、出かけたのは8時過ぎ。近くの相鉄ローゼン(スーパー)が夜の9時までやっています。

月曜日はお肉の特売日だそうで、豚ヒレ肉と、鳥の水炊き用を買いました。鳥はわりと柔らかいし、豚は先日豚カツ屋さんで、ヒレ肉が一番柔らかいと教えてもらったから。これまで豚カツは食べられないと思っていたけれど、そこで食べたヒレ肉豚カツは柔らかくて食べられたのです。

あとは水菜と、スナップエンドウと、もやしと、食パンと、ヨーグルトと、ベーコンと、娘のお弁当用の冷凍のから揚げと、特別価格1個105円になっていたりんご5個と、おやつ用のビスケット類と。

冷凍のから揚げは、コーナーのはじっこの「無添加コーナー」に置いてある、合成調味料・保存料無添加のもので、オーブン調理可能なものを買いました。

改めてチェックしてみたけれど、やっぱりここのコーナー以外のはどれも調味料(アミノ酸)入りで、電子レンジ専用が殆どです。

電子レンジとタンパク質の事は書きましたっけ。

タンパク質は高分子で、右と左があるのです。よくは分からないんだけど。L-グルタミン酸、とか、言うじゃないですか。あのLというのは、左のことです。多分、高分子が左巻きか、右巻きか、ということ。

それで、動物のタンパク質は全部左型だそうです。それが、電子レンジにかけると、半分は右型になってしまうんですって。

分子レベルでガサガサガサっと、ゆすってしまうので、巻き方が壊れてしまうんでしょうかね。

この、右型のタンパク質を左型に変える酵素はまだ発見されていないそうです。だからから揚げを電子レンジで温めると、半分は人間が食べても使えないタンパク質になってしまうわけです。

これを教えて下さったのはNPO法人癌コントロール協会の、とある先生です。早口で口頭で話されただけで、出典や資料はありませんでした。細かい所は不正確です。ゴメンナサイ。

これを聞いた時にはショックでした。電子レンジ、便利なのに。

タンパク質が半分しか使えないものになってしまうと聞いても、時間が無いと使うこともあります。でも、できるだけオーブンやフライパンを使うようになりました。

夕食後の買い物で、重たくてくたびれた、と書こうと思ったのに、寄り道の話が長くなりました。

スナップエンドウのスジをむいて、明日の朝ごはんは何とかなりそうです。

おやすみなさい。

日曜日, 12月 09, 2007

冬のおでかけ:温泉の予約

年末も近づいて、年賀状や年末・年始の予定・手配はお済みでしょうか。

年末・年始の予約が埋まるのは早くて、とっくに埋まっています。実家へも交通手段が既に予約がとれず。
例年、混雑するこの時期にはあまり一生懸命帰る努力をしてません。

温泉に行こうと思ったのだけれど、年末は予約が取れませんでした。おまけにお父さんは、「大掃除が終わってから行け。」って言うし、娘は「お母さんと温泉なんか行きたくない。」って言うし。

娘の方は部活で忙しいので、年が押し詰まらないうちに息子と私で温泉に行く事にしてしまいました。まだ行ったことのない、伊香保温泉です。クリスマス前だと、まだ空いていましたよ。

金曜日, 12月 07, 2007

女性エンジニアはいい職業か。

エンジニアという職業は女にとってどうなんだろうか、という問いに対して。一般的にはいいと思います。

食べていけます。実力次第で思うような仕事ができます。男女差も比較的小さいです。組合がある会社なら雇用も安定しています。会社の子育て支援も普通にあります。

私がいるグループ(一般的な『課』に当たります)では4人居た女性が、この度私が去るとゼロになりますが、これはこのグループが多分特殊なのです。うちの組織の開発の最前線の最先端を引っ張る役目でした。いつも無理難題を言われていました。

私より前にうちのグループから隣のグループへ移った女性がいますが、その人の今の上司は女性で、そこには他にも女性が数人居ます。うちのように女が居なくなったグループがある一方で、女が集まっているグループもあるわけです。そこも最先端の開発をしていますが、部分的な最先端。

私にも覚えがありますが、特定分野に特化して掘り下げたいのです。時間的・人的な広がりに制限があるので、不足なく他の関係者との状況のすりあわせをして仕事を進めることが難しい。全体の最前線に寄与するには、ボーイズ・ネットワークに迷惑をかけがちになってしまうのです

特定分野を極めるのは楽しいです。でも他方で、今は、「それはミッションじゃない」と上から言われた意味も分かります。部分的にいくら極めても、全体を見るような課長、部長、所長へとつながる視野は開けない。女は専門職、と限られるのではなく、いずれは女性の部長や所長も出てきて欲しいと思います。

でも、隣のグループへ移った女性のように専門職的な行きかたもあるし、私が今度移ろうとしている特許関係も一種の専門職。辞めないでよりよい状況を求めていれば、女性エンジニアの道は開けていくと思います。

高給取りになることは望めないかもしれないけど。以前も書いたように、ライバルは欧米だけでなく、中国、台湾、韓国、インド、東南アジア、などのエンジニアです。彼らと肩を並べるような給料でも不思議ではないです。うちは製造業ですが、IT業界でも同様です。うちの会社の女性エンジニアも既婚者はほぼ例外なく共働きです。

でも今は、どのサラリーマンの奥さんも子供が小学校へ上がったらパートに出ない人はまず居ません。それはPTA役員をやれば分かります。ダンナさんの給料だけでやっていける人は少ないのです。女性エンジニアは、パートの収入よりは大分多い収入を得られます。今はまだ年功序列の制度が残っていて、多くの男性と平均では差があるものの、高給取りではない女性エンジニアの給料も年を重ねるごとに増えます。

但し、派遣エンジニアは厳しい場合もあるでしょう。今は景気がよくなり、採用も増えています。中途採用もあります。私が就職したのもバブルの最後尾の頃で、あのタイミングでしか雇ってもらえなかったと思います。あの前も、あの後も、女性の就職は殆ど絶望的、とか、言われたものでした。拾ってもらえてラッキーでした。

3年も休んでもまた仕事をさせてもらえるのだから、良かったです。

木曜日, 12月 06, 2007

知財協研修3日目:ペコちゃん焼き

今日は、知財協(日本知的財産協会)の研修の3日目でした。知財というのは特許のことです。はるばる電車を乗り継いで、飯田橋まで行きました。

今日の研修は最高でした。内容が具体的で、分かり易く役に立ち、テキストも良く出来ていました。さらに、講義も歯切れ良く、午前も午後も予定より30分ほど早く終わってくれたのです。わ~い。

飯田橋で研修がある、と話したら、同僚が『ペコちゃん焼き』のことを教えてくれました。日本中で飯田橋の不二家でしか売っていないそうです。行列になってますよ、とのこと。先日の(と言っても1月ですが)品質管理問題以来販売中止になっていたそうですが、復活して話題になり、テレビなどでも紹介されたらしいです。

   
お昼休みが長くなり食事の後に時間ができたので、行ってみました。飯田橋駅の近くに不二家があり、ペコちゃん焼きの文字が見えました。6,7人が並んでいました。混雑のため1人18個まで、と書いてありました。どっさり買って行く人がいるようで、あずき、クリームチーズ、いちご、マロン、の特定のものがごっそり無くなっては、その場で焼いたものが補充されていました。種類の名前は一部うろ覚えです。家族と自分のお土産にあずき味を買って帰りました。

家に帰ると子供達はお腹を空かせています。夕飯ができるまでお待たせしてしまうので、お土産が役に立ちました。サックリパリッとした甘めの皮で、美味しかったです。

水曜日, 12月 05, 2007

片付けなど(女性エンジニア日記)

今日は元の職場の方で定例会議がありました。先期、今期の業績とボーナスのことなどなど。

元の職場で何か用事があると、通勤が近くて助かります。ついでに、書類の整理などしました。

まだ元の職場に籍はあり、1ヶ月ほどは今までの机や棚を使わせてもらえる予定ですが、いずれ今までの書類の殆どは捨てねばなりません。

もう使う予定のない資料はバサバサと捨てますが、捨て難いものも色々あります。

海外出張のついでに寄った大学で、会わせて頂いた仙人のようなインド人の教授がありました。生きた伝説のような方です。頂いた論文や、個人的にして頂いた講義のメモ、到底捨てられません。

書きかけて仕上がらなかった論文のメモや資料、大半は捨てられるけれど、愛着のある分野のものは、やはり捨てられません。

私は仕事を変えていったいどうするつもりなんだろう、と、考えました。丸っきり変えるのなら、全部捨てればいいわけです。でも、一応技術に関係のある職場に行くことにはなったし、開発の現場から離れるのなら、開発に囚われずに好きな分野は趣味のように(?)追いかけることができるかもしれません。急いで全部を捨てることはない、と考えることにしました。

出した特許関係の資料も、これらは実務上捨てられません。結構多いです。ダンボール箱が要りそうです。

私が計画して私が作った試料で、いつの間にか(私が海外勤務している間にですが)他の人たちが分析を企画して実行し、結果報告会にだけ私を呼んでくれた時の資料も出てきました。こんなこともあったなぁ、と、思い出しました。
彼らは大人数、私は蚊帳の外、でした。先日の、『上司とうまくいっていない同僚』の話を思い出しました。彼女も私も、同じようなことを経験しているのかもしれません。
見事なデータで、見ていると感慨深いですが、今となっては古いデータ。捨てようかどうしようか、迷いましたが、代表的な図面だけとっておくことにしました。

男達は、ごはんを食べながら、無駄話をしながら、廊下ですれ違いながら、電車に乗りながら、集団で事を進めているのです。女はそれに乗れないこともあります。(女は女同士の結束を固めればいいのです。)

単行本も、考えてみると基本的な重要なものと、手放してもいいものとがあります。いくつかは手放さない方がよさそうです。

私が導入した装置、ウン千万しましたが、廃棄することになりました。もう古いし、私が休職している間は使う人が居なかったのです。これだけの予算をもらえたのだから、会社にはよくしてもらったと思います。

作った試料も、可也の予算が必要だったものです。作らせてもらえたのは、大したことだったと思います。まだ捨ててないけれど、これらは捨てねばなりません。

米国駐在中の共同開発相手の試料、他社に属する情報が入っているので、全部を自分で確実にシュレッダーにかけなければなりません。所々に出てくるのでドキッとします。うっかり捨てて訴えられたら大変です。もう古いからそんなこともないだろうとは思いますが。普通の社内資料はリサイクルセンターでおじさんがシュレッダーにかけてくれるのですが。

米国駐在の記念品や写真、捨てられません。

そんなに新しい職場へ持っていけるかしら。

まだ本当に移動するのは先ですから。

火曜日, 12月 04, 2007

焦げちゃった

くたびれるとロクなことはありません。

今日は夕食後にオートミールとバナナのマフィンを焼いたのですが、真っ黒焦げになってしまいました。温度を間違えたのか、時間を間違えたのか。

車の運転をしたら事故りそうなモードです。調整が必要。

新しい方の職場に2日行きましたが、新しい机の向こう三軒、両隣、後ろの席、みな、知らない方ばかり、一通りご挨拶しました。後姿は近寄り難いですが、お話してみると皆さん近づき易いです。でも、やっぱり座っているだけで疲れます。

特許の権利化担当の方々は少し席が離れていますが、そこには今までにお世話になった方々が何人もいました。特許を書く立場の時にお付き合いがあったのは、権利化担当の方々だった、と、最近知りました。

最近登録になった大きな特許の権利化でお世話になっている方も同じ部屋にいました。移って来る予定です、と言ったら驚いていました。継続出願の手続きをまとめるのが楽になる、と思ったようです。技術部から特許部へ移ってきた他の方も、自分の特許については技術部と連絡を取りながら自分でも対応をしているそうです。私もそうできるのかもしれません。

パソコンの設定や仕事上のメール設定、イントラネット・インターネットの設定を一通りやって、仕事が始められるようにはしました。1件だけ貰って、結構うまく調査ができました。でも、くたびれて、まだあまり貰いたくないので、あとは今までの練習調査の整理などしました。

新しい上司も、ゆっくりやればいいから、と言ってくれて、他の課題はまだ無しです。助かります。

月曜日, 12月 03, 2007

スペインも(ニノの日記より)

ドイツ人やフランス人のお昼休みはビールを飲んでいたり長かったり、ということを昨日書きましたが、スペインもそうらしいです。

ジャニーズウェブ(携帯サイトです)に嵐の二宮和也さんの『ゲーム日記』というブログがあって、毎日更新してくれています。数日前からスペインに行ったと書いてくれていました。どうやら、今日帰ってきたようですが。

ニノの昨日の日記によると、スペイン人も昼間っからビールやワインを飲んでいて、お昼休みは2時間くらいあって、家に戻ってお昼ごはんを食べ、その後仕事に戻るそうです。

2時間あれば、後遺症で超スロー飲食の私もゆっくりご飯が食べられるのに。通勤が1時間以上なんてこともないんでしょうね。いくら2時間あったって、家が遠ければ帰れませんから。

私が米国勤務していた時も、お昼休みは1時間だったけど、外の保育園に毎日通って娘に授乳してお昼を食べて遊ぶのに何の束縛もありませんでした(子育て日記の方に書きました)。同僚の中には毎日サンドイッチを買って昼休みにゴルフに行ってる人もいました。家に帰って食べている人もいました。

ドイツ人の同僚達は夏休みを2ヶ月とってました。休んで、休んで、仕事の事を忘れるまで休まないといけないんですって。もちろん、戻って来てからもきっちり仕事していました。

就業時間中に外に乳幼児健診に行ったり、歯医者さんに行ったりするのも許容されていました。「そういう事が従業員にとって大事だということは会社は理解しているから許されている」と説明されました。私が居た会社だけかもしれないけれど。

日本は(うちの会社は)管理、管理でガチガチです。外に出たら一々勤務表に書かねばならない。実際、やる人はいません。

よくぞ、この中に適応してやってるもんです、かく言う私も。

だけど、いい加減さ、というか、ゆとりのある『遊び』の要素は大事。遊び、と言った方が、『いい加減』ほどにはいい加減に聞こえないですね。

日本人には遊びが欠けてますね。カジノもないし。

団塊世代が大量退職した後、遊んでもらうために、カジノを作ればいいんじゃないかな。若い人の就職先にもなるし。

日曜日, 12月 02, 2007

いい加減の効用

本格的仕事復帰へ向けての、身につけねばならない『何か』があるかな、と考えていたのですが、うまく言えないけれど何か『いい加減の効用』のようなものが、大事なのではないか、と思いました。

通勤1時間半x2の3時間を毎日、短時間勤務とは言え、5.75時間勤務を毎日、という暮らしを全力投球でできないのは当たり前という気がします。家事もあるし。まして通常勤務でできるわけがない。(以前は残業までやってたけど。)

3時間だって、全力投球したらくったくたになるのに。

思いっきりやった後、リラックスできるような場所が会社の中にあるわけでもなし。タラタラととにかく時間をそこで過ごすことが前提になっているのです。今の会社は。

ヘンだけど、そう要求されている中で生きるには、それに合わせなければしょうがありません。

いい加減は大切、と思います。グローバリゼーションで、価値観は多様なのだから。謹厳実直だけが世界ではありません。

最近つくづくそう思った理由が二つ。先日、映画の「エディット・ピアフ」を見ました。フランス映画です。下町育ちのシャンソン歌手の一生の映画です。下町育ちということもあるのだろうけれど、フランス人の冗談好きは、真面目で勤勉な日本人とは気風がかなり違う感じです。

フランス人も癌になる人は多いらしいですが、お酒や甘い飲料など食生活に依るものが多いらしいです。日本人は生真面目さとストレスに依るものが多いらしい。日本の職場で昼食時にお酒は飲めないけれど、米国で勤務した時に一緒だったドイツ人は昼食時にビールを飲んでいました。フランスは、昼休み自体がかなり長いのではなかったっけ。
フランス的な気風は、多分あまり癌になり易くないのかもしれない、と思いました。

もう1つは、最近のロシアについての講演録を読んだのですが、ロシア人の気風も自由奔放的な所が強いらしいです。だから、帝政ロシア時代は帝政で(殆ど知らないのでちゃんと書けないけど)、ソビエト連邦時代は共産主義で、強力に人々に枠組みを与える必要があったらしい。で、ソ連邦崩壊後、本来の奔放な素の民族性が出てきている、という講演でした。(ちゃんとした紹介でなくてごめんなさい。)

東南アジアも、以前旅行で一緒になったフィリピン人はかなりゆっくりで目盛りのはっきりしない体内時計で動いていたし、東南アジアにいる弟の会社の従業員の感覚も、日本人よりかなり自分中心的らしいです。でも、それは極めて人間的に自然なのじゃないかしら。

大体、キリスト教とイスラム教と仏教とヒンズー教と、その他色々な考えの世界中の人が仲良くしなければならないんだから。   いい加減な話ではなく、いい加減は大切。何だか、書き方が間抜けです。落語で芯を形成した樋口強さんみたいにバッチリとは表現できないですが。

土曜日, 12月 01, 2007

暖かくして

『ゆたぽん』を電子レンジで暖めては、お腹にのっけたりひざにのっけたりしています。暖かいです。
去年買って、去年も連日使いましたが、壊れていません。布の袋がついていて、レンジでチンした後それに入れて使うようになっているのだけれど、使いにくいので布袋は使わずにそのまま使っています。






癌は卒業ということがなく、いつまでも再発の可能性はある、というものらしいですが、再発しないためにはどうすればいいんでしょうね。

まぁ、治療(放射線、抗癌剤、手術)をして以来、ずっと考えてきたのですが、統合医療やサイモントン療法を受けて、だいたい今は再発無しに落ち着いた生活になったのですが。ここで職場復帰をして、何か、もう一歩、何かしなくちゃいけないことが、あるのか、ないのか。。。まだ、万全という気分になりきれないところがあります。

体力的な事を考えると遠くの職場には通いたくないけれど、仕事をしないよりはした方が、精神衛生上はよさそうだし、経済的にもその方がいいし、多分子供への影響もその方がよさそうです。
だったら多分、健康にもその方がいいのかもしれません。。。。 健康にいい状態での、仕事の仕方でやらないといけません。

職場を変えるのは、多分健康にいいはず。今までの職場では私はゆとりがもてなかったから。

明後日からは原則的に『遠い職場』の方に通うことになりました。所属は今のままで、毎日近距離出張です。今までと同じく短時間勤務で、但し通勤時間が増える、という状況です。正式に所属を移す前の、お試し通勤ということです。

ついつい、仕事でスピードを出しすぎてしまう癖があるので、通勤時間が多い方がブレーキになっていいでしょうか。  そういう風に思うことにしましょうか。

金曜日, 11月 30, 2007

共同作業の難しさ

先日も書いた『上司との関係が悪くなっている同僚』と、今日もトイレで話したのですが、彼女は今日も別の事で怒っていました。

成果の見えて来た仕事について、自分が最初に始めたものなのに、自分にだけ情報が回って来なくて外されている、と感じているらしい。

そうなのかもしれないし、そう感じ過ぎなのかもしれない。

どちらにせよ、トラブル感覚にいつも捉えられている感じで、気の毒です。聞いてあげても、アドバイスをしても、いつも何か新しいトラブルの話になるので、そういう人もいるんだなぁと思う所までで、それ以上に助けてあげられません。

いずれにせよ、女性の場合に男の中の仕事で共同作業が難しいのは確かです。男同士でも、成果がからむととても難しいのでしょう。男同士でもものすごく気を使って、連絡を取り合って互いを気にしながら進めています。その『輪』の中に、女は入りづらい(入れづらい)ということは、間違いないです。

そうすると仕事は進めづらい。結果の評価もされづらい。自分が優秀だと思っている女性が、耐え難いと思っても不思議ではないです。いわゆる『グラスシーリング(制度は男女平等なのに、見えない天井があって女は昇進できないこと)』に一般化できるかもしれません。

スムーズに仕事をするには、男性の中にまでネットワークを張る才能が重要です。私もそれは、できなかったけど。十分にはできない中で、精一杯アンテナを上げて、やってきました。アンテナを向ける一番大事な相手はやはり会社では上司なのだけど。彼女はいつも上司に不満なようで、残念だしもったいない。

折しも、私も移動の間近になって、大きな特許が登録になりました。それの継続特許の検討をしています。移動するとは言え、大きなネタだから私も手放したくないのですが、共同出願の元上司も、大きなネタだから、私が居なくなったら自分が一手に引き受けると言いそうな勢い。他にも何人かの共同出願者がいます。移動したら持って行けないのかなぁ。会社に権利は譲ってしまっているわけだけれど、アイデアは私のものだし、継続の内容も私が出したから、私がやりたいのだけれど。近々、アンテナを向けるべき上司が変わって、特許を書くのが業務ではないところに移ってしまうわけで。元上司の方にある程度を譲って、他の方々共に働いて頂いた方が私も助かるのですが、筆頭出願者はキープしたい、と思ってしまう今もエンジニアな私なのでした。

水曜日, 11月 28, 2007

勝ってはいけない:その2

以前も書きましたが、同僚(ちょっと後輩)で上司との関係がとても悪くなっている女性エンジニアがいます。相変わらず、上司をけなしています。まぁ、本人の立場では、ひどい上司やり方の被害者と思っているようです。

特許の事で不満があるらしい。自分の提案がきちんと処理されず出願に結びつかない、とか、他の人の実績になる、とか、関連の会議の内容が知らされていない、とか、上司が全然内容が分かっていない、とか。

関係がうまく行っていないから行き違いもひどくなっていて、実際に正当でない事も起きている部分があるのだろうけれど、聞いていると、『そんなことだってあるよ』と思ってしまう部分も多いです。

私だって、殆ど考えてあげたネタで後輩が筆頭出願者になった特許もあるし、私のネタにぞろぞろと上司や他部署の上の人まで共同出願者としてくっついて出した特許もあるし、『彼の顔も立てないといけないから』と言われて私に対抗意識?丸出しだった男性同僚を共同出願にして出した特許もあります。

でも、その都度、それぞれに私は納得はしてきたんだけど。

彼女は『不当だ』という意識が埋め合わせられない事が続いて、雪だるまのように成長してしまったよう。他の不満も、雑用仕事が多いのに評価されない、学位を取ろうとしているのを邪魔される、上司は何も理解していない、など、色々あるようです。

私がやってた仕事も、上司は理解なんてしてなかったけど。雑用も私も色々やったけど、彼女はもっと大変なんでしょう。

もう行き着くところまで行き着いてしまっているようで、移動(転職?)を考えているようです。でも、動くことも上司にじゃまされるだろう、なんて言ってます。

それで、私も、ふんふんと聞いていられなくなって言ってしまいました。「けんかしちゃだめだよ、家族じゃないんだから。移動先もみつけてはもらえない。最低、相手の面子は立てないと。出るにしても、いい状態で出なければ、不満が原因では移動先でもいい出発はできない。移動して元の職場の評価を上げるようにしなくちゃ。」

全部自分に跳ね返ってきます。私も今の職場は捨てようとしているわけで。

『家族じゃないんだから』は咄嗟に出たのですが、仕事の上での役割を会社という仕組みの中で担うには、他の人たちと分け合わねばならないものも多いと思います。自分を丸ごと評価して欲しいのは分かるけれど、会社はそうはしてもらい難い場ではないかしら。

女性だから不当にされている、という要因も実際にゼロではないか、ひょっとしたら本当にそれはとても大きいのかもしれません。でも、男が女を不当に扱うのも、そうしてもいいという家族っぽい甘えが男の側にあるのだと思います。

だからこそ、同じレベルには居ないようにしなければ。元々、家族じゃなく他人の集まりの会社なんだから。

火曜日, 11月 27, 2007

硬縮とプロテーゼ:プロテーゼのまま寝てみる

仕事復帰して時間がなくて急いで食べるようになって、プロテーゼが当たって痛い、と書いたのですが、別の要因もあったようです。

どうも、ほっぺたのでっかいえくぼがさらに窪んできています。縫ったところの硬縮です。下顎の折れているところを支えるためでもあるかもしれません。硬縮については、主治医も殆ど説明してくれませんでした。防ぎようはないのか、縮んでくるんだよねぇ~、と言われるだけ。

で、今までよく分かっていなかったのだけれど、プロテーゼが当たって痛いのはほほ骨で支えているからではなくて、この縮んできているほっぺたの内側にプロテーゼが当たってたようです。ちょうど、癌で切除した上顎があったはずの辺りです。

夜はプロテーゼを外して寝ていたのだけど、そうすると夜の間にゆるんで膨らむのか、縮むのか、口の中が狭くなる方に変化しているようで、朝、プロテーゼを入れた時にきつくて痛い、ということがありました。その後朝から午後にかけてだんだんとほっぺたの内側がプロテーゼの形に合って型がつくような感じで、落ち着いてきます。

そこで、思い切ってプロテーゼをしたまま寝てみました。だって、外すとまた入れる時に痛いんだもの。

案外と、したまま寝られました。で、起きて朝食までの間くらい外して、入れなおしたら、バンザイ! 痛くない。ほっぺたの内側が、プロテーゼの型がついたまんまです。

プロテーゼでつっぱりをした方が、ほっぺたが縮むのを止められるのかしらん。

あと、右目の下もへこんで来ています。ほほ骨はあるけど、その下の骨がないから、やっぱり変形してきているのかも。でも、手術の前はほほ骨も取ると言われていたのだし。このくらいは我慢でしょうか。

右側の頭が痛くなるのも、脳みそが押されているのかなぁ。

変形はどこかでは止まるはずなので、それに脳みその形が合うように落ち着けば何ともなくなるはず。と、素人考えで。

昨日はプロテーゼを外して寝て、今朝もわりとマシだった(それほどには痛くなかった)のですが、今日はしたまま寝ようと思います。ほっぺたに型取りです。

ではおやすみなさい。

月曜日, 11月 26, 2007

移動せざるを得まい

月曜日に結論を出すように、と、部長に言われていました。

退職して関連会社へ転職する道があるのなら、『遠い職場』の方へ移動してみて、うまく行かなかったらその後で転職してもいい。移動してみたら、その後他の展開があるかもしれないし。

というわけで、長距離通勤をやってみることにしました。

この国で、首都圏で、1時間半の通勤は普通、という言い方は通ってしまっています。ホントは普通じゃないと思うんだけど、しょうがない。

朝ごはん、食べ終わらなかった分は持って行って会社で食べよう。

通勤ラッシュで上りの電車に乗らねばなりません。バスにも乗ります。どの列車のどのドアから乗るか、何分の電車に乗れば楽に安定して職場に着くか、調べねば。改札の列で並ぶ時間の長短で数分変わったりします。短時間勤務はフレックスではないので、1分遅れると欠勤がつくのです。慌しいなぁ。

免疫下がらないようにせねば。

仕事をしている1時間と、通勤の1時間では、通勤の方が楽なはず。かな?? 座れればねぇ。

仕事も、勤務時間の数合わせのためにたらたらとやっているような時間は疲れない。最近、休みがないので、とにかく会社に居るようにするために行っているという日もあります。休めると思ってた頃よりず~っと集中度は落ちてます。

電車で見ていると、座っているどの人もどの人も、疲れてるね。やっぱり、勤務時間中『管理』されるために、通勤している人が大半なんでしょう。うちの会社で『管理』は欠かせないものだったようだし、日本の大半の会社でもそうかも。

この国、大丈夫かな。

変わらないと、どんどん忘れられて行くよ。Japan as No1 なんて言われた頃もあったのに。

女を使いこなすこともできないなんて。ITも使えていないし、通勤に時間とエネルギーを無駄に使って、付加価値を減らして地球を暖めて。

と、遠吼えでした。

日曜日, 11月 25, 2007

オートミールのマフィン

奈津子さんのオートミールマフィンがおいしそうだったので、私も作ってみました。レーズンを入れて作りました。美味しかったです。子供達があっという間に食べてしまいました。

カップが足りずに、オーブンレンジで天板で上の段で大きなカップ、下の段で小さなカップが一続きになっているもので焼きました。同じような焼き上がり。2段で一度にうまいこと焼けたので嬉しかったです。

子育て日記の方で画像ファイルの通信費について書きました。そこで例にした画像です。


480ドットx640ドット、通信費約140円


240ドットx320ドット、通信費約40円

土曜日, 11月 24, 2007

顔がえぐれて30年(でっかいえくぼ)

最近お会いしたある方(大学の講師の先生)が、「私の知っている人にも、顔がえぐれてる人がいますよ」と教えて下さいました。

私、えぐれて、って程ではないと自分では思っていて、『でっかいえくぼ』って自分では思っているのですが。

癌ですか? と聞かれて、そうです、と答えました。その『知っている人』も癌だったんですって。もう30年も前のことで、今もお元気だそうです。

お子さんがいらして、自分が死んだら子供をどうしよう、とか、その時には言っていたけれど、「あの時はそんなことを言ってたわねぇ」と今は話しているとのこと。

元気になり、とてもラッキーな例だったそうで、「私、学会誌に載ってるのよ」とも話しておられるとのこと。

珍しい癌の方、重症の方、学会誌に載せてもらえるように頑張りましょう。私もIV期だったから、30年もしたら載せてもらえるかしら。

木曜日, 11月 22, 2007

メモリーは何のため(その2)(病み上がり女性エンジニア日記)

何のために開発をしているのか。

昔、パソコンの画面でイルカが飛んだりすると腹が立った、と書きました。(書かなかったっけ。曖昧ですが。(5月11日の記事でした。))

メモリーもCPUも、ディスクも、社会貢献のためでもなく科学の進歩のためでもなく、ゲームや動画や、すうっとフワッと動くウィンドウやアイコンのためにあるのです。計算のためにメモリー増設しているのに、無駄に半透明に重なって見える文字やアイコンを見ると苛立たしくなったものです。

この開発をするために、どれだけタイヘンな思いをして皆頑張っているか。残業続き、それでも目標に達せず、実際うつ病になっているエンジニアも何人もいるのです。

でもね。それは変なんです。その開発は何のためかというと、実は、イルカを飛ばしたり、アイコンを半透明にしたりするため、そういう遊びをするためなのです。どうにも、釣り合っていない。

開発競争はグローバル。もう、台湾や、韓国や、中国が、迫り、追い越して行こうとしています。彼らの技術が上がれば、製造コストでは勝てない。

でも、そもそもイルカやきれいなアイコンのために開発しているということに気がつけば、もう、そんな開発自体、やっている場合ではない。そこに気がついたアメリカは、とっくにハードではなく、ソフト業界へとシフトしてしまいました。米国の会社でも大学でも、プロセス開発をしているのはアジア人ばかりです。
わずかに、ノーベル賞を出すような超一流会社には白人のハードエンジニアがまだ居ますが。

要するに、構造的に、メーカーの仕事は今、大変な割りに報われない状態にあるんではないかしら。競争相手の給料が十分の一なら、同じ利益を出すには10倍の仕事をしなければならないのです。

これは、渦中に居るよりは、傍観する立場に行かなければ、楽しめない。

やっぱり、ガンがきっかけで抜けられて(多分抜けられるでしょう)、良かったかも。

尤も、グローバル競争にさらされているのはどの業界も同じ。非正規社員もタイヘンだけど、正社員もタイヘンで、誰も楽はできない、のかな。

水曜日, 11月 21, 2007

退職?

部長に呼ばれました。

移動先候補がもう一つあって、場所は近く、特許調査の仕事。ここまではいいのですが。

そこが求めているのは即戦力。

調査範囲も広く、すぐに私にできるわけはないので、特許調査専門の関連会社へ移って、そこのサポートを受けながらやる、とのこと。つまり、退職・再就職しなければならないわけで。

いいのか、悪いのか。

いいのかもしれないけれど、その関連会社は何となく、おじ(い?)さんばかりなのではないか、という印象が。

これで、新しい仕事の候補は合計3つです。  もう、あまりわがままも言えなくなってきました。

火曜日, 11月 20, 2007

女性ネットワーク(頼りになるかも、部長!)

復帰以来、懐かしい女性の同僚達とトイレで情報交換をしました。どういうわけか、やっぱりトイレが多かったですね。

どうですか? 特許の仕事を紹介されてます、  て感じで。

皆さん応援して下さって、ありがたいです。

で、遠い職場はどうも、、、、という事も、話しているのです。

で、どうもどうなるか危うい様子だと思って下さった、斜め上の女性の方(部長と同期くらい?)が、部長に聞いて下さいました。

部長、また、動いて下さっているようです。どうなるか分からない所で私に言って期待させてもいけないので、はっきりしてから教える予定だとのこと。

この女性の方が、

「私から何かしましょうか。」

と聞いてみて下さったところ、怒ったように

「ちゃんとやってるよ。」

と、言われたそうな。

部長! 一時的にでも、O部長だったらとかB部長だったらとか、考えたりして、すみませんでした。

期待してもいけないですが、信じて待ちながら今の仕事をやりましょう。

日曜日, 11月 18, 2007

元気を出そう:映画『黄色い涙』とアラシ ノ デンゴン

嵐の5人が出演している『黄色い涙』を見た時、地味な映画だなぁ、と思いました。ピカピカの人気アイドル嵐が出ているにしては、そういう派手な印象のない映画でした。

でも、見ただけでは私にはその意味までは分かりませんでした。

雑誌SWITCH5月号『Switch(25ー5)嵐-アラシノデンゴン』に、アイドルグループ嵐についてと、映画作成の経緯や、監督犬童一心氏、原作者永島慎二の長男永島志基氏、嵐5人それぞれがこの作品に寄せる思いについて、書かれていました。




(表紙には嵐5人の写真が載っているのですが、ウェブ上には隠した画像で出すようです。)



思い切り、子供には(まだ子供に近い?私には)分からない映画だったみたいです。『昭和』という時代について、とても考えさせられました。

『黄色い涙』は東京オリンピックの頃が舞台で、高度成長期の上り調子の世の中に乗り切れずに、作家志望、歌手志望、画家志望、漫画家志望の、夢を追いかけようとしてうまくいかない若者の映画です。1人だけ、この4人を応援する勤労青年が居ますが。

世の中はこの後、全共闘など、『体制側』を批判する若者の波が大きくなるものの、やがて若者が大人に吸収されるにつれてその波も消えていきます。そこはこの映画には含まれませんが。

映画の登場人物の5人は、上り調子の『体制』を担う側には含まれない若者たちです。

私の父は(親戚も)国家公務員で、『民間人』をバカにしていました。だから私は父が大嫌いでした。銀行員、農家など、勝手に格下に見なしていました。あからさまに『体制』を背負った、虎の威を借りる狐です。『黄色い涙』の若者達も、父から見れば格下に見たことでしょう。

私が大学に入った頃には、学生運動なんて遠い昔の出来事で日常に接することは殆どありませんでした。立て看板はありましたが、知らないままに怖いもの・危ないものというイメージで、避けていたと思います。

私は、グレたいと思うことはあったものの、そんな勇気もなく、公務員にはなりたくないと思ったものの、やはり安全を考えて大会社に就職してしまいました。

会社で過ごしてみて、公務員ほどではないものの、やはりかなり『体制側』だと思います。

全共闘で頑張ったかつての若者は、安定した生活のために安定した就職をして、自分の信念を翻してしまったような、苦さを感じることがあるのではないでしょうか。きっと『黄色い涙』をそんな懐かしさで見るのでしょうか。

でも、私はそんなものを感じないですむのです。基本的に、『体制』はまだ女をその要素として組み入れていないからです。入ってはみたものの、基本でははじかれているのです。

だから、あの映画で描かれていた若者達が、自分を失わずに体制の中で生きていくことを可能にしようとする歩みと、同じ道を歩むことができるのではないでしょうか。

私は、ただ会社の中にいて、事実のままに

「それはできません。」

と言うだけで、会社を変える必要があることを無言で示すことができます。

柔軟な制度は本来は会社を強くするために役立つのです。私には間に合わないかもしれないけれど、言うだけでも。

などと考えて元気が出ました。戦争中(硫黄島のニノ)、高度成長期、と、今を体験している嵐、すごいです。

金曜日, 11月 16, 2007

いい人には変革はできない

入社して暫くした頃に居た部署のO部長は、ひどく評判の悪い人でした。部下は呼び捨てで、大きな声でいつも誰かれを叱り飛ばし、報告書を見てもらうとマジックで大きくバツを書いたり、『バカ』と大きく書いたり、する人でした。

同僚の中に、立派な学歴だけれど他人と一緒に仕事することができない人がいましたが、学究肌の前部長が某大学に転職された後に、O部長になって、辞めさせられたようです。普通、労働組合員は辞めさせることはできません。でも、O部長は、本人を説得して辞めさせてしまったのです。正直、私は助かりました。この同僚は色々な人とトラブル続きの人で、皆でそのフォローをしなければならない状態だったからです。

人間的には前部長の方をずっと尊敬しますが、O部長だからこそあの困った人をなんとかすることができたのは確かです。

私が米国勤務ができたのも、まず夫が赴任することになり、一緒に仕事で行く事ができたのはO部長だったからこそ、かもしれません。奥様が当社に勤めていない場合はもちろん、社内のカップルでも、一緒に行った他の殆どの例では奥様達はみな自分の仕事を辞めて行ったのです。

米国から帰った頃に上だったB部長は、豪胆な人でした。仕事の内容を大胆に枠組み以外の領域で指示したり、規則では禁じられていることでも理由があれば、オレが責任取るから、と言って許可して下さることがありました。社内外双方で活躍されていましたが、今は社外に出てしまわれました。

今の部長は、管理部や組合についてこそキツイことを言っていますが、基本的に上品な礼儀正しい人です。部長になったばかりは初々しかったものです(失礼!!)。 上司も、人間的なバランスのとれた良識的な人です。 管理部の人も、にこにこと善良な人です。 組合の書記長も、きちんと誠実な人です。

いい人には、現行の決まりに沿わないことはできないのです。 

先進的な新しい制度もあって、それを作った人はごく最近の人なのだけれど、それを半歩出ることはその人以外にはできないのです。

私の行き先は、現状、膠着状態ですが、B部長や、O部長だったら、どうだっただろう、と思います。ある意味、会社は面白い。

男の人の(いや、男に限らないのですが)力量は、人柄とは別の側面があるようです。今でもO部長を良く言う人はいませんが、当時の所長レベルの方は、やはりO部長を高く買っていたのです。

さて、私はとりあえず『遠い移動先』でも、そこしかないのなら、行こうと思っています。 行って続けられないかもしれませんが。

が、まだ他がみつかる可能性はあります。

うちの職場の敷地内には、うちの組織以外の組織の建物もいくつもあります。また、この敷地の他にも、近隣の駅にはいくつか、うちの会社の事業場があります。それらの中で移動先が無いかどうかはまだ分からないかもしれません。
そこまで調べるチャンネルがあるのは、管理部なのでしょうけれど、部長が「冷たいもんだよ」と言うように、管理部は多分まだ何もしていないのです。

毎日通勤で歩いていて、そこの入り口から入ってみて直接聞いてみたいような気がしてしまいます。本当にないのかなぁ。

知り合いでも居れば何か分かるかもしれないのですが、組織が違うと何も接点がありません。多分、部長もそうなのです。

なんて事を考えつつ、移動予定先の特許調査の仕事を進めています。

水曜日, 11月 14, 2007

無線LANは便利すぎる??

うちには今デスクトップのPCが2台、ノート型のが3台あります。デスクトップの1台はもらいもので、データ置き場になっています。ノートの1台は最近買ったもので私用だけれど、2台は壊れたものをハードディスク入れ替えしたら動くようになって、1台を子供用にしています。

子供達もけっこう使いたがるので、あまり便利にはしたくなくて、最近までLANケーブルで、デスクトップの2台とノート型2台がインターネットに繋がっていました。ケーブルなので場所が限られるので、お父さんが寝てしまうとインターネットができないという状態だったのです。

でも、しばしば、ネットに繋がっているノート型の取り合いになりました。デスクトップはお父さん専用で、ノート型は私が管理しているけれど子供達がよく割り込んでくるのです。テレビもワンセグにしたので、尚更でした。

で、取り合いがうるさかったのか、単にやりたかったのか、お父さんが無線LANを入れてしまいました。ついでに安い液晶テレビも買ってきてしまいました。

私は、家の中のどこでもネットができる状態になってしまいました。夜中でもYOUTUBEが見れちゃうのです。

無線LANが入っているノートPCは私専用で、子供は使えないことになっています。子供が使うノート型は相変わらずリビングでLANケーブルに繋がっています。すぐ横にテレビも。子供のネットは今もリビングに限られていますが、子供がテレビを見る時間は一気に増えました。

無線LANでやってみて、便利なのはいいけれど、便利すぎるなぁ、と思います。会社で仕事して、家の事をして、子供の相手をして、それだけで寝ることができないで、その後ネットをやってしまいます。物理的にやれないならばやらないのでしょうが、できると、やるのですね。

つい、睡眠時間が減ります。 ブログの更新は、増えましたね。

うだうだと自分の事をする時間も、必要だと思います。そんな感じです。

火曜日, 11月 13, 2007

急いで食べるとプロテーゼが不調

仕事復帰して、最近は毎日、会社に行ったり近距離の出張をしたりです。時間が限られるので、急いで食べることになります。

夕飯を作る時間も限られるので、メニューに固めの物が多くなります。刻んだきゅうりを食べたり、お味噌汁の玉ねぎが固めだったり、さっと作れるけれど野菜や肉が固い、肉野菜炒めだったり、買って来た焼き鳥や豚カツだったりします。

時間がないので、それでも頑張って食べます。頑張って食べても家族よりうんと遅いのですが。

そうしているうちに、プロテーゼの当たる所が痛くなってきてしまいました。なんだか腫れているようで、朝、プロテーゼを入れても、痛いです。だましだまし入れて、ご飯とお弁当を作り、慣れた所で食べています。

こういうのを繰り返して、だんだんと口の粘膜がかかとの皮膚みたいに??鍛えられて、固いものも食べられるようになっていくのでしょうけれど。食べる内容の栄養量は増えているのかもしれません。

もちょっとゆっくり食べたいものです。これで通勤時間が増えたら、まずやっていけない。一旦、もう一度もちょっとゆっくりモードに戻して、痛くない状態にしなければ。

ラコールも残っているので、復活です。

今度の産業医との面談で、言おうと思います。

月曜日, 11月 12, 2007

起業か、転職か???(女性エンジニア日記)

今日は元?移動予定先へ外出してきました。  どうも移動させてもらえなそうなので、元?、です。

先方と私の方との部長同士で話し合って、厳しい、という話になっているとのこと。今の職場で他を探すと聞いているし、来たいならば、もっと体力がついて通えるということになった後でも、いつでもウェルカムです、と言って頂きました。でも、当面の今のところは、毎日通えないならば無理、ということ。

今の職場で紹介されている新しい仕事には今ひとつ気が進まないこと、この元?移動先で特許の仕事をもう少し勉強したらもっと他にも可能性が広がるのではないか、などと考えているということを話しました。

四方山話で、この特許部で、近々退職される方があるそうで、調査の仕事が沢山あるので、この方は退職後は週に3日くらい来てアルバイトで続けられるそうです。

私もアルバイトでやりたい、というようなことを今の職場でも言ってみたのですが、そういう制度は雇用延長の一環での方策として今後取り入れられる予定とのこと。僕達よりもずっと上の世代のことだよ、と、上司のお言葉。

勤務体系のバリエーションは、高齢者の方から豊かになっていくようです。

ちょっと、割り切れないな。高齢者の年金を支える世代にはサポートが届かない。この、退職後の方達のアルバイトの給料と、若い世代のアルバイトや派遣の方の給料は相当に違うはず。で、いわゆる現役世代の正社員は、バリエーションなく仕事一辺倒モーレツ社員的な働き方しかできない。  それで日本人は幸せになれるのかしら。 少子化も止まらない。

上記の退職予定の方は、他の特許調査会社からのスカウトも来ているとのことで、移るとしたら仕事を持って行ってしまわないように、と言っているそうです。冗談なのか、本気なのか。或いは、独立することも可能だろうとのこと。

特許調査会社は多く、ここの特許部にも5社が入ってやっているとのこと。

それだけ沢山あるのなら、通える範囲でどこかがあるかもしれません。或いは、全然よその会社の特許部でも??

「沢山ありますよ、自分で会社をやることもできますよ。でも、全部が儲かっているわけではないですよ。」

そうでしょう。

今すぐの起業は夢物語だけれど。就職難時代に見学に来た女子学生を断ったのを思い出しました。ふっ、と、女の子ばかり集めた調査会社でも作れたらいいな、と思ってみたり。

お先まっしろ、何も見えませんが、今日の所は前回頂いた課題についての質問、アドバイスと、新しい課題をもらいました。今の所、今の職場では新しい仕事はもらっていないので、特許部のお手伝いはさせてもらいます。

金曜日, 11月 09, 2007

成長したのか、しなかったのか???

昨日は無造作に思ったことを書いてしまい、奈津子さんはじめご心配頂いた方、すみませんでした。

成長したのか、しなかったのかは、よく分かりませんね。

退化した部分もあるし。

もう、老化も始まってるんだろうし。

会社は私に人並みの仕事をさせようとしているようで、ど~しても、昔のキャリアの続きのような仕事を持ってきてくれます。もっと他にもあるのだろうけど、来ません。

昔と同じ給料なら、やっぱり同じ働きをしなきゃいけないんでしょうね。エンジニアはもともと薄給なんだけど、さ。

復帰して仕事に慣れてくるに従って、人並みの仕事っぽくなってきます。そうです、給料もらうなら、働かなくちゃ。このままでは、年功で、また給料が上がってしまう! 

知らないよ。そんなにできません、て前から言ってるんだから。

会社が成果主義だなんて、認められない。以前出した成果の方が、遥かに値打ちは高い。けど、若かったからか、女だったからか、ぇぇぇぇ?、な評価のこともありました。

ギンギラに知恵を振り絞って必死になってやっと国際会議に行かしてもらっている横で、上の人が何の発表もせずにその会議に参加していて、密かに腹立たしかったこともあったっけ。

『立場』の違いのなせる業で。その『立場』の方が、情報収集しないわけにはいかないのです。女や若い人はその『立場』にならないから。

何だろうな。身を粉にして働いたその同じ職場に、今身を粉にするつもりのない同じような給料をもらう自分が居るという事が許せないのかな。

仕事面が癌になったからって成長しなかったのは、当たり前。 年はとったけど。

でも、昨日書いていたのは、そういう面の成長ではなく。 もっと人間の部分でも。 癌になったからって変わらない自分なのでした。     でも、何か、変わろう!!

木曜日, 11月 08, 2007

癌経験者のつぶやき

私、何のために生きてきたのかな。

至らない私です。癌になってあんな目にあって、ちっとも成長してない。人生、まとまりがつかない。

おたおたして、その時をその時なりにかいくぐってきただけ。ここまでは来たけれど。

生きてるだけで丸儲け、とは思うけれど。

癌になって良かった、と言えるかしら。

ちっとは成長しなきゃ、ね。

水曜日, 11月 07, 2007

報告書と、特許拒絶査定対応(女性エンジニア生活)

今日は昨日のシンポジウムの報告書を書いて、以前出した特許の拒絶査定の対応についての特許部へ出す説明を書きました。

この特許は確か、台湾と韓国では登録になり、米国はひょっとしたらまだ審査中。今回来たのは日本の特許庁からの拒絶査定です。私が書いた中では大きな方の特許です。

初めて台湾で登録になり、でっかい金ぴかの登録証書みたいなのをもらってびっくりした覚えがあります。あんなの、日本特許ではもらえません。

でも、昨日のシンポジウムでは、特に中国の知的財産問題に無頓着な模倣技術についての脅威感が語られました。つまり、特許を無視して安く生産されるということ。そして、外国出願でどの国に登録すべきかについては、途上国で登録しても、公正な法的保護はなかなか得られない、韓国でさえ、公正でない結果になった例がある、とのことでした。他方、これらの国の少なくとも建前的にトップに近い立場の人は、必死に急速に公正な法整備を進めている、とも言われました。

せっかく通ったから、活用されて、ちゃんと保護されて欲しいものです。でも、製品技術がこの特許の方向へ本当に行くかどうかは分かりませんが。

今度の特許の場合、「これが簡単に通っていいの??」と思ってしまう基本特許なのに、台湾・韓国は早く通してくれたなぁ、との印象。米国・日本はそれよりハードルが高いです。でも、通すつもりだけどね。

私が休職していた間この特許を見ていてくれた、共同出願者でもあるかつての上司と対応を相談しました。特許庁が類似特許を示して、特許性を否定してきています。それをまたこちらから否定して、新規性を主張します。

ストーリーを特許部へ説明して、実際の特許庁とのやりとりは特許部とその先の特許事務所の方にやってもらいます。

だいたいの粗筋を書いて送りました。

これだけで今日の仕事は終わり。少ないなぁ。昔だったら雑用だけと見なされるボリューム。でも、もうこれでいいです。

火曜日, 11月 06, 2007

近距離出張:特許のシンポジウム

特許調査用にもらっていた課題をやり終えたところで、ちょうど特許関係のシンポジウムがあったので行ってきました。



私 「行ってきていいですか?」



上司 「でも、今後の仕事に関係するか分からないよ。多分難しいよ。行くのはかまわないから、勉強してきて下さい。」



私、無言で笑顔でお辞儀だけして、行き先板に外出先を書いてきました。何を言っても丸く収まらなさそうなので。



今回のシンポジウムは無料なので、外出させてもらえて交通費さえ出して貰えれば十分です。内容が面白かったから、満足。


先日の研修の時に比べて、女性の割合はざっと半分くらい、つまり参加者の5%くらいの感じ。多分、研修の時よりも今日の方が年齢層が高いのでしょう。女性が増えてきていて、今後も増えていくのだと思います。

一番大きく取り上げられていた問題点は、グローバル化。世界がボーダーレスになって、知的財産の活用も国や場所に縛られずに行わないと、弱い会社だと見なされてファンドの餌食になる、とのこと。

人の活用も性別や勤務場所に縛られずにやった方がいいのではないかしら。ね。


月曜日, 11月 05, 2007

体温を高く:サプリの効果

昨夜、隣で寝ようとしていた息子が言いました。

「お母さんって、手があったかいからいいんだよね。」

息子は未だに手をつないだり、ほっぺたをトントンしてもらいながら寝るという、甘えんぼです。でも、手があったかいからいいと言われて、私もまんざらではありません。寝るまでつきあってあげました。

低体温はがん細胞が増えるそうです。化学反応は温度が高い方が進みます。体温が高い方が酵素がよく働いて、免疫力が上がるそうです。

私の場合体温を高くするのに一番効いていると思われるのは、昨日も書いたイミュトール
です。
   
              

アガリクスなどと同じくベータグルカン主体のサプリで、きのこではなくパン酵母から作られている、とのこと。詳しいことは分からないのだけど、統合医療ビレッジで処方されて、自分でもいいと実感しているので、続けています。

昨日注文しましたが、今日発送した、とのメールが入っていました。明日届く予定とのこと。いいテンポのお店です。


なぜだかは知りませんが、これを飲んでいるとポカポカになります。と言っても先日計ったら体温は36.3度、普通なのですが。もうちょっと上げたいものです。

日曜日, 11月 04, 2007

サプリメントを補充しました。

朝、余裕がないと、サプリを摂るのも忘れがちになります。

朝のみ忘れた時のために、会社にイミュトールのびんとセレブレックスを置いてきました。

家用にイミュトールの通信販売の注文をしました。



いつものサイトで、すぐに来るはずです。

それから、最近のんでいなかったピクノジェノールも注文しました。これはカリフォルニアからの輸入代理店のサイトです。ここも、すぐに来るはずです。


サプリの補充も、気力が低下するとおろそかになりがち。やっぱりあまり仕事を忙しくはしたくないです。

土曜日, 11月 03, 2007

『青の炎』の迷路:またまた癌患者

今日は、娘は部活、息子は『わんぱく広場』、お父さんはパパさんの会で、私は日中フリーでした。子供と一緒には見れなさそう、と思っていた、『青の炎』(嵐の二宮和也主演)のDVDを見ました。

子供と一緒に見れない映画だったけど、ニノもこんなヘビーで切ない演技ができるのね、と感心、満足。山田太郎みたいに笑っている役とも、硫黄島の西郷とも、全然違う顔が見れました。

でも、内容の危なさも、設定の中での救われない展開も、子供にそのまま見せられない。エンディングも。

やった事が犯罪だということも危ないし、あんな状況になったら、救われようがない、しょうがない、と、考えかねないし。

以下ネタばれですが、思ったことをメモしときます。

この不幸な話の大元が、またまた癌患者は死ぬ、という観念。離婚した義理の父親がもうすぐ死ぬと思い込んで舞い戻って来た所から始まっています。自暴自棄になって酒びたりだけれど、癌は話の本筋ではなくて、殺人が行われた後で「あれは実は」と、ちょこっと出てきます。

本当の癌経験者(とその家族)としては、やっぱり死ぬと思わないといけないのか、ってことになってしまう。そうでもないですよ、というのが1つ目の迷い道。

もう一つは、殺すより他に解決方法がなかったのか、ということだけど、本当に現実に自分がそういう状況に置かれた時にそうできるかどうかは分からないのですが、一歩離れて一般論を言えば、困った人を抱えた家族で閉じてしまっては行き詰って来ます。だから、どうしようもなくなったら誰か他の人を入れなきゃいけないと思います。

母親が新しい男友達に時々来てもらうとか、すれば、違った展開があり得たのでは。或いは、母親の妹でも、親でも、居れば全然違うのに。

でも母親は閉じたままでやり過ごそうとしたから、「家族を守ろう」とした息子の秀一(17歳)に無理がかかりました。17歳はまだ視野が狭いから、ああいう方法に出ることはあり得ないことではないと思います。

17歳が何とかし得たとしたら、やっぱり、誰か他人に助けを求めること。弁護士さんにもっと踏み込んで相談するとか、友人とか、他の大人とか。      でも、自分が10代の頃はめちゃくちゃ視野は狭かったけれど。

3つ目の迷路はエンディング。殺人犯でも、あのエンディングは肯定できない。けど、映画だから。

秀一は優等生タイプで、人に相談しそうな子じゃないようです。こういう行き詰った状況では、優等生の方が危ないのかも。

なんて映画のストーリーに対して散文的な事を言ってもしょうがないですが。

木曜日, 11月 01, 2007

今日は昼寝なし(女性エンジニア生活)

会社でくたびれると、更衣室で昼寝をします。ソファーの回りにカーテンがついていて、休めるようになっています。

数年前、組合主体のアンケートに基づいてこの休憩場所が設置されました。男子更衣室には無いそうです。

15分休めば大抵復活します。時々、先客がいます。妊娠中の方などを想定して作られているスペースです。搾乳とかもできるのです。カーテンつきのソファーと、カーテンなしのがあります。

昨日仕事しすぎて、今日は朝からくたびれてるなぁ、と思ったのですが、お陰であまり朝から一生懸命やらなかったせいか午後もひどい疲れは感じませんでした。今日は昼寝なし。

で、きっかり時間通りに帰りました。夕飯は、『調味料(アミノ酸)』が載っていない豚カツを選んで、それとサラミのマリネとキャベツのサラダを買って、大根とワカメのお味噌汁を作って、買い置きのお豆腐の冷奴と、朝作ったポテト・野菜サラダとごはん。

で、お風呂や子供の用事が大体済んで、今からyoutubeで嵐の相葉くんの『天才志村動物園』を見るんです。相葉ちゃん、ラブリーです。

水曜日, 10月 31, 2007

休みが無いのはきつい(病み上がり女性エンジニア生活)

10月も終わりとなりました。今月の休みは、2日半、かな。

年休が当初言われていた日数の半分になってしまったので、最近はだいたい毎日会社へ通っています。疲れてきました。短時間勤務ではあるのですが。

会議の2時間がもたない。

月の変わり目には、休暇の申請をして勤務内容の登録・確定をします。勤労部から年休日数を大幅に間違えて多く言われていたので、何か救済策はないのかなぁ、

無いだろうなぁ、

と思いつつ、上司に聞いてみました。が、

やはり、無いようです。      やっぱりね。「勤労は平謝りに謝ってた」とは言われましたが。

そう聞いてもあんまり嬉しくないです。

休暇申請をしなければ。

自分の特許の審査対策を考えていたら、せっかくの短時間勤務なのに気がついたら45分も多く働いてました。息子の「はまっこ」(放課後プログラム)のお迎えには間に合ったけど、夕飯の買い物をする時間がなくなってしまいました。

無益に忙しくしているのかも。自分の特許の対策、業務として認められるのか不明です(でも他の人にとっても雑用だし、私がやるしかない。)

月曜日, 10月 29, 2007

特許は会社のもの、だけど。(女性エンジニア生活)

病気休職する以前に書いていた特許の後処理が、わらわらとやって来ています。

特許を書くと、そのつど、この特許の権利を会社に譲渡する、という誓約書を書きます。発明者は従業員でも、出願者は会社です。

それは寂しいようでも、良い所もあります。書いた後の出願処理は大変なのですが、それは会社が面倒見てくれるのです。

下の子を産んで育児休職を取った後、復帰したら、産休前に出していた特許の国内出願、外国出願が私が居ない間に進んでいて、まるで『もう1人の子供』がちゃんと育ってくれていたような気がして、嬉しかったものです。

今回の3年ほどの休職中にも、それまでに出していた特許の面倒は、事務処理は特許部がやってくれて、技術面は上司や同僚が見てくれていました。私のところには時々、登録の報奨金が(本人は何もしないのに)振り込まれていました。額はちょこっとですが、何だか、ラッキーでした。

不出(出願見合わせ)になるものもあります。出願しても、何度も審査のやりとりをして、登録までには何年もかかる事が多いです。拒絶になるものもあります。大抵、似た様なものを既に誰かが出していて、権利になるかどうか審査されるのです。

半期に一件以上のペースで書きます。だから、審査処理中の案件はどんどん増えます。これが、この職場からもう降りたいという理由の一つでもあります。普段の仕事以外に、以前出した特許の面倒を見るだけですっごく忙しくなるのです。すごく時間を取るのに、通常業務の課題に含まれない雑用みたいな位置づけなんです。とっても、やってられない。

もう、この開発競争から降りようと思っているので、今後自分で特許を書くことはないかもしれません。でも、今までに書いた特許の処理が、復帰2ヶ月ともなると、やってくるようになりました。

上司や同僚にやってもらっていたけど、『権利化は厳しい』という時のぎりぎりの粘りはやはり書いた本人ほどのものは期待できないようです。当たり前かも。

息子が生まれた時の記念の(?)特許の米国出願も、実は未だに審査が続いています。ここまで時間がかかるのはいい特許じゃないという事なのだけど。それを含め、その後のいくつかのもっと大事な特許が、私の手に戻ってきました。やっぱり、『よそ』へ行こうかとしているとしても、私が面倒見るのかな。会社のものなのに。

私の手に戻せたという点では、この職場に一旦は戻った価値があったかもしれません。何だかやっぱり嬉しいです。

武士道と『硫黄島からの手紙』

明治の頃、新渡戸稲造がアメリカで『武士道』を書いた時、ルーズベルト大統領は感銘を受けて、回りにも配って薦めるほど絶賛していたそうですが。クリントン・イーストウッド監督はこの本を読まなかったのでしょうか。

映画『硫黄島からの手紙』の栗林中将の台本は、いかにもアメリカ人が書いたセリフ。実際にそうであったであろうというイメージから、かけ離れています。

ニノが演じた西郷は、パン屋さんだったから、武士道的な傾向が感じられなくても不思議ではありません。でも、いくら、アメリカ帰りの人でも、訓練を積んだ中将という人が武士道っぽい部分がないわけはない。特に、子供への語りかけを中心とした独白の部分は軒並み、日本人の軍人さんの背景を無視しているようで感覚がずれています。清明さも無くて、当たり前に神社に参った経験がない中将を描こうとしたかのよう。

軍人さんを肯定するわけでも、戦争を肯定するわけでもないけれど。武士道を語る時、前回の戦争の事は苦い後悔と共につきまとってしまう。結局避けては通れない。

アメリカでもルーズベルトのような優れた指導者に高く評価されたはずの武士道が、高い評価の映画の中の重要人物で完全無視されている。歴史を考える上で重要な素材であるのに。

しいて言えば途中で自決した人たちは武士道ぽく描かれていたかもしれません。けれど、死に急ぐのは本来の武士道にとっては犬死にで肯定されない。生きて本務を全うするよう命じた栗林中将の判断の方が本来、武士道的なのに。大事な部分をアメリカ的なメンタリティーに飲み込もうとしているかのよう。

日本の歴史の理解にはまだまだ、乗り越えなければならない『よじれ』があるようです。

土曜日, 10月 27, 2007

台風の日は嵐:硫黄島からの手紙

外は台風20号でビュービュー言ってます。外に出る気にならないので以前からの懸案であった、映画「硫黄島からの手紙」のDVDを見ました。

午前中に一度見て、部活から帰って来た娘と一緒に、午後にもう一度見ました。

午前中見た時には、息子が何かと言葉を挟むのでセリフを聞き取れず、2回目見て漸く筋の詳細を理解しました。戦場もので、小声の会話が多いのよね。

ニノ(嵐の二宮和也)の演技が高く評価されています。ハイ、うまいです。

嵐にファンレターを書いたのですが、返事が来ません。ていう話をしたら、娘によれば、本人達に届く前に事務所でチェックされて、本人達に届くのは1ヶ月くらい先なんですって。

ありゃぁ、それじゃ、本人達には届かないかも。。。。。。ヘンなファンレターは除外されちゃうのかな。

水曜日, 10月 24, 2007

組合、部長(続き)、ワークライフバランスはどこへ?

組合に行ってみました。色々話してみました。

特許の仕事をしながら今の勤務地に居ることで問題になるポイントは、結局、『労務管理』ということらしいです。管理しないわけにはいかないらしい。上司の目の届くところにいるか、上司が居ないならば上司を作らないといけないそうで。

暫く前には『ワークライフバランス(仕事と生活のバランス)』とか、『ワークシェアリング(仕事を分け合う)』とかを、盛んに言われたのだけれど、

「あれはどこへ行っちゃったんでしょうね」ですって。全然言われなくなったそうで。在宅勤務なども上司の目の届かない勤務ですが、一時期は言われたことがあったけれど、労務管理ができないというので原則消えたらしい。今はむしろ『雇用の確保』が問題で、定年退職後の雇用延長が組合の主な課題のようです。

早々に勤務形態の内容が変わる(バリエーションが増える)ことはあまり期待できないようです。でも、管理部を交えて今度話し合いをしてくれることになりました。



他方、部長が「昨日の続きだけれど」と言って、別の仕事を持ってきてくれました。今の勤務地で、別の部の仕事で、以前の私の仕事と関連のある仕事。私も昔から知っているB開発の仕事で、今までの仕事よりそうそう楽なわけじゃない。部長もそれは分かっていて今まではっきり出さなかったものですが、私が勤務地にこだわるので、改めてB開発の部長と話してきてくれたらしいです。

でもそこのメンバーも相当ハードワークをしているはず。それこそ私に『役』がついちゃってるし、経験がある部分もあるし、今でもそこの人から敬語使われちゃっています。中途半端にはできないのに思いっきりやるつもりはないから、他の人からはどうしても相当な不満が出るでしょう。

まぁ、B部長が私を引き取ってもいいと思って下さったというのが分かったのは、有難かったですが。ここでやるならそういう仕事しかない。らしい。

管理部も仕事を探してくれるという話だったのだけれど、「何にも来ないよ。冷たいもんだよ。」だそうで。
部長は管理部にも組合にもとっても否定的みたい。

この部長は私が米国勤務した時に一緒に赴任した人で、その時の管理担当の人はホントひどかった。あれが部長のトラウマになっているのかな。あの時は組合も何もしてくれませんでした、確かに。

だけど、私が3年も休んでも、ぽいっ、とクビにはならなかったのは組合員であったお陰です。どこと話すかと言って、話す場所はやっぱりまず組合。組合から言ってもらったら部長も動き易くなるということも、あるかもしれません。

なんて話をしながら、特許調査の仕事はやってます。だいぶ慣れてきました。

金曜日, 10月 19, 2007

サイモントン癌療法の10の原理:その6

サイモントン癌療法の10の原理
"The Ten Tenets of The Simonton Cancer Program"


どこまで訳したっけ、と忘れそうになるくらい、久しぶりです。続き、行きます。


6. Harmony is central to health - balance among the physical, mental, and spiritual/philosophical aspects of being. This extends to relationships with self, family, friends, community, planet, and universe.


6.調和が健康の中核である。つまり人間の、肉体と、心と、精神的/哲学的な側面の間のバランスである。この調和の範囲は自己と家族、友人、地域社会、惑星、そして宇宙との関係へと広がる。


==

サイモントン癌療法10の原理の訳の続きです。

10の原理 その1その2その3その4その5は、


1.我々の感情は、健康と病気(癌を含む)からの回復に大きな影響を与える。感情は免疫系やその他の治癒の仕組みの強い原動力である。

2. 我々の考えや態度は、我々の感情に影響を与え、それによって我々の健康と治癒の仕組みに影響を与えている。

3.我々は自分の考え方や態度に大きく影響を与えることができる。それによって我々は、自分の健康に大きく影響を与えるように、自分の感情を形成することができる。

4.考え方、態度、感情へ影響を与えるやり方は、このプログラムで与えられる様々な用いやすい方法によって、すぐに教わることができ学ぶことができる。

5.我々は皆、肉体的な、心理的な、社会的な、精神的/哲学的な、存在として活動している。病気である人、その人の家族、地域、文化の個別の必要性に注目した上で、これらの側面に本腰を入れて取り組み、その広い文脈における治癒を目指さなければならない。





でした。

5までで、考え方や態度は治癒に良い影響を与えるように変えることができ、それは肉体から精神、哲学まで含めた、広い文脈での考え方・態度の深い意味での変革である必要がある、と述べました。
その6では、その変革の後、肉体から精神までの調和が得られ、この調和は社会から宇宙まで広がる、と述べています。そういう調和が、健康の中核である、と述べています。

そんな調和が得られたかどうかは分かりませんが、病気になってから、命や、地球や、宇宙について、随分と考えました。癌と言われて死について色々考えると、自分がこの星の上に生まれたこと、宇宙の摂理によって生命という不思議なものが生まれ、自分や地球上の他の生命が生かされていること、などについて、考える傾向が強まります。全員ではないかもしれないけれど。サイモントン療法のカウンセリングではそういう方向へ思考を促してくれます。

そうすると、安心できるようになります。

自分が病を得たことも、死でさえ、宇宙の摂理の中にあります。宇宙の摂理は地球の上に生命を生み出してくれましたが、単細胞生物から始まった私達は、ここまで進化することができました。結局、生命は良い方へと導かれて劇的に変化してきたのです。大局的には、宇宙によって我々は愛されているんじゃないでしょうか。

ちゃんと勉強しているわけではありませんが、ヨガや古代インド哲学では、息をすることによって宇宙とへその緒でつながる、と考えるそうです。母の胎内で守られていた時、へその緒から呼吸し、命を営むために必要なものを得ていました。胎内から出て肺で呼吸するようになった今は、息をすることによって母なる宇宙に繋がっているのです。で、ヨガでは色々な呼吸法が、中核的なレッスンになっているそうです。私はやったことないんですけどね。

社会や宇宙については、それぞれの地域や文化に応じて、それぞれに考え方があります。そこも含めて本腰を入れて考えましょう、とサイモントン療法では言っています。

自分、家族、社会、地球、宇宙、などが、全部調和していたら、ストレスはないでしょう。なかなかそうはいかないと思いますが、癌になる人は調和を取り戻すよう考え直してみると、良い方向へと何かが大きく変わるかもしれません。






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年休は少ない

復帰する前に確かめた時、年休は42日ということだったのですが、間違いだったんですって。

『前年度からの繰越し』が21日あって、今年の分とあわせて42日、9月から3月まででそれだけ使える、という説明だったのですが、繰越分はゼロの間違いだそうです。 で、今年使える年休は、21日。   そんな、今更。

うちの勤労部が間違えて、上司も間違ったことを言っていたわけですが、何と、本社の勤労にも確かめた上でのことで、本社の勤労部も間違えていたんですって。

既に、9月から今までで、10日ほども使ってしまいました。

残りを使い切ってしまったら、また繰り越し分がゼロになってしまいます。来年は丸々1年あるのに、21日しかなくなります。勤務地だって遠くなるかもしれないのに。

できれば、今年の残り分10日ほどは、全部来年度に繰り越したい。でもそれでは今から3月末まで休みゼロということに。むりむり~~。

でも、勤労担当さん、平謝りでした。本社も間違えていたんじゃ、彼が間違えるのは無理も無いのですが。

私みたいにいっぱい休んで復帰する人間は、余ほど珍しいんでしょう。でも、しっかりしてほしいです。

火曜日, 10月 16, 2007

復帰できない人

復帰して2ヶ月目です。だいたい一ヶ月おきに、上司と産業医の先生と、勤労担当、総務担当の方々と、復帰後の調子について面談があります。

まぁ、ぼちぼち、ってことで、今しばらくは今の調子で、今の勤務地で短時間勤務でやりましょう、ということになりました。

でも、上司は、いずれ私を『遠い職場』に移動させて、特許業務につかせたいと思っているのです。私は、通勤が長いのは対応できない、と当初から言っているのですが。
特許業務をやるからには、勤務管理上の安全責任などからも、特許部隊の場所へ勤務地を移らねばならない、というのが上司の主張。

「当初から言っているように、できません」と言ったところ、「あんまりそんなに言っていると、先方からも、復帰はできない人だと思われてしまうよ」って言われちゃいました。

通勤が遠い人はいくらでもいる、家を買ったとたんに転勤を命ぜられる人もいる、昔は男女の役割分担で、女の人は外では仕事をせずに家のことをやったけれど、今は世の中が変わって女性が家のことも仕事も両方やろうとしたら、両方の仕事の量は変わらないのだから絶対無理は出る、それは皆やっているのだからそれを理由に、できないというのは通らない、

と、熱弁をふるわれてしまいました。

それでも、できないものはできない。できている人も居るかもしれないけれど、それはおばあちゃんが家事をやってくれるとか、家政婦さんを雇うとか、特別な条件を備えている場合。普通に健康な状況でもできないから、わざわざ今の職場の近くに引っ越したのです。無理にやろうとして削れる部分は、私の食事の時間しかありません。

どうやら、上司は私の夫に家事をやらせたいのかもしれないけれど。病気になる前の一時期はそんな風にもなってましたが、もう、やりたくないです。彼も腰痛持ちだし。

家庭の事を度外視して仕事をするような復帰をしなければならないのなら、復帰できない人というのはその通り。

今の勤務地でも、『思いもしないような仕事』(?)ならあるらしいです。まぁ、特許調査の仕事は、出来すぎの良い条件。私のキャリアが生かされるというのはその通り。それをやらせようと言って下さるのは有難いけれど。

まだ、数ヶ月は決定を猶予して貰えるようで、時間をかけて体力を戻しながら検討しましょう、ということになりました。

日曜日, 10月 14, 2007

平和な日曜日/会社のこと(嵐)

今日は、お父さんと息子は知り合いのバーベキューへ。

娘は部活へ。

私は、1人でゆっくり、ランチしました。嵐にファンレターを書きながら。

嵐のコンサートにも行ってみたいけれど、ファンクラブに入らなければチケットも取りにくいらしいので、ファンクラブにも申し込んじゃいました。

会社で嵐の話をしたら、「若いですね~」なんて、感心されたような、バカにされたような。「僕が嵐を追っかけてたら変に思われちゃいますよ」ですって。最近は男性ファンも多いのに。

でも何度か話しているうちに、そう言っている本人も、バラエティーでしょっちゅう嵐を見ていることを白状しました。「オレ、結構知ってますね」ですって。
彼は10年後も製品化されるかどうか分からないような、将来技術の開発をしています。上司に絞られているけれど、とても純朴で良心的ないい人です。今までの経験でいうと、ああいういい人ほど、うちの職場では結婚しない傾向が強いです。仕事疲れが見て取れますが、昼休みも仕事。嵐の話題でほぐしてあげなければ。

木曜日, 10月 11, 2007

研修の友は嵐/特許調査の仕事

今日は、特許関係の研修でした。久々に都内に出ました。

ホント、携帯オーディオプレーヤーの嵐に救われました。延々と乗る電車も、ちっとも退屈せずに過ごせたし、研修中の休み時間も、昼食の間も、嵐の曲を聴いているだけで思いっきりリフレ~ッシュ! 小さい音量で聞ける、音がいい、軽い、沢山の曲を入れられる、操作が簡単。苦になる部分が全然なくて、リフレッシュ効果抜群。これ、絶対に、健康にいいです。

今日は特許調査の研修だったのですが、ラクな仕事に替わりたいという私に上司が紹介してくれただけあって、エンジニアの移動先には本当に良い分野かもしれません。

特許を書くことを使命としているのはエンジニアで、特許部門はそのサポート部隊です。そのサポート屋特許部門の中でも権利化分野や係争分野はまだ花やかな方らしく、特許調査はこの権利化などをさらにサポートする分野らしいです。
つまり、エンジニアの競争の表舞台に比べて、裏方の裏方という、地味な分野。しかも今後は知的財産の重要性は増し、特許を活用する風潮は強くなる見込みらしいです。

しかも、内容が分からなければ調査は困難なので、元エンジニアという人が主に活躍しているらしいです。調査技術自体もノウハウ的で専門性が高い。なので需要が高く、私のような病気上がりにまで来て欲しいというくらい、人手が足りないようです。定年退職後も、特許系関連会社に移ったりして、さらに頼まれて調査の仕事を続ける人も多いとのこと。そんなに先までやりたいとは思わないけど、必要に迫られた時の保険にはなりそう。

エンジニアで移動先を探している方、特許調査はよいですよ。

今日は90人くらいが研修に来ていましたが、ざっと見渡して女性は一割強といったところでした。特許専門の人と、技術系の人とが半々くらいだったそうです。きっとあれでも女性は増えてきたところなのだと思います。一時期の就職難が去って、うちの部署でも最近は新人さんも増えています。技術系を目指す女性も、数年表舞台で研鑽して、特許調査とかに移動するのも良いコースかもしれません。

そうと知ってたらもっと早くに移ったんだけどね。

月曜日, 10月 08, 2007

葉っぱさん
















MLで、葉っぱさんへのカードをご遺族へ送ろうということになりました。

この写真にメッセージをつけてみたら、葉っぱさんにぴったりだと言われました。

そんな風に言われると、ますます悲しくなっちゃいます。

バラの花言葉は、「美・心からの尊敬・愛の吐息・恋愛・満足」だそうです。

ただ賢い、勤勉、優しい、だけでなく、ユーモアも、行き届いた心配りも、持っていた葉っぱさん。

理想へ向けて、ひた走った葉っぱさん。生き急いで、神様に召された葉っぱさん。

葉っぱさん、さようなら。

土曜日, 10月 06, 2007

勝ってはいけない:女性エンジニアと職場その2

職場に、上司との関係が悪くなっている女性がいる、ということを書いたのですが、もうちょっと補足。

若い女性エンジニアでここを読む人がいるかどうか分からないけど。ひょっとしたらエンジニアでない人にも参考にしてもらえるかも?

仕事をしていて、上司に認めてもらえない時に必ずしも、女性だから、っていう理由ではない場合もあると思うんです。男性でも、認めてもらえない人も多いし、認めてもらえない時期もある。

日本は年功序列だから、若いときには下積みで、安い給料で沢山働きます。で、そんなに働いているように見えない年上の人の方が、給料が多いのです。そういう状況は、男性も同じなんです。

但し、男は、そんな理不尽な状況で、今は沢山働かねばならないとしても、『大変だけれどいつか報われる』と本人も周囲も、思って働いています。

でも、結構、女の場合、報われないという場合がある。それを、実力のある(と本人が思っている)女性の場合、許せないという場合がある。それで、闘っちゃう人があります。

実は、女性エンジニアの場合、周囲の男性よりも色々できちゃうという場面は少なくないです。出来ない女性は採用されないけれど、男性は色々な人が採用されていて、普通にやっていればそれなりに偉くなっていく。

男性は色々でも普通に職場で尊敬されますが、女性は時に(世間知らずな)新入社員にまでぞんざいにされたりします。上の人の見方にもそれは往々にしてある場合がある。出来ない男ほど、男同士で負けている分、相手が女だと油断して軽く扱ってきたりします。

女の方の心理としても、『上司のくせにこんなこともできない、分かっていない』っていうのは、男同士の場合よりも許しがたく感じるというのがあるのかもしれません。

だけどねえ。やはり社会のルールとして、男同士でも、表の態度としては、部下が上司に勝ってはいけないのよね。まして、女対男で男の上司に表立って闘って勝とうとしていたら、チームワークが取れるはずはありません。陰で自負心を持つのはいいと思うんだけど。

なまじ、今の評価は『成果主義』ということになっていて、論文や特許や工場対応は明らかな不満の理由に挙げられます。で、じゃまされ(ると思ってい)たり。でも成果主義は機能していると思えないです。

成果が出ていない部署の上層部と、『私はこんなに力がある、やっている、もっと出来る』と主張する部下の女性とが関係を悪くしているのは、両方にとって残念なこと。だけど、出来ない上司の方は多分変われない。女性の方は、自分が正しいと思っているからやっぱり変わりそうにないのですが。

やはり、状況を見つつ、「大変だけどいつか報われる」と思って、ケンカはせずに粛々と仕事をする事はある程度避けられないです。 大変さの度合いの違いはあれ、男だってそうしているんだし。

癌とは殆ど関係ないですが、無理に言えば、職場のストレスは健康に悪い。職場の対人関係はとっても大事です。

エンジニアに限らず、色んな職場で、晴れて採用された女性は普通の男性社員よりも出来る部分が多い、ということは日本ではまだまだあると思います。みんな、ハッピーにがんばろ~~。

金曜日, 10月 05, 2007

女性エンジニアと職場

私は女でエンジニアなのですが、身近にあります、様々な問題点。

幸いなことに私は雇ってもらえましたが、『女だから』という理由で、就職できない女性も多々ありました。女子学生が見学に来て、部長から「女性だから採用しないけれど、失礼のないように案内してあげて」なんて言われたこともありました。

幸いなことに職場ではそれなりに評価してもらってたかと思いますが、思う評価をされずに不満をつのらせる場合もあります。男の後輩がどんどん追い越して行くと言っていた女性が、やっと昇進してたので、先日話してみたら、「年数的に今後次の昇進を絶対にしないようなタイミングでやっと上げてくれた」そうな。
対抗意識が強くて自負心やこだわりが強いと、上司との関係が悪くなって、仕事をすればするほど返って評価してもらえないみたい。

うちは民間会社の研究開発組織としては女性は多い方だと思います。学会などでよその女性に聞いてみると、よそはうちよりももっと女が仕事をしにくいところが、多いらしい。うちはこれでも、女が働きやすい方らしい。

私も海外派遣もしてもらったし、海外で子供まで産んで、学会にも何度も行かせてもらったし、海外出張もさせてもらったし、フレックスでコアタイムはないし、『男と同じ基準で評価してくれる』し。仕事でいっぱい遊ばせてもらいました。大変だったけどね。

だけど、どうも、職場での仕事と評価と家庭生活のバランスは、なかなかうまくはないようです。

うちのグループで4人いた女性エンジニアは、他社、他部署、他グループへといなくなり、今は私1人。移って行った彼女達、かしこい。病気になるまでやってた私が一番アホなんじゃないか。

他部署でも当社は結構女性が多いです。で、結婚して子供もいる女性は、早く帰っているらしい。本当は会社も男性達も分かってるのです。家庭が一番大事、家庭を大事にする生き方は正しい、ということは。でも、どうもそこの部署、仕事の成果はガンガンやってるうちほどには上がっていないかも。

また、そんな中で男性社員以上に大変なことになっているのが、男同様以上に仕事ができて独身で子供もいない(今後も結婚しそうにもないと思われてしまった?)女性社員。
雑用仕事は押し付けられ、それをやってもさらに成果を上げても、評価はされない。と本人は思っているよう。詳細な本当の所は分からないけれど、思いっきり上司との関係が悪くなっていることだけは確か。

『男と同じ基準で評価』されるのも、実は困りものです。将来所長になりたいわけじゃないのに、出世競争を前提としての評価をされます。なりたい女性もいるようですが。男は必死で競争しているのに、競争しない、って言うと、相当気を悪くされる場合があります。一緒に仕事するために、競争しているフリをしなくちゃいけないこともありました。男の反発って、ものすごいから。

うちの職場は開発の表舞台の最前線だから、競争が命。そうそう、男でも、目の効く人は転職して行ったっけ。独身男性がいつまでも結婚せずに仕事しているところです。

そうだ、裏舞台へ行かなくちゃいけないんだ。ライフ・ワークバランスは、裏舞台でこそ実現される。

女性エンジニアや、男性でも家庭生活のウェイトを大きくしようとしている人は、開発の裏部隊で活躍しましょう。

以前、うちの職場から、購買の仕事に移動して行った男性がいました。かしこいね。そういう分野でエンジニアの腕が発揮されるって、知りませんでした。でも原料や機械を買うのに腕を奮おうと、意気込んで移動していきました。

病気休職から復帰するにあたり、私に紹介して頂いた仕事も裏舞台のサポート部隊。今までは特許を書いていましたが、紹介されたのは技術者が特許を書くのをサポートする調査の仕事です。内容的には申し分ないです。問題点は遠いだけ。

やっぱり、近い裏舞台がいいな。

女性達が色々な形の働き方になっても、辞めないで何らかの形で仕事につながり続けていたら、だんだんと女性エンジニアの環境は良くなるのではないかと思います。みんな、がんばろ~~。これから出てくる若い女性エンジニア達、がんばって~~~。 私も、粘ります。

火曜日, 10月 02, 2007

仕事復帰1ヶ月までの報告

仕事復帰1日目: 
半日だったけど、職場で座ってるだけで疲れました。

2日目から: 
やっぱり疲れました。IDカードをドアの所で読み取ってもらえるかで、いちいち緊張しました。あちこちウロウロ歩いて、3回もカードを通せばどこにも入れると分かりました。ゴミの捨て方、廊下の歩き方、行き先板のルール、部長やその他上司達の机の位置、その他もろもろ、いちいち確かめては、事故をしないように、とそれだけ念じていました。

一週間過ぎた頃:
ちょっと本格的にやることが仕事っぽくなってくると、頭痛がしてきました。手術した右側のほっぺたから首、肩が、つっぱって、右側の頭の血が引いたようになります。午後の3時まで持ちませんでした。

気合を入れて、っていうわけでもなかったのだけれど、髪の毛をゴムで結んでいたのですが、余計に血行が悪くなっていたみたいです。美容院に行き、結ぶのはやめて短くしました。マッサージにも行き、頭痛解消。

半月過ぎた頃:
ぼちぼちやっているうちに、仕事っぽくやっていてもあまり頭痛がしなくなってきました。慣れたのかなぁ。いずれにせよ5時間45分の短時間勤務にしてもらっています。そのくらいはやれる日が出てきました。

自分の体調と同様以上に、スムーズに行かなかったのはムスコ。お母さんが仕事に復帰するのは、歓迎しているようなのだけど、夏休み前の先生とのトラブルなどが尾をひいて、夏休み後の学校に行きたがらず。うだうだにつきあって午前中半日休暇(ついでにゆっくり朝ごはん)という日が何度か。このところは行ってくれてます。

色々で、半日休暇にしたり、年休を取ったり、出勤率は半分くらい。年休はいっぱいもらえると思ったはずが、こんな調子ではアッという間に足りなくなりそう。

”遠く”の配置転換先職場候補の上司にも、ちょっと会いに行ったりメールで宿題をもらったりで、ぼちぼち新しい仕事の情報収集中。何とか、今までの近い職場で、リモートでやることを狙っています。

土曜日, 9月 29, 2007

生きすぎたら

やっぱり、葉っぱさんは沢山のことをしすぎたのではないかしら。だから、早く神様が迎えに来てしまったのでは。

今思っても、誰も、葉っぱさんのまねはできません。智識も、優しさも、ユーモアも持ち合わせて、専門家顔負けの貢献を頭頸部癌患者のために残してくれました。

それはやり過ぎじゃないですか、と意見がましく、言いかけてみたことが無いわけではありません。聡明な葉っぱさんだから、私が言いたい事は分かっていた部分が、あったのではないかとも思います。でも、私が葉っぱさんと知り合った時には、既にentoralはかなり大所帯になって、多くの人が切実にそれに頼るようになっていました。ますます彼女は惜しげなくそれに心を注ぐようになっていたように思えます。あそこまで行っていたら、私でも、辞められなかったと思います。喧嘩してまで辞めさせるほどの関わりにはなれませんでした。ただ、お会いする度に心の半分が悲しかった。

既に多くのことをやり遂げたから、神様が、休みを下さったのでは。既に何度か再発をしている葉っぱさんです。その度に乗り越えてきているとは言え、今後、さらに再発をしながらあの仕事ぶりを続けていたら、私はもっともっと悲しい思いをしたのかもしれない。

沖縄の海で溺れたとのこと。神様に近いところで、連れて行かれてしまったような気がします。

葉っぱさんは立派だったけど、葉っぱさんの真似をしようとしては、ダメ。うまく言えないけれど。

火曜日, 9月 25, 2007

事件(バラ)

珍しく、ダーリンがバラの花を買ってきてくれました。皆無ではないけど、滅多にないこと。

わ~~い。





水曜日, 9月 19, 2007

ノイズキャンセルのイヤホン

SDオーディオプレーヤーを買ったのですが、技術の進歩にとても驚いています。

本体が小さい、軽い、磁気テープやMDの頃よりもずっと小さいのに沢山の曲が入って使い勝手もいい。

でも、何よりも快適になったのは、ノイズキャンセル機能つきのイヤホンです。

昔のは、電車の中などで使うと、騒音で曲が聞こえにくいのでボリュームを上げる必要がありました。すぐに耳が痛くなって、あまり長い時間使えませんでした。

今回のイヤホンは、何やらプヨプヨのゴムで、耳にぴったり入ります。そして、何と、電車などの騒音を消してくれるのです。

隙間がなくて音を遮断するだけでなく、イヤホンに小さなマイクがついていて、それで騒音を打ち消す音を出して騒音が聞こえなくしているそうです。単なるモニターになるモードもあって、それとノイズキャンセルモードを聞き比べてみると、全然違います。

使いながらお茶碗を洗っていると、水をバシャバシャする音が殆ど聞こえないのです。変な感じ。

そして、ボリュームをうんと下げて使えるので、むしろ、音楽に混ざって自分の耳の中の鼓動の音とか、イヤホンのコードが衣服とこすれる音とかが聞こえてきます。戸外で使うと、イヤホンのコードが風をヒューヒューと切る音が聞こえるの。

会社で同僚に話してみたら、彼もノイズキャンセルのヘッドホンを使っているとのこと。電車で使っていると、目的の駅についた事が分からず、乗り過ごしそうになるそうです。

ヘッドホンの方が騒音キャンセル機能が高いのかもしれないけれど、耳にぴったり入るタイプのイヤホンのノイズキャンセルでも十二分に高機能だと思います。軽いし、柔らかいから痛くもならないし、落ちないし、低ボリュームにできて長時間使えて、快適です。

癌と何の関係があるかな? まずは私には「嵐は最高の抗癌剤」です。嵐の曲は健康にいいんです。

でも、もっと直接的に、サイモントン療法のイメージ療法のテープなども、色々あるようです。携帯オーディオ+ノイズキャンセルイヤホンは、それにも昔よりずっと快適に使えるかもしれません。

末期の乳がん患者で骨転移もして車椅子になって身障者手帳ももらって、という方が、イメージ療法のテープをずっと聴いていた、と仰ってました。他にも、琵琶葉温浴とか磁気療法とか、あらゆる事をされたようでしたが。十年以上経った今、昔の話が信じられないほどお元気です。

金曜日, 9月 14, 2007

SDオーディオプレーヤー持ち歩き

iP*Dがいい、とかいう話は聞いていましたが、持っていませんでした。昔ならウォークマン。今は持ち歩き音楽プレーヤーもかなり進歩しているようです。娘は、どうしても欲しいようで、確かお年玉で、後発の安いのを買って、持っています。毎日使っているようです。

で、私も、仕事にも復帰した事だし、ご褒美の意味でも、と、買いました。ビ*クカメラのお兄さんのアドバイスに従って、音が一番いい、という、SDオーディオプレーヤーというのを買いました。1ギガのSDカードがついていて、パソコン経由でそれに音楽データを入れます。48グラムだっけ。軽くなったもんです。

お父さんに部屋を追い出されました。ここまでだぁ。SDプレーヤーに嵐のアルバムをいっぱい入れました。嵐三昧できます。  シアワセ!

水曜日, 9月 12, 2007

お食事会

会社に復帰して10日弱となりました。休み休み通っています。

うちの職場は開発最前線で、皆忙しいです。私は今、短時間勤務にしてもらって、昔の山のような書類の整理しかしていないのだけど、デスクに座って何か見ているだけで、意識が『戦闘モード』になる感じ。
午後になるとくたびれて頭が働かなくなります。

移動を願い出ているわけだから、あれらの書類は基本的に今後関係のないものなのだけれど、それなりに心血注いで開発して来た足跡だから、中々捨てられないものがあります。

休んで三年強。技術は進んでいるようで、基本はそう急には変わらない。無理な開発だ、と思っていた部分はやはり進んでいない一方で、地道に進捗している部分もあります。書類を捨てながら、隣の席の”若い衆”に開発の昔語りをしちゃったり。捨てる前に、誰かに語っておきたくなるという老兵の心理。

よその会社、よその職場は知らないけれど、開発の場で、女には地道・着実なテーマは、なかなか与えられないという傾向は、ありました。ちょっと普通のメンバーはやらないような、一見、一歩進んだ領域の、新境地を開拓しなければならないようなテーマで、その実、失敗しても当面の実害がないようなものを与えられることが、結構、多い。で、成功(?)したら、その後の地道・着実な発展段階は、男がやるのです。

このパターンは、私以外の人でも、隣の部署でぼやいている女性がいました。それをあからさまに不平として言うと、協調性がないとして、昇進しない。だけど、後輩の男性の何人もに追い抜かれたその彼女も、私が休んでいる間に昇進していました。良かった。

うちの職場は、それなりに女性の数は居たのですが、どんどん移動して抜けて、何と戻ってみたら、うちの部署で女性で残っているエンジニアは私1人です。男性達は未婚率が高いし。もう、早く逃げ出そう。

あ、今日はお昼休みに、女性同僚達が復帰おめでとうお食事会をやってくれました。私の病後の弱虫息子の話などして皆を泣かしてしまいました。忙しい中のお昼休みに集まってくれた同僚達に感謝です。

日曜日, 9月 02, 2007

仕事に復帰

漸く、9月からの仕事復帰となりました。明日が休職後初めての出勤です。癌告知から数えると、3年と3ヶ月くらい、退院からだと、2年と10ヶ月くらい。

もうこれ以上休んだら退職、というタイミングですが、無理な出勤というわけではなく、主治医からも、そろそろいいんじゃないの、と言われての復職です。

前のようには働けないから、と配置替えを願い出ましたが、新しい職場を紹介はして頂いたものの、決まるところまでは間に合わず、とりあえず以前の職場に仮の復帰となりました。

紹介して頂いた新しい職場は、以前の職場のようには忙しくないようですが、仕事内容はとても面白そうです。もう、技術系から離れてもいい、と思ったのですが、やはり今更技術系以外で使ってはもらえないようです。思わず一生懸命やりすぎてしまわないように、しなければなりません。そうしないように職場替えをお願いしたのだから。

おまけに新しい職場では通勤時間が、今までよりも片道45分ほども長くなります。前ほど忙しくないと言っても、必ずしも楽にはならないかも。だから十分には働けません、と言ったら、来るなと言われてしまうのかもしれません。

まずは昔の書類の整理、膨大に溜まっているメールの整理(削除)、置いてきた機器や荷物の確認などしながら、徐々にひょっとしたら新しい職場に行くための準備が入るかも。

ひとまず近い昔の職場に『毎日通う』ことと、ちゃんとごはんを食べる(食事に時間がかかるため)、家の生活が成り立つ、ということが両立するかどうか、やってみながら考えさせてもらえるようです。

金曜日, 8月 31, 2007

体にいいことをする(リレーフォーライフに行かないわけ)

自分の体にいいことをするのが、大事だと思います。他の人にとってどうかは分からないけれど、自分にとっては、何となく避けたい、という時、その気分を尊重してあげること。

プラシーボは効く、と実感していますが、プラシーボは微妙。

それは、例えば乗り物酔いの経験でも分かります。お菓子のタブレットでも、『酔い止めの薬』と思って飲めば酔い止めとして効いてしまう、ということがあります。でも、「本当は薬ではなくてお菓子だ」と知ってしまうと、せっかくの効果が消えてしまいます。

意識状態の微妙な違いが、体の状態に影響を及ぼします。

今、自分としてやっぱり近づきにくい、と感じているのが、癌の「リレーフォーライフ」です。

土橋重隆WEBサイト』によれば、

「いまのガン治療というのは、ガンと"対峙"させているわけです。一方、"共生"ということは「共に生きる」ということです。しかし「共に生きる」と言っても、「ガンと仲よくする」ということではないのです。「共生」というのは、両方にとってメリットがあるということです。」

癌にとってのメリットは、その存在意義を認めてもらい、生き方を変えてもらう事、

と土橋さんは言われます。

そして、その役目を終えたら癌は消失する、と。

リレーフォーライフの印象は、主としては、ガンと"対峙"だと思います。様々なチームが参加するから、"共生"派も無くはないようですが。 主たる雰囲気は"対峙"のようです。

私は「自分の癌は消失した」と思っていますが(実際は手術で取ってもらっちゃったわけですが)、生き方については、まだまだ発展途上。

"対峙"の雰囲気からは、距離を置きたいと思います。だからリレーフォーライフに近づきません。

葉っぱさんについて語り合うのも、悲しさの方が強すぎる気がするし。

でも、リレーフォーライフが力になって治療の励みになる、という方も沢山あります。

それぞれが、自分の体にとって良いことをするのが、よいと思います。癌との付き合い方は、患者の数だけ千差万別だから。

水曜日, 8月 29, 2007

葉っぱさんについて

先日亡くなってしまった葉っぱさんについて、ご存知でない方もあるかもしれません。ここからは『葉っぱメモ』をリンクしてありました。

その他、私も断片しか存じ上げないので、サイトわいはまーるよしさんの記事をリンクします。

わいはまーるさんの掲示板でも、葉っぱさんについて語られています。

日曜日, 8月 26, 2007

死を受け入れること:疲れます

葉っぱさんが突然、亡くなられたとの知らせ。 どうも、今回は、ダメです。

ネット上でのご縁があった方としては、暫く前にモモちゃんが亡くなりました。それは残念だったけれど、モモちゃんとはお会いしたことがなかったためか、まぁ、落ち込んでも数日で復活できました。

身内が亡くなった経験としては、小学生の時に祖母が亡くなりました。何にも分かってなかった。何となく怖くて、祖母が寝ていた方を向いて寝ることができなかった事だけ、覚えています。

親戚の人も何人か亡くなっているけど、骨身に染みた死別というほどではなく、お葬式から帰って来たら復活してました。

ご近所の、お世話になった小母さんが亡くなったこともありました。それは悲しかったけれど、この方は優しい方で、ご自分から、私の気持ちの準備ができるように、心遣いをして下さった。別れは悲しかったけれど、それでいいんだ、と、静かな満足を覚えることのできる別れでした。

でも、葉っぱさんは、あまりに突然。ネットの上でも、あまりに存在感のある方でした。残された遺産は多岐に渡っています。偉大です。おまけに、何度かお会いしたこともあって、そのお人柄にも触れて、自分と引き比べたりして、色々考えていました。

言いたいこと、言ったこと、まだ言わないでおこうと取っておいたことが、沢山ありました。それなのに、突然、いなくなってしまいました。

他人なのに、数回しかお会いしたことがないのに、と思っても、どうしても考えてしまい、涙が出てきてしまいます。

交差点で信号を待っていて、歩き出した時は、危ない。待っている間に放心状態になり、歩き出すと勝手に思考がそちらに行ってしまう。モモちゃんの時も、信号を渡りながら涙が出てきたことを思い出しました。

朝起きた布団の中で。トイレの中で。そんなに考えたくないので、『嵐』の載っている雑誌を買ったりCDを聞いたりして『嵐』で頭の中をいっぱいにしようとしています。が、それでも断片断片の色々な言葉が葉っぱさんに関連して浮かんできて、なぜなぜなぜ、と思ってしまいます。

何か、とても疲れます。

他人の私がこうなのに、突然大切な人を失ったご家族の方の嘆きは、いかばかりでしょうか。

ガンになって、自分が死ぬということについては結構、考えました。『ガン治癒とは死ぬ事と見つけたり』は、まだ上手に説明はできないけれど、基本的には合っていると思っています。が、自分よりも、他人が死ぬことについて、私はまだ弱いようです。

金曜日, 8月 24, 2007

訃報/ENTORALは当面受け付けされず

待っていても、もう、どうしようもありません。苦しくなっちゃうので、お知らせすることにしました。

頭頸部癌の方はよくご存知の方が多いと思います。『ENTORAL』という頭頸部癌のメーリングリストがあります。ここからは『葉っぱメモ』のブログをリンクしてあります。

その主催者の葉っぱさんが、20日に、水の事故で亡くなられたそうです。

葉っぱさんのサイトは葉っぱさん個人が管理しておられたので、他の人間が葉っぱさんのサイトでお知らせをするということは、今後もできないかもしれません。

当面、メーリングリストに新しい参加者を受け入れる手続きなどは、葉っぱさんがされていたので、今、機能しません。

残念です。

火曜日, 8月 21, 2007

ニノのドラマも、嵐のCDも、

松潤が出演するドラマをチェックしていて、『ごくせん』は面白いな、と思って、続きを見ようとしたのだけれど、お父さんからのNGが出ました。娘がマネするからダメなんですって。父親の心、意外でしたが、尊重することにしました。

今見ているのは、二宮君主演の『南くんの恋人』。三巻(5~6話)まで来ました。二宮くん、最初の方はぎこちなかったけれど、だんだん役らしくなってきました。

嵐の歌も、今まではドラマを見るついでに主題歌を聞くだけだったけれど、我慢できずにCDを借りて来ました。
『We can make it』を借りて来たら娘が、「それ私持ってるよ。」既に娘も借りて来たことがあったようです。また無駄にお金を使ってしまいました。いい歌です。「揺るがない夢はいつもそこにある」って、聞いていると、勇気付けられます。

『時代』もいいし、『感謝カンゲキ雨嵐』も、とってもいいです。櫻井君のラップが入っていて、他のメンバーのメロディが乗る、という、嵐のスタイルも、娘に教えられました。ラップという、古い人間の私には縁の無かった音楽にも、出会うことができました。大野くんの声はきれいです。相葉くんは、チャーミングだし。

歌に勇気付けられることは、よくありますが、これだけたっぷり色々楽しめるのは久しぶり。昔は出会うことのなかった歌詞です。嵐に出会えてよかったです。

月曜日, 8月 20, 2007

壊れたノートパソコンを復活させる:続き(秋葉原編)

秋葉原に行ったのは、学生時代以来です。昔の様子はよくは覚えていないけれど、駅前は随分変わって、きれいになっていました。でもほんのちょっと行くと、大きな店と混じって昔の雰囲気と同じの猥雑な小さな店がびっしり並んでいます。

どのお店でハードディスクが手に入るかは分からないけれど、まずは大きなお店に入ってみました。小さな店が沢山ありますが、保障が付いている方がいいので。

駅に近い大きな店で聞いてみました。

「うちでは扱っておりません。」
私「売られているお店の心当たりを教えて頂けないでしょうか。」
「あの大通りの裏の、パーツ屋さんや、パソコンショップにはあると思います。」

う。やっぱり、あの猥雑うら通りの方に行かないと、手に入らない。

ま、怖いわけじゃない、と、ちょっとだけ緊張して大通りを渡りました。

裏に入って最初に見えた、大きめのパソコン館という店に入りました。

「パソコンのハードディスクが壊れたので、入れ替えたいんですけど。」
「デスクトップですか、ノートですか。」
「ノートです。」
「それは、お客様にはできないと思います。」

と来ました。

めげずに、パソコンから外してきた壊れたハードディスクを見せました。「これと同じものが欲しいんです。入れ替えたら動くので。」

奥の方から、別の店員さんが出て来て、ハードディスクを手に取ると、さらに奥の別の店員さんに声をかけました。「これの代わりに使えるのがあるかどうか、上に行って聞いてきて。」メモして行ったパソコンの型番も知らせました。

暫くして、『上』から別の店員さんが、箱を持って下りてきました。持ってきたのはバッファローというメーカーの40GBのハードディスクで、11800円。うちから持って行ったのと互換であると、メーカーが保障しているそうです。ハードの他に、ディスクの内容をコピーするためのソフトがついていて、さらに保障期間が1年ついています。

ひょっとしたら使えるハードディスクが既にどこにも売っていない、という恐れもありました。が、これで、少なくとも売っているものはある、ということは分かりました。内容入れ替えソフトまでついていれば、CDなどにディスク内容をバックアップして丸ごと新しいディスクへと移動させられるわけです。

でも今回はそのソフトまでは要りません。値段をメモして、店を出ました。

ちょっと行くと、入り口の周りにこまごました部品を並べていて、大き目のパーツ屋さんという感じで、「ハードディスク、2階で絶賛発売中」と張り紙がある店がありました。

2階に上がると、色々な部品が並べてある横にガラス棚のカウンターがあり、ガラス棚の中にメモリーやハードディスクが並んでいました。カウンターの店員さんに、例の壊れたハードディスクを見せて、これの代わりになるものが欲しいのですが、と聞いてみました。

店員さんが出してくれたのは、日立の20GBのハードディスク。4500円で、3ヶ月の保障つき。ハードだけが、銀色の袋に入っていました。新品です。

パソコンをハードディスクの修理に出せば、5万円。それに比べれば10分の1です。20GBあれば、ひとまず十分。小さなお店まで探せばもっと安いものもあるかもしれないけれど、ジャンクを買うよりは、失敗の可能性は少ないだろう、というわけで、これを買って帰りました。

久しぶりの秋葉原で、思っていたより、スムーズな買い物ができました。

昨日買って帰って、今朝、パソコンに入れてみました。リカバリーディスク5枚、ちゃんと読んでくれて、OSインストール終了。無事、ウィンドウズが立ち上がりました。

「サービスパックの2までパッチを当てろよ!」と、お父さんの声。  

じっくりパソコンの面倒を見るのは、子供がワラワラをまとわりついていると、結構大変なんですが。
普段は、暇なお父さんが遊びながらやっているのだけど、今回は私がやらないと、パソコンを取り戻せません。そのうちやらなくちゃ。

壊れたノートパソコンを復活させる

暫く前に、パソコンが壊れて買い換えました。今、新しい方で書いています。

で、古い壊れた方はボロボロでした。液晶のバックライトは時々勝手に消えて、無意味に画面が真っ暗になっていました。立ち上げなおすと治っていました。
キーボードもボロボロで、キーの並びは微妙に凹んで波打っているし、いくつかのキーは外れたり付け直したりを繰り返していました。

時々ものすごく遅くなったり、きちんとシャットダウンができなくなったりしてきていました。ああ、そろそろ寿命かな、と思われ、何度かディスクチェックをしました。そのディスクチェックが止めをさしました。会社での経験でも、大抵、ディスクチェックの後には大きな故障が起きる、という気がします。

さて、パソコンが壊れるのを、ドライバー片手に楽しみ待っている者がおりました。うちの息子です。分解したくてしょうがないのです。

しかし、安物の目覚まし時計くらいならまだしも、壊れたと言ってもパソコン。そう、やすやすと子供のおもちゃに引き渡すわけにはいかない、と、お父さんの『もったいない精神』が発揮されました。

私は、もうボロボロだし、いいや、と思って買い換えたのですが、お父さんはさらに調べていました。ハードディスクのエラー箇所を調べ、そこを避けて再フォーマットすればいいのではないか、とか、やっていました。仕事もそれくらい一生懸命やれば??と言ってやりました。

でも、結局、ハードディスクの壊れ方は決定的で、どうにも使いようがない、という結論だったようです。ハードディスクの故障でメーカーに修理に出すと、修理費は約5万円。そこまで出す気にはなりません。

で、もったいない精神の情熱は大したもので、秋葉原のジャンク屋さんに行って、中古のハードディスクを数千円で買ってきて、入れ替えたら、直っちゃったのです。

普通、ノートパソコンのハードディスクはユーザーが入れ替えするようにはできていません。でも、実はできるんですね。

ご立派。息子に分解させたくないというケチ精神の賜物です。それで、なんとなく、私の壊れたパソコンは、お父さんの物になっちゃいました。最初はあからさまではなかったのですが、次第に、直した後に作ったはずの私のIDはなくなり、共有のIDはパスワードを教えてくれなくなり、全然使わせてくれなくなっちゃいました。

で、私も、どうしても使いたい。新しいパソコンは、音がどうにも安っぽくて、DVDやCDの使用感は古い方が圧倒的に良かったのです。子供が使う用にも必要。

「それ、返して! ハードディスク抜いて!」 文句は無かったようで、ジャンクハードディスクを抜いて返してくれました。 ケチ!

ハードディスクを入れれば直ることは解っているので、後はできるはず。久しぶりに秋葉原へと出かけました。

(続く)

日曜日, 8月 19, 2007

破綻していてもいいけど破滅はダメ

『花より男子』から嵐の松本潤を知って、嵐の他メンバーの事や、松潤出演の以前の作品を漁っています。いっぱい楽しめそう!と思って。

「ピカ☆ンチ」の1巻目を見て、「君はペット」の1巻目を見て、「ごくせん」の1巻目を見ました。子供と一緒に見てるというところがネック。夏休みだししょうがないか。それぞれの作品に役者としての松潤の成長の軌跡が想像され、じっくり楽しもう、と思うものばかり。

なのだけれど、一つだけ、灰色にしか見えない映画が出てきてしまいました。

「僕は妹に恋をする」。双子の妹に恋をする話だそうな。

原作は少女マンガで、少女コミックと言いながら、成人誌顔負けのエロ場面満載のマンガらしい。映画も見てないし、原作も見てないけど、見る気になりません。エロ全否定というわけではないけれど、近親相姦というのがいただけない。

花男みたいに、ものすごく異質な二人の恋愛という”ありえない組み合わせ”は、その破綻を乗り越えるドラマがあり得て、花男はそれが大成功しています。

でも近親相姦という”ありえない組み合わせ”は、もともと近い者同士だから、二人の関係に乗り越えるドラマはない。双子っていう設定で年齢をわざわざ揃えていても、自分の分身に恋しているようなもの。双子の恋愛、という設定では、どうにも話の発展のしようがなくて、最初から破滅的。

禁断という枠を利用して、それを乗り越えるというエロのドラマくらいしか、あり得ないでしょう。原作のマンガはそれで売っていたらしい。

松潤はこの作品で何がやりたかったのだろう。彼はエロチックな演技がとても上手だからそれがやりたいというなら、分からなくはないけど、そういう、エロだけの路線には行って欲しくないです。で、実際のこの映画の出来は、ちっともエロくないらしいです。本人も、きれいな映画と言っているらしい。

だったら、松潤がやる必要はない。というより、誰も、やる必要はありません。結局、映画という表街道の表現には、この原作の内容を出すわけにはいかないという良識が働いたのでしょう。つまり禁断だという当たり前の事が確認されただけ。

少女誌なのにエロ雑誌だと言われる元本に注意を集めて、行政の監視を促す効果はあったかも。野放しにされている状況は異常ですから。でも、そんなためにこの映画をやったとも思われないし。

松潤は芸術家肌なようだから、色々やってみたいのだろうけれど。破滅的なものに対する嗅覚は養ってほしいと思います。破滅的では見た人を幸せにできないから。ウェブのどこかで、三島由紀夫の作品をやってみたい、と言っていると書いてありました。三島作品の魅力は肯定しますが、三島は最終的には破滅しているのが、全肯定はできません。いいとこ取りで、成長して行ってほしいと思います。

金曜日, 8月 17, 2007

ファン活動:嵐

花男から松潤のファンになって、そこから嵐というジャニーズグループもいいやん、と、若者の仲間入りの気分。嵐の単行本『アラシゴト』は、娘が大喜びで読んでいます。私も熟読しました。

昨日はハリーポッターの映画を見に行ったのだけど、娘も私も頭の中は嵐や松潤でいっぱい。映画の帰りにはツタヤによって、嵐のアルバムの「Time」や映画「ピカ☆ンチ」のDVDを借りました。

日ごろ、娘の言葉遣いに違和感を覚えることが多かったのですが、花男をはじめこれらの歌やドラマに触れると、娘の言い方にそっくりなのが出てきます。単に、うちの子が素直に時代に従っていただけらしい。

「ピカ☆ンチ」は、嵐の5人が出演する一作目の映画だそうです。子供に見せちゃいけなかったのかも。でも、結局は若者が前向きに人生に取り組む話だったから、よいかな。相葉くん(嵐)かっこ良かったです。でも、うちの子達、何が言いたいお話なのか、よく解らなかったようです。

最近、嵐の5人が出演する映画の「黄色い涙」というのがあるそうですが、これが、癌のお母さんを田舎から東京の大病院に入院させる、というのをきっかけに5人の若者が知り合うというところから始まります。このお母さんはお決まりのように、死んでしまいます。    んんん、ダメじゃん。せっかくだけど、これは見ないことにします。いい出来の作品らしいですが。

他にも、二宮君(嵐)主演のDVDで「少しは、恩返しできたかな」というのがあるそうですが、これは、主人公自身が癌で、死んでしまうそうです。でもこれは実話に基づいているそうだから、死んでしまうお話でもしょうがないのだけれど。

「黄色い涙」の方はフィクションなら、都会の病院にせっかく入院したら、治ったという話になってほしかったな。

でも、今の癌医療だと、都会の大病院に入ったら、かえって治らないのかな。("破綻していてもいい"とは言えないけど、現実。。。)

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相葉くんを相場くんと書いてしまっていました。ゴメンナサイ。教えてくれた奈津子さんありがとう。

木曜日, 8月 16, 2007

映画:ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

あっついあっつい。うちにはクーラーが無いんです。うちは高台にあって風がよく入るので、例年クーラー無しで済んでいるのですが。

まあ、例年、あっついあっつい、と言いつつ、済ませてきているわけで。でも、ここ数日は、もう我慢できないくらい。で、映画館へと避暑に行きました。

やっぱりチェックしておかなければ、ということで、子供達を連れて『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』に行きました。

ありゃ。お父さんがもう寝てしまう。パソコンを使えなくなってしまいます。
一言感想を書いておくとすると、本で読んだ時には細やかな心理描写が記憶に残りました。私はそこがこの本の好きなところなのです。でも、映画では、それが表面的にたどるだけなようになってしまっているようで、残念でした。

でも、まるで世界が崩れていくかのような、大規模な魔法同士の戦いの映像は、堪能しました。

水曜日, 8月 15, 2007

ファン活動

花男がきっかけで嵐の松本潤の写真とか探してましたが、小栗旬や櫻井翔や、嵐の他のメンバーの方は雑誌で見かけるのだけど、松潤は見当たらない。で、我慢できなくて、買ってしまいました。嵐の単行本の『アラシゴト』。(画像が出ません、残念。定価1500円、ユーズド1337円からです。)

嵐の結成5年記念の単行本だそうで、5人のメンバーの、インタビュー、写真、など、それぞれの軌跡がまとめてあります。読んでみると、松潤以外のメンバーも、それぞれに、よいです。ジャニーズの印象が一変しました。

正直、今までジャニーズをこれだけ追っかけたことはありません。若いけどかっこいいだけの、あまり興味を覚えない対象、ていう感じでした。

キムタクは好きでした。でも、私の中で松潤はもうキムタクを越えています。で、そこから広がった嵐というグループも、よいです。それが、どの誰がどう良いと、言えないような、それぞれのどの人も違った良さで、全体がいい。全然知らないグループだったんだけど。

色々読んだり、動画を見たり、しているうちに、二宮君も櫻井君も松潤に負けず劣らず良いという気がするし、相葉君も負けず劣らず良いし、大野君も。

何だろう。危なげがないのがいいのかな。それぞれが個性があるのだけれど、とっても、普通。それが、追いかけていて、安心できる。どこまでも楽しませてくれるだろう、っていう気がする。

まだ殆ど見ていないけれど、彼らの歌の歌詞も、動画を見ながら聴いていると、端々で、癒される。

『アラシゴト』は花男の放映よりも前に出た本のようで、松潤は本の中では発展途上、この本の後に、ワンステップ階段を登ったという感じです。わりと素顔は控えめな、弟キャラなようです。

松潤もよいし、嵐もよいですね。

月曜日, 8月 13, 2007

破綻していてもいい

最近、『花より男子パート2』をきっかけに、松本潤をおっかけています。で、タイトルに書いたように、「破綻していてもいい」ということを考えるようになりました。

『花より男子』の道明寺司(松潤)って、破綻しているんだよね。やることなすこと。性格。乱暴で優しい。美しくて醜い。馬鹿で考え深い。つくし(相手役)へのあり得ない設定の恋愛。松潤はそれを抜群の演技力で丁寧に演じて、魅力的な道明寺司を生み出しています。

ふと気がついたんだけど、私も、破綻している人間。でも、破綻していてもいいんだね。

今まで、Aという私と、別のBという私を、きちんとつくろって、統一した何かである私として生きなければならないと思っていました。そうしないで生きることは、怖いと思います。

でも、松潤が演じる道明寺は破綻していても、破滅的じゃない。自分を本能的に磐石の確かさで信じているから。

究極的には、例えつくしの記憶が飛んでしまうほどに苦悩しても、本能だか霊感だかの導きでそれを乗り越えて窮地のつくしを助けてしまう。ドラマでは何度か、道明寺がつくしを追いかける(守る)のは『本能』って言ってたけど、私には霊感と言った方がぴったりします。

破綻していても、破滅しないでいられるということが解りました。

昨日は、代替・統合医療コンベンションの2日目でした。それの内容もスゴかったんだけど、帰り道の本屋さんやコンビニで、週刊誌や芸能誌で松潤を探してしまいました。裏表紙の広告に小栗旬が使われてたけど、松潤はどこにも無し。毒気のある松潤より清潔感の小栗旬の方が受けているのかな。かつえて、でもそのまま帰りました(当たり前じゃ)。

日本の世の中、色々破綻しています。癌コンでは癌医療の色々な破綻が示されました。年金も破綻しているし。年金なんて、あれで何で暴動にならないんでしょ。総理大臣はやめないし。

でも世の中の破綻まで責任感じる必要はないんだ。そもそも自分が破綻してるんだし。

破綻したままで、1人分を生きることで、1人の人間になれる。自分という本能や霊感をしっかり感じていれば、できる。それでいいんだ、と思うようになりました。

土曜日, 8月 11, 2007

第13回代替・統合医療コンベンション1日目

代替・統合医療コンベンションの1日目に行って来ました。

この夏は、システム科学学会と、代替・統合医療コンベンションと、両方があって、どっちも行きたい、行きたい行きたい!!って、思ってたのですが、日程も続いているし、現実には両方に行く元気も余裕もありません。

システム科学の方は又とない貴重な機会だとは言え、まだまだ勉強不足で、代替医療の方だってそうなのですが、システム科学よりはとっつきやすそうなので、代替・統合医療の方にしました。

にわかボランティアでお弁当係をしました。せっかく行くなら何かやった方が、より色々なことが分かるのではないかと思って。

お弁当販売準備や、販売・後片付け後のお昼ご飯になったため、いくつかの講演は聴けませんでした。でも、朝から全部聴いたって、消化できないし疲れちゃいますから。素晴らしかったです。お目当ての、帯津先生のお話と、安保先生のお話は、聞けました。

今回のコンベンションの主催の癌コントロール協会は、ごく最近時々顔を出すようになりましたが、やはり、けっこうハイテンションなところがあります。これまで医療としては正道扱いされていなかった部分もあり、けっこう、世の中を変えなければならない、という使命感のようなものがなければ進めていけない分野なのだと思います。

それは立派で、これからの癌治療のためには絶対に必要なことなのだけれど、治療を終えた一般癌患者としては、ハイテンションにはちょっと引いてしまう部分も、実はありました。

だけど、癌の治療が3大療法だけで十分ではないことは、否定のしようもありません。既に、米国などではがん治療のウェイトは大きく代替療法の方へと移っているようです。

ハイテンションの背景には、既存の製薬業界、医学界、医学部の教育、農薬に依存した政界の体制などを覆さねばならないということがあるようです。

ハイテンションに引いてしまう部分のある私にとって、一番ホッとして、また、素晴らしいと思い、心強く思ったのは、安保先生のお話でした。新潟弁で、ゆったりとユーモアを含めながら、すごいハイレベルのお話をしてくださるのです。絶対的な智識と経験と自信があるから、余裕があるのですね。

内容はまだ消化できなくて紹介できませんが。 疲れちゃったし。

癌医療は、変わるでしょう。300年後、という話がありましたが、安保先生によると、50年後とのことでした。

別の先生は、来年には、『癌患者解放宣言』を発表する、と仰っていましたが、これに安保先生や帯津先生、あとゲルソン療法の星野先生も、連名とされるようです。

また、日程終了後に、会場の方で何か言っておきたいことがある人は?一番遠くから来ている方何かお話を、という呼びかけがありました。驚いた事に、ニューヨークから来ました、と、あの『地球交響曲』の龍村仁監督のお姉さんという方が出てみえました。

代替医療と地球交響曲、通じる部分があると思います。潮流だと思いました。

(始め代替医療コンベンションと書いたのは間違いで、代替・統合医療コンベンションでした。また、代替医療協会ではなく、癌コントロール協会でした。)

金曜日, 8月 10, 2007

ドラマの中の癌

最近、娘と『花より男子パート2』を見て、松本潤クン(松潤)のファンになりました。かっこいい、かわいい、演技がうまい。

で、松潤が出た他のドラマということで、『金田一少年の事件簿』のDVDを借りてきました。うんうん、かわいい、かっこいい。特に、エンディングの映像は、怪しくてきれいでゾクゾクします。

で、それは良かったのですけど。

出てきたのですね、ちょこっとですが、『癌』。登場人物が、実は癌で、死ぬ前に、誰それ誰それを殺しておきたい、と、いうセリフ。

うんざり。『癌』って、ドラマの中でこういうふうに使われる。今回、ドラマの本筋にとって全然重要ではなく、ちょいと小道具として使われていました。

癌の人が死なないような映画がないかな??と思ってちょっと調べてみたのですけど、ぜんぜん見つかりません。

ここまで徹底的に癌の人は死ぬというイメージでドラマや映画が作られ続けていると、死なない癌の人を登場させる作品を作るのは、大変なのかも。

『事実は小説よりも奇なり』  ちょっと使い方が違う?

癌についての現実には、創作の世界で開かれていない大事な部分があるようです。なんたって、癌になっても3分の1は癌では死なないのだから。

日曜日, 8月 05, 2007

癌研病院サテライトさとう消化器内科クリニック:眠っているうちに内視鏡検査

昨日は、池袋のさとう消化器内科クリニックに行きました。

前回三田病院の頭頸科に行った時に、「そろそろ再発の心配ばかりでなく、他の癌のことも考えた方がいい」と言われました。

癌の術後、もうちょっとで三年。幸い、再発・転移無しで来ているのは嬉しいのですが、最近、治癒率が上がるにつれて、もとの癌とは関係の無い別個の癌が出てくる人も多いそうです。最初の治療の時に抗癌剤やら放射線やらをやっていると、それが他の癌を誘発することもあるらしい。そういうのを多重癌というそうです。

ま、しょうがないですね。そういうものらしいです。口腔癌の場合、やはり消化器系の多重癌の確率が高いとのこと。

さとう消化器内科クリニックは、今は有明にある癌研病院が大塚にあったころから癌研病院と提携していた病院だそうです。検査の予約待ちが長くなってしまう癌研病院での治療がスムーズに行くように協力していたとのことで、今でも必要な場合は癌研病院への速やかな紹介を行っているとのこと。今の三田病院の主治医は癌研病院から移られた方です。

食道、胃の内視鏡検査は、最初の告知の後、口腔癌の治療前にも受けましたが、

「あんなの、二度とやりたくない」

と思ってました。でも、さとう消化器内科クリニックの検査は、眠っているうちにやってくれるとのことで、辛くないですよ、と、こちらへの紹介状を書いて下さいました。

JR池袋駅から歩いて5分、区役所の裏手のビルの三階にありました。

入り口には熱帯魚の水槽がありました。受け付けから、緊張感や苦痛感の生じがちな検査を患者がリラックスして受けられるよう、病院の方全員が万全を備えているという感じでした。パンフレットによると、高度な画像診断を行うと同時に『快適・安楽な検査へのこだわり』『安全へのこだわり』が特徴とのこと。

検査は、まず、「胃をきれいにする」という、味の無い液体を少し飲みました。それから診察着に着替え、ストレッチャーのような診察台に横になります。スプレー式の苦い麻酔剤を口の中にスプレーします。

内視鏡を入れるためのマウスピースをくわえます。私は口が2センチほどしか開かないので、ちょっと心配でしたが、ちゃんとマウスピースが入りました。

鎮静剤を点滴する、とのことでしたが、実際、殆どの人がこれで眠ってしまうようです。それでも鎮静剤って言うんですかね。私も、目がさめて気がついたら終わっていました。全く途中の意識はなく、ずーっと眠っていました。始めたのは11時前だったと思いますが、気がついたら2時過ぎになっていました。

気がついた後、水と、小さなゼリー2個と、あめ玉を2個もらいました。検査のために朝食抜きだったからちょっと嬉しかったです。

それから、すぐに結果の説明がありました。写真を見ながら、『異常なし。』写真のコピー4画像分をおみやげ?にもらいました。

ちょこっとだけ、胃炎の治った痕があるとのことでしたが、これは多分、3年前の前回の内視鏡の時にもあると説明されたものと同じもの。一応、そこの組織をちょっとだけ取って精密検査するそうです。あと、ピロリ菌の検査という小さい試験管がありました。

でも、検査はどうやらダメ押し的なもので、ピロリ菌も、見ただけで「大丈夫そうですけどね」とのこと。

「前回内視鏡をやった時には、2度とやりたくない、って思ったんですよ」というと、さとう先生は、

「ここの検査だったら、何回受けてもいいと思うでしょう?」

ですって。

ま、何回も受けたいというわけではありませんけど、前回よりもウンと快適な検査でした。

検査の結果を10日後以降に聞きに来るようにとのこと。

検査クリアで、だいぶ気が楽になりました。

木曜日, 8月 02, 2007

「東京タワー」も見れないや

映画やドラマで「誰それは癌だって」というのは、その人はもうすぐ死ぬ、という設定。

やんなってしまう。

映画の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」も、感動の映画らしいですが、お母さんは癌で、死んじゃうらしい。そのクライマックスへ向かって感動が盛り上がる、らしいです。

実話だそうです。実際の、素晴らしいお母さんのお話なんですね。

でも、癌で人が死ぬ話は見ないことにしたので、これも見れません。



実話のストーリーには文句はつけられないけれど。

でもさぁ。死なないと感動してもらえないのかしら。

分別のつき始めた娘には、時々話すことがあります。

「ドラマとかで、癌、ていうと、その人が死ぬっていう設定でしょ。あれがお母さんはイヤなの。実際は、死なない人もいっぱいいるんだよ。」

事実だもの。癌になった親を持つ子には、きっちり理解しておいてもらわねばなりません。

『判官びいき』とかとも関係があるのかなぁ。日本人はヤラレて敗退する側を応援するのよね。強くて勝ち残る者は概して嫌われる。

でも、私は、癌の後生き残っている人はかっこいいと思う。『映画 寺山心一翁』とか、『映画 長友明美』とか、作って欲しいです。既に私の中ではスターです。樋口強さんとか、川竹文夫さんとかも。まだお若いから映画にというわけにはいかないかもしれませんが。

他にも、たくさんおられるハズなんです。癌になる人全員のうちの3分の1は癌では死なないんだもの。

水曜日, 8月 01, 2007

生きている人を見る

夏休み。家の近くの映画館で、『Life 天国で君に逢えたら』というのをやるとポスターが出ていました。

恋愛ものかな?と漠然と思っていたら、プロウィンドサーファーの飯島夏樹さんという方が、癌になって、家族と過ごした時間などの本を映画化したものだそうです。

残念ながら、最近亡くなられた方のお話だそうです。

だから、私は見ません。

癌で余命いくらいくら、とか言われて、或いは何年後に生きてはいないでしょう、と言われて、その後を立派に生きることは、立派だし、感動を呼ぶけれど、それで結局亡くなったという方のお話はさらに感動を呼んで目立つのです。

この映画も素晴らしい作品なのだろうけれど、でも、癌になって死ぬ、というストーリーは、私は避けようと思います。

心は免疫に影響を与えます。『気持ち』でがん細胞は増えたり減ったりするのです。

余命より長く生きたら、それもとても貴重だけれど、でも私にはそれでは足りない。何としても、孫までは見ないと。

癌になった人の3人に1人は癌では死なない。そちらの方の方のお話は、なかなか映画にはならないようですね。でも、癌患者にはそちらの方が薬になります。

是非、そういうお話を、映画にしたりマンガにしたり、してほしいものだと思います。世の中の先入観も変わるはず。

『いのちの落語』の樋口強さんが、落語講演会で、「生きている人を見て下さい」と言っておられました。彼は、生きているはずがないと言われた5年目よりも、さらに5年以上も過ぎた今も、生きているのですね。その事実を重視して、素晴らしい先輩のアドバイスを採用しようと思います。

火曜日, 7月 31, 2007

ドン・ホセと癌患者の関係?

昨日は鎌倉芸術館のコンサートで、小澤征爾音楽塾オーケストラ&合唱団のビゼーのオペラ『カルメン』を聴いてきました。小澤征爾さんに遭遇した!ことなど、『子育て日記』の方にも書いておきました。

で私は、じっくり『カルメン』を聴いたのは、初めて。フランス語でしたが、舞台の両脇に大きな縦長の電光掲示板(のようなもの?)があり、歌詞の日本語訳が出ました。

簡易版のオペラ形式のような上演で、舞台の前半分にオーケストラ、後ろ半分に一段高く声楽部分の舞台があり、この後ろ部分の舞台と、時々オーケストラの前にも声楽の人たちが出てきました。主要な登場人物は舞台衣装をつけていましたが、多くのその他の登場人物はオーケストラと同じような、スーツ姿やツーピース姿です。それでも、聴いていると、だんだんと普通のオペラ舞台のように華やかな舞台衣装でお話が繰り広げられているかのように見えて来るから、音楽は不思議です。

で、お話は、ジプシー女のカルメンに、ぞっこん惚れたドン・ホセが、振られて、最後はカルメンを刺しちゃうのです。

ドン・ホセ役の志田雄啓さんのテノールが絶品で、切々と恋心を訴え、拒絶されても、追いすがり、さらにすがり、さらにすがり、どうしても思い通りにならないと分かると、やがて恋心が怒りに変わっていく、それを歌い上げる舞台に向かって、思わず身を乗り出して聞き入ってしまいました。

そう、好きなんだね、それでも、だめなのよ、カルメンはあんたの思い通りにはならないんだよ、と、言ってやりたいと思っているうちに、、、、あれあれぇ、、刺しちゃったよ。

それで、物語は終わっちゃうのです。カルメンて、そういうお話だったのですね。

ドン・ホセは馬鹿なやつだねぇ。

恋愛沙汰で相手を殺してしまったり、逆に自分が死んでしまったり、ということは、実際にもありますね。大抵は、実際に殺してしまったり死んでしまったりという手前で、何とか踏みとどまるものですが、そういかない時もあります。踏みとどまれる人であってほしい。全員が。

などと考えてみると、癌患者も似たような場合があるかもしれません。なにせ、NHKスペシャル「なぜ人間は治るのか」によると、癌が治った方で、癌を作るのも自分自身、治るのも自分自身の心による、という方が、沢山おられるのです。

息子が麻薬で逮捕されたのがショックで、それは自分の育て方が悪かったからだ、と思いつめているうちに、自分はきっと白血病になるに違いないと思うようになり、その後本当に白血病になった、とか。色々な方が番組のDVDに出てきます。

こういう場合癌になるのは、あからさまな自殺でなくても、一種の自殺のようなもの。行動で自殺することをしない代わりに、心から発せられた信号によって細胞レベルでの自殺が起こっているのか。

そういう癌を「自分が作った」と、なかなか普通は自覚できないものでしょう。治った人たちは、自覚できた人たち。別の治った人は、まさか、あれだけ立派に生きていたはずなのに、その私の生き方が間違っていたなんて、絶対に認めることはできなかった、でも、自分を生きてはいなかった、やっぱり私の生き方がいけなかったんだ、と分かった、と言っていました。

ドン・ホセに、カルメンは思い通りにならないと納得させるのと同じくらい、難しいのかも。

癌になった私も、ドン・ホセと同じくらいに馬鹿なやつだったのかも。

月曜日, 7月 30, 2007

人間はなぜ治るのか(ガンの患者学研究所貸出しDVD)

元NHKディレクターの川竹文夫さんが主催しておられる「ガンの患者学研究所」で、NHKスペシャル『人間はなぜ治るのか』のDVDを貸し出してくださいます。暫く前に申し込んでいたのですが、昨日届きました。

3回分が収録されています。昨日2つ見て、今3つ目を見ています。

素晴らしいです。治った方のお話は、説得力があります。自然治癒力は、実在していて、それですっかり良くなり、元気に暮らしておられる方がたくさんいることが分かります。

私1人で見ているのはもったいないです。がんの闘病中だったり、がんの経験をした方には全員に見てほしい。

3回目はイメージ療法の効果。イメージ療法で脳腫瘍が消えてしまいました。

3回分の番組で一貫して色々ながん経験者の方々が言われているのは、「自分が治す」ということ。もう、100パーセントのプラシーボです。

3回目はサイモントン療法の紹介で、『バイオフィードバック』の応用で、心の状態が体に影響を与えるということを活用しています。今日本でのサイモントン療法のイメージはこの番組の放映に依っているのですね。

このDVDは、著作権をNHKが持っているということからか、ガンの患者学研究所からの貸し出しになっています。販売できるようにはなっていないのかもしれません。返却期限はないのですが、「治ったさんになったらお返し下さい」とのこと。

多分、人を集めて共同で視聴したら、著作権違反になるのでしょうか。借り出す申し込みの時に「勉強会のような形式で複数で視聴してもよいでしょうか」と質問してみたのですが、返事がありませんでした。

とにかく、多くの人に見てもらいたいものです。

日曜日, 7月 29, 2007

気持ちが大切:調味料(アミノ酸等)

先日の代替医療の勉強会で、お医者さんの方から調味料(アミノ酸等)の害と、野菜をいっぱい食べなさい、というお話を伺いました。

以来、スーパーでは何でもひっくり返して『調味料(アミノ酸等)』と書いてあるのを見ては棚に戻す、を繰り返しています。ホント、『調味料(アミノ酸等)』を避けるのは、至難ですよ。

生協の品には使われていないようなので、なるべく生協を使うようにしていますが、到底すべてというわけにはいきません。もう、世の中は『調味料(アミノ酸等)』で満ち溢れている、って感じ。

夏休み、子供達は家にいるわけで、三度の食事の準備をしなければなりません。母である私が三度作っていたら、一日中が食事の準備だけで終わってしまいます。特に何も考えなくたってそれだけでもすっごく大変で、昼食くらいは、ピザを買ってきたり、調理パンを買ってきたり、したいもの。おそうめんにしたり冷やし中華にしたり、そのタレに『調味料(アミノ酸)』が入ってないものを、と思って準備しますが、毎日はもたないです。

今日はお父さんも家にいるので、「久しぶりに○ックに行こう!」ということになりました。もう、ファーストフードに行こうという段階で、化学調味料を避けてるとは言いがたいですね。

当然のようにセットの野菜サラダのドレッシングには『調味料(アミノ酸)』。予想してましたが。書いてはないけど、○ーズバーガーの方にも入っているんだろうな。きっと、フライドポテトにも。

昨日は自治会のお祭りで、夕食はお祭りのやきそばとおでん。うちの自治会のお祭りは食べ物を自分達で作ります。私もおでんを担当したことがありますが、自分達で作ると言っても、具を下茹でした後、『おでんの素』で煮るのです。きっと、『調味料(アミノ酸等)』入り。

昨日はお祭りのゴミを自分達で持ち帰る、ということで、おつゆまで持ち帰るわけにはいかないわぁ、と思い、おつゆも全部飲んじゃいました。昆布を食べながら、そういえばアミノ酸のLグルタミン酸ナトリウムっていうのは昆布の旨み成分だったなぁ、と思い出し、その後おつゆを飲むと、なるほど、昆布の旨みと同じ味。

この味が、世の中で売られている食べ物のかなりの部分の『おいしさ』の中核になっているようです。でも、「あの味だぁ」と思うと、美味しく感じなくなりますけど。

『調味料(アミノ酸等)』を本気で避けようと思ったら、ご近所づきあいもできなくなってしまいます。

本気で避けるのは、一般の主婦では無理。相当に大変。専門のお抱え食材担当仕入れ係、調理係を従えているセレブな奥様ででもなければ、無理。

でも、この矛盾を解決するすごい考え方をみつけてしまいました。

外科医の土橋重隆さんの「生き方が病気をつくる」というページには

「悪いものを食べても大丈夫なような体づくりをしないといけない」

とあるのです。

まだみつけたばかりで、それはどうすればいいんでしょ???という感じではありますが。

でも、日光だって、紫外線は体に悪いということに今はなっていますが、盛んに言い出したのは最近のこと。ある程度の紫外線は必要ですらある、はずですよね。日焼けが健康のシンボルであった頃もありました。

日焼けした健康な人は「紫外線を大量に浴びても大丈夫なような体づくり」ができていたのです。日傘と日焼けクリームと長袖長ズボンで紫外線完全防備をしている人と、どちらの方がより健康なのかは、難しい問題じゃないでしょうか。

とでも思わなければやってらんない、というくらいに、そこらじゅうに『調味料(アミノ酸等)』はあります。

タバコだって、暫く前にはタバコを避ける方がマナー違反のように言われたものでした。で、タバコを吸ってても癌にならない人も皆無ではないわけで。。。時代が変わってくるまで、なるべく避けながらも、一般庶民はそこそこに世の中とつきあわなければならないんでしょう。

金曜日, 7月 27, 2007

癌サバイバーではなく、癌経験者

癌で死ななかった人を、『癌サバイバー』と呼ぶらしいです。

サバイバーって、生き残り? これって、死ぬはずだったけれど死ななかった、という意味かしら。

そういう意味、感じちゃいます。それは、いやだ。

癌の告知=死の宣告、みたいに受け取られることもありますが、それは、もう、古い! だって、癌になってもその3分の1は癌では死なないのだから。サバイバーって言うには多すぎるじゃないですか。

私も生き残ってますが、まずは、つらい治療の最中にも、そういう、きっと死ぬはず、という刷り込みが、治療中の癌患者を苦しめます。これだけちゃんと治療しているのだから、きっと死なない、と、治療中の全員が思っていいはずです。でなきゃ、治療の意味がない。

お医者さんの立場では、「きっと良くなります」とは言えないのでしょう。うっかり言ったら医療訴訟になったりもしますから。

きっと悪くなる、と思わせておいた方が、安全?てわけではないのだろうけれど、お医者によっては、やたらと悲観的な方もあります。最悪の場合を想定しておいた方が、安全、安心、という考え方か。何人もが死ぬのを見てきたから、きっと死ぬだろうと思っている。或いは、教科書にそう書いてあるから、そうなるだろうと思っている。でも、今生きようとしている1人の患者を前に、そういう先入観を持つのは傲慢です。平均は平均。殆どの人は、そこからはずれているのだから。

治療中、患者は、最悪の場合を想定しちゃダメ。お医者さんとは立場が違う。死について考えることは必要だけれど、死ぬと思う必要はない。良くなるものまで良くならない。

だから、癌サバイバーという呼び方は、ある意味、害があると思う。過剰に怖がらせてしまいます。
癌患者は否応無しに、色々なことを考えるから、癌になったことのない人より、貴重な人生経験をします。だから、癌の後元気に暮らしている人を、癌サバイバーではなく、『癌経験者』と私は呼びたい。

樋口強さんが言うように、癌患者(癌になる日本人)は日本人全体の約2分の1、メジャーだけれど、癌で死ななかった元気な『癌経験者』も、実はかなり多い集団ではないでしょうか。日本人の6人に1人、30人中5人なら、そう珍しいわけではありません。実はありふれているのです。

「癌がうつる」ってことはないのに、癌の経験は隠されることも多いようです。今、目立たないのは、サバイバーなんて言われるのがイヤでひっそりしているのかもしれません、

火曜日, 7月 24, 2007

癌で死なない人を増やす

先日行った落語講演会「いのちの落語」で、癌患者はメジャーだ、という話がありました。

今、日本人のおよそ半分は、癌になるそうです。そして、日本人のおよそ3分の1は、癌で亡くなる、とのこと。

ということは、引き算をすると、日本人全体のおよそ6分の1は、癌になっても癌では死なないわけ。これ、けっこう、多いのではないでしょうか。

癌になった、もう、死ぬかもしれない、と、思われることが多いのですが、癌になって癌で死ぬのは、癌になった人3人のうち2人まで。3人のうち1人は、癌では死にません。

30人いたら、15人が癌になるけど、その中に癌では死なない人も5人はいる。

サイモントン療法では、感情が治癒に大きく影響を与える、と教えてくれています。同様の事は他の場面でもよく言われるのです。

だから、今、癌の3人のうち2人までが癌で死んでしまうのは、きっと死ぬのだ、と思い込んでしまうことも影響しているのではないでしょうか。死ぬと決まったわけじゃない、と思っていたら、死ななかった人も多いのではないでしょうか。

余命何年、と告げられて、そうなると思い込んでしまう事は多いと思います。ひどい時には、こういう風に悪くなるはず、という知識に合わない患者の状態を見ると、「変だなぁ」なんて、声に出して言う医者もいます。ばかたれ!です。ばっちり、後で看護婦さんに苦情を言っておきました。

でも、気の弱くなっている多くの素直な患者は、お医者が、きっとこうなる、と思っていれば、きっと自分はそうなる、と、信じてしまうのです。

そういうことが無くなれば、きっと、3人のうちの1人ではなく、もっと多くの癌患者が癌では死ななくなるのではないでしょうか。

2人のうち1人に、3人のうち2人に、と、癌でも生き延びる人が増えて行くのではないでしょうか。

全員がとは行かないでしょうけどね。万人が避けることのできない老化で、いずれ体のあちこちの細胞が癌っぽくなることは避けられないでしょうから。

メジャーらしく、もっと何とか、したいものです。

日曜日, 7月 22, 2007

「癌が悪化するとは限らない」サイモントン癌療法のビリーフワーク(モルツビーの5つの質問表)

サイモントン療法はNPO法人サイモントンジャパン主催の宿泊セミナー(6日間)で学ぶことができるのですが、私は宿泊セミナーに行ったことはありません。家族が気がかりで、それだけ宿泊して家を開ける気になれなかったのです。統合医療ビレッジのカウンセリングには通いましたが、やはり消化し切れていない気がして、「10の原理」の翻訳など、してみているのです。

で、やはりちゃんと身についていないようで、ネットで探していたら、ビリーフワークの詳細を紹介して下さっている記事がありました。

サイモントン療法プログラム概要にも、『モルツビー博士の質問表』というものが載っています。信念が健全であるかどうか、をチェックするためのツールで、5つの質問です。

1.この信念は事実に基づいていますか?
2.この信念は自分の健康や生命を守るのに役立ちますか?
3.この信念は自分の短期的、長期的目標を達成するのに役立ちますか?
4.この信念は自分の悩みや困難を解決、解消するのに役立ちますか?
5.この信念は望ましい気分をもたらしますか?

このうちの2つがNOだったら、その信念は『不健全』であり、書き換えが必要なのです。私、ここまできちんとは理解していなかったのですね。

これはネット上でいくつかのサイトに載っていました。だから再録しても著作権違反ではなかろうと思うのですが。

このチェック表を用いてがん患者が陥りがちな不健全な信念の色々を書き換えて見せて下さっているのが例えば「ワンダーランドへの軌跡」というブログのビリーフワーク(その2)の記事です。例えば

「がんになった私は二度と健康になれないに違いない」

を、

「がんになっても、健康を取り戻せる可能性がある」

に書き換えます。この方が、事実だし、役立つし、気分が良くなるのです。

ありがちなのは、

「がんになったけれど、必ず健康を取り戻す」と無理に信じようとすること。

これは、私もカウンセリングのセッションでよく指摘されたのですが、そんなことを信じようとしても、嘘っぽくて本心では信じられないのです。実際、事実でもない。でも、「二度と健康になれない」も、事実ではないのです。

「健康を取り戻せる可能性がある」が事実であって、これは信じられます。

上記のページには他にも色々な例が載っています。とても参考になって、読むだけで元気が出ますから、気になる方、是非読んでみて下さいね。

木曜日, 7月 19, 2007

復帰後の仕事

私は自分が癌になった(癌をひどく悪化させた)背景に仕事はきっと関係がある、と思っているので、元と同じ働き方に戻るつもりはありません。ハードな開発競争を強いられる我が職場でも子育てしながら仕事をこなしている女性の同僚も沢山いるのですが、私はそれができるタイプではなかったと思います。それで、仕事を変えて下さい、と、上司に頼んだのです。

有難いことに、組合員だから、これだけ休んだ上で仕事を変えて復帰したい、と言っても、クビにはならない。

とは言え、仕事が選べるわけではありません。社内にある仕事で、人を必要としていて、私にできることがウマイことあるかどうかは、甚だ疑問なのです。

で、やらせてくれそうな職場が見つかったという連絡が来たのですけど、それが勤務地が遠いのです。と言っても一時間半弱の通勤時間なのですが。

一般的なサラリーマンとしては長い通勤時間ではないと言われる時間ですが、実際、子育てして仕事しての通勤時間のロスは、半端じゃなく生活の質に響くのです。世のお父さん方は、完全子育て放棄状態だから、一時間も二時間もかかる通勤ができるのですよ。

今の家には、保育園と会社と生活環境を考えて、わざわざ探して会社の近くに引っ越してきたのでした。元の職場には25分以内で行けます。でも、結局、通勤時間を短くした代わりに、それ以上にいっぱい残業したっけ。

通勤時間をかけて、残業はせず、むしろ短時間勤務にして、仕事はそこそこに。そんな生活にしないと、続きそうもありません。そこそこにやらせて貰えそうな職場に移ることは必須。パートにしたいくらいなのですが。うちの会社にはそういう制度はなく、病後ということで短時間勤務にはさせてもらえるそうです。

通勤時間がかかるということが、仕事量を減らす枠を作ることになるかな。

減らすと言ったって、毎日通えば仕事は仕事。それなりに経験は積めるはず。

わがままを言うと関連会社行きを薦められるかもしれません。そうなるといずれクビだぞ~との声も。

まだまだ、どうなることやら分かりませんが。人生、仕事が主体というわけじゃない。当たり前のことですが。癌のおかげで、定年前にそこにたどり着かせてもらえたのかも。

水曜日, 7月 18, 2007

サイモントン癌療法の10の原理:その5

サイモントン癌療法の10の原理
"The Ten Tenets of The Simonton Cancer Program"


5. All of us function as physical, mental, social and spiritual/philosophical beings. These aspects need to be addressed in the broad context of healing, with a focus on the particular needs of a person who is ill, and that person's family, community, and culture.

5.我々は皆、肉体的な、心理的な、社会的な、精神的/哲学的な、存在として活動している。病気である人、その人の家族、地域、文化の個別の必要性に注目した上で、これらの側面に本腰を入れて取り組み、その広い文脈における治癒を目指さなければならない。




==

サイモントン癌療法10の原理の訳の続きです。

10の原理 その1その2その3その4は、


1.我々の感情は、健康と病気(癌を含む)からの回復に大きな影響を与える。感情は免疫系やその他の治癒の仕組みの強い原動力である。

2. 我々の考えや態度は、我々の感情に影響を与え、それによって我々の健康と治癒の仕組みに影響を与えている。

3.我々は自分の考え方や態度に大きく影響を与えることができる。それによって我々は、自分の健康に大きく影響を与えるように、自分の感情を形成することができる。

4.考え方、態度、感情へ影響を与えるやり方は、このプログラムで与えられる様々な用いやすい方法によって、すぐに教わることができ学ぶことができる。



でした。

考え方や態度が治癒に良い影響を与える方法はサイモントン療法で簡単に学べる、と述べた上で、その5では、実際に考え方や態度を変えるということはどれほど大きな意味を持つかを指摘します。また、治癒へと向かうための背景として精神的/哲学的側面にまで言及するのは、サイモントン療法の特徴の一つであると私は思います。

ここでの精神性や哲学は、特定の宗教や哲学のことを言うのではありません。人それぞれの、何らかの精神的/哲学的側面のことを言います。

考え方や態度は、患者個人の肉体、心理的側面のみならず、患者をとりまく社会的条件や、精神的/哲学的側面によって強く拘束されています。家族との関わり方はどうなのか、仕事の条件はどうなのか。そもそもそういう関わり方や仕事を選んでいる精神的/哲学的側面はどういうものであったのか。

生活の何に喜びを見出せるのかは人それぞれに違います。例えば玄米が良い、という考えは多くの人を救っているようですが、我が家のようにそれができない家庭もあります。でも、玄米が良いという考えは単に栄養に留まるのみでなく、玄米は生きていて、命の源である、それを戴く、という精神的/哲学的な背景をも持つのです。そして、家族の食事をそのようなものに変えるということは、患者のみならず、家族の他のメンバーの命についての考え方も変容させ、時には親戚の考え方も変えていくかもしれません。そのような広い文脈で患者の気持ちを支えていけば、これで病気が良くなる、という患者の感情は確信となって、治癒を実現しやすいでしょう。

但し、それはそれぞれの患者の家族、社会、文化の個別の必要性に注目した上で目指さなければならない、と指摘しています。だから、玄米に限ることはないのです。

玄米が良いとしても、それが家族の不和を招いたり、過剰なこだわりが社会的に過剰な摩擦を招いたりする場合は、感情への影響は逆効果となるでしょう。

場合によっては、家族と同じ食事でなく、患者だけが自分の体に良いと思う別の食事を摂ることも良いことです。そこでは、家族との関係の再構築が必要になるかもしれません。

食べ物はほんの一例で、色々、色々、沢山、考える必要があるでしょう。考えを検討して、健康に良い考え方に変えることは、時として家族、社会、文化へも波及効果を及ぼします。それぞれの必要性に注目して、本腰を入れて取り組み、広い文脈において改善すれば、治癒への歩みを維持する事ができるのです。




       

日曜日, 7月 15, 2007

サイモントン癌療法の10の原理:その4

サイモントン癌療法の10の原理
"The Ten Tenets of The Simonton Cancer Program"

4. Ways of influencing beliefs, attitudes and emotions can be readily taught and learned by using a variety of accessible methods that are presented in this program.

4.考え方、態度、感情へ影響を与えるやり方は、このプログラムで与えられる様々な用いやすい方法によって、すぐに教わることができ学ぶことができる。



==

サイモントン癌療法10の原理の訳の続きです。

10の原理 その1その2その3は、


1.我々の感情は、健康と病気(癌を含む)からの回復に大きな影響を与える。感情は免疫系やその他の治癒の仕組みの強い原動力である。

2. 我々の考えや態度は、我々の感情に影響を与え、それによって我々の健康と治癒の仕組みに影響を与えている。

3.我々は自分の考え方や態度に大きく影響を与えることができる。それによって我々は、自分の健康に大きく影響を与えるように、自分の感情を形成することができる。



でした。

感情が病気からの回復に大きな影響を与え、自分の考え方や態度を自分で検討し改善し、感情が健康に良い影響を与えるようにすることが、できる、と、その3までで述べました。しかし、実際にそれを行うことは簡単ではありません。
その4で述べる『このプログラム』とは、サイモントン療法のプログラムのことです。サイモントン療法のプログラムは、感情が健康に良い影響を与えるように、考えや態度を変えていくための、様々な用いやすい方法を教えてくれる、というのです。

サイモントン療法、と言った時に、イメージ療法のこと、と考えておられる方も多いようです。「白血球ががん細胞をばくばくと食べている様子をイメージする」など。

でも、私がサイモントン療法のセッションに通った時には、いわゆるイメージ療法の内容は殆どありませんでした。サイモントン療法の内容は常に改良を続けられているそうです。上記の『プログラム』は、米国のこのサイトでのプログラムを指しているのでしょう。日本のサイモントンジャパンでのプログラムと同一ではないかもしれません。

私が受けた内容の大部分は『ビリーフワーク』と言われるもので、心配な事、不安な事を書き出し、それを心配でない内容に置き換える作業。置き換えただけですぐに信じられるようになるものではありません。でも、よくよく、よ~~~く、考えていると、心配や不安が実は根拠のないものであったことが分かってくるということが、いくつもありました。

まだまだ、もっと修行したいな、と思い、もらった宿題を終えていないうちに、「ひととおりコースを終えました」と言われたので、私にはサイモントンのプログラムの全容は到底見えません。後は自分で探っていかないといけないのでしょうね。

だからご紹介はできないのですが、サイモントン療法の短期宿泊セッションが定期的に行われていますので、体験してみられることをお勧めします。患者本人にも、家族など、サポートをする立場の方にとっても、大変有用です。サイモントン療法では、その人、その人に応じて、様々に考えや態度を改善してくれる方法が体系的な技術としてあるのです。



       

金曜日, 7月 13, 2007

検診:異常なし/プロテーゼの調整など

楽天ブログの方で先にご報告しましたが、国際医療福祉大学三田病院に行きました。術後2年9ヶ月の検診で、異常なしでした。今回はCTなどはなく、口の中を見て頂くのと、首の触診でした。割と楽チンな検診です。異常無しで安心しましたが、予約をした内視鏡の方がユウウツです。多分こちらも大丈夫だと思いますが、職場復帰の予定もあり、安心しておいた方がいいと思って申し込みました。

8月いっぱいで復職しようと会社と相談していることもお話しました。体重が今だに最低体重から増えないこと、でも日常は元気に過ごせることを話すと、そうだねえ、そろそろ動いた方がいいかもねえ、とのことで、どっちでもいいよ、ということでした。

会社からも、復帰できるか主治医の意見も聞きたい、と言われたのですが、いいよ、と言われた、と言ってよいようです。

この日は歯科にも行って、久しぶりにプロテーゼの調整をしてもらいました。

痛かったプロテーゼも、かなり慣れてきていましたが、やはり時々ず~んと頭が痛くなります。また少し削って頂きました。
また、前歯の所のプロテーゼの端が出っ張っていて、鼻の下の唇の上が膨らんでしまっていたので、これも削ってもらいました。切除した側の口からほっぺたにかけては、殆ど動かなくなっているので、たるんでいて唇の上が膨らんでしまっています。でもよ~く気をつけたら、その膨らみの一部分はプロテーゼの出っ張りだったのです。

発音の方のリハビリは、今後もっと効果が上がる可能性があるのでしょうか、と歯科の先生に聞いてみました。

あと半年くらいしたら、またプロテーゼを作り直してもっとぴったりと密着させれば、もっと良くなる、とのこと。

もっと、口の中の粘膜を鍛えて、プロテーゼが密着しても大丈夫な強い粘膜にしてから、ということです。

ま、これは気長にやるしかないようです。

軟口蓋(口の奥)が上がらない、という点については、

「練習でもっと良くなる、でも、やり方を習って、家で自分で練習するのが基本です」

と言われました。

リハビリの先生の方には、行っても同じトレーニングの繰り返しで、構音障害の診断後半年の期間が過ぎ、健康保険診察の制限の話が頻繁に出て、プロテーゼ調節との組み合わせで診察が続いています。しかも、歯科でリハビリの点がついた日にはリハビリ科には行けないのです。保険のチェックが入るそうです。
なんだか、通いにくい上に、子供の事などでも気ぜわしく、家からも遠く、通うのもそれなり大変なので、リハビリは間遠になっています。

自分で練習するのも、間遠になっちゃってるのですが。

自分としては、以前よりさらに話し易くなったと思うので、ある程度日常生活がリハビリになっているのだと思います。それでも、電話はなかなか通じないし、夫からも、「分からん、分かるように話せ」と、相変わらず言われているのですが。

もうちょっと、失ったもの(話す能力)を取り戻そうと努力しないと、『癌患者美人説』に反してしまうでしょうか。

ゆっくり美人でいこうと思います。

木曜日, 7月 12, 2007

気づき(生活習慣の見直し)

最近、気づいたことがあります。

私はなぜか、しょっちゅう、「時間が無い」と、心の中でつぶやいていたのです。

病院でず~っと寝て過ごしていた時、物理的に時間が沢山あることは分かっていました。

退院後、休職させてもらって、体調第一、家事と子供の相手と病院通いを主にやってきて、時間が足りない事はない、という状況も、分かっていました。

今、もうすぐ休職期間が切れます。まだ、あまり具体的ではありませんが、職場復帰ということになりそうです。それで、まだ仕事を始めているわけでもないのに、気持ちが職場モードになっているのでしょうか。

今時間がないわけではないのに、何やらしょっちゅう、「時間が無い」とつぶやいていることに気がつきました。

実際、仕事をしていた頃には全然時間が足りなかったのです。残業して家では家事をやって、子供の学校のことも気にして。いかに合理的にやる(手を抜く)か、いつも考えていました。それでも到底、全部ちゃんとはやれません。休むべき時にも、時間が無いと思いながら休んでいたのです。

時間は、感じれば、無限にゆっくりと流れています。それを、感じる事ができなくなっていました。

『時間は、ある。』そう思うだけで、何だか、ふうっ、と、休まるような気がします。

そんな事に気がつくのに、癌から3年もかかってしまいました。

でも、気づいたことは、きっと健康にいいはず。
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