火曜日, 5月 31, 2011

普通とは

癌っ の後だから普通の日常、ていうブログですが。

改めて思ったんですが、子持ちフルタイム勤務核家族主婦って、やっぱり普通ではいられない。忙しいですよ~。

ここを見た方が、普通にできるんじゃないの~、って思ったら、気の毒。

できるのは、休むのが上手な人、自分を大切にすることが上手な人。そういう人はいます。うちの会社にも沢山います。

だからできそうだったら、がんばってみて下さい。

私の場合は昔はやってましたが、無理があったんです。無理にがんばり過ぎたら病気になっちゃいますよ。

無理があったから普通じゃなかったわけですが。

今は短時間勤務で6時には帰って来れますが、それでも余裕はないです。余裕はないけどぎりぎり普通かなぁ。

最近は嵐ファン活動をさぼり気味。新アルバムとDVDの予約はしましたが。

今は実は平成の花さか爺さんの竹田和平さんに凝ってます。ほわぁ~っとしてて、癒されます。投資家で経営者の方で、癒されるというのは変かもしれませんが。

竹田和平さんは「まろわの世」を作りたいそうで、「まろわ」というのは「まごころのわ」から来ているのです。

ん~、こう書いてみると「まごころのわ」って嵐の持っているものと通じるかもしれません。ちょっと(大分)こじつけです。

私は「幸せの矢」を世の中に放ちたい。というのが私の天命だと思うんです。と思うことにした、と思うと、何だか幸せな気分になれるので。

そうそう。松本潤君がね。幸せになる準備はできてるか~?って、聞いてくれてね。それから嵐のコンサートは始まるんですね。潤くんがいつもそう言ってくれるから、私もやってみたいな~、と。

行きたいな~、コンサート。

潤くんは最近髪を切って、すっきりかわいくかっこよくなりましたねぇ。

コンサートに行けなくても幸せの矢にならねば。「ねば」は変だなぁ。

「ねば」は取るように、って、昔、川畑伸子先生に言われました。納豆じゃないし。

コンサートに行けなくても、私は私でやって行かなければ。6人目の嵐で。

でもやっぱり行きたいコンサート。

月曜日, 5月 30, 2011

昇給考課

年度が明けると、上司と昇給考課の面談っていうのがあるんですよ。毎年やってます。

私は今は短時間勤務で、他の人よりも働いている時間が少ないのですが、不思議と評価はそう悪くないです。

むしろ、技術部の頃に残業もして出張もして、骨身を削ってやってた頃にもっと悪かったりしました。他の人はもっとやってるから、とかで。

やっぱり技術者はハードだよ。

但しもちろん技術者時代の方が仕事は面白かった。

特許調査の仕事に移って、調査の仕事を教えてくれた師匠は調査が大好きで楽しくて仕方がないという方でした。調査マンとして良い調査をするようにと、鍛えてくれました。

だから私もその頃は調査が楽しくて仕方がなかったんだけど、今の上司は調査の件数しか見ません。

だから、先期は、調査件数のノルマプラス1件、やりました。

私は自分の調査の質が良いということが意味があると思っているのだけど、彼にはプラス1件というのが非常に意味があるんです。

面談ではプラス1件のお陰で良い評価をもらったみたいでした。そう思うと良い上司だな。

特許調査の仕事に移って3年経ち、だいたい分かったし、これ以上件数をいっぱいやる腕を磨く気にはならないし、実はそろそろ異動したいな~、と思う今日この頃。

実は技術者などの社員のメンタルケアとかに興味があるので。癌の後の職場復帰の人の支援とかができるとよいな~と。

なので、面談でちょいと上司に聞いてみました。

メンタルケアとかを担当しているのは部署としては、総務。担当が何かをするわけではなく、健康センターの保健士さんや産業医の先生が実際にケアに当たります。が、実際の相談業務はむしろ外部の専門家に出しています。

技術者上がりの社員が技術者の相談に乗るというシステムは他社ではある場合もあるようですが、当社にはないらしいです。

だから異動するとしたら、総務。でも総務で1人メンタルケア担当を雇うはずはなく、総務の他の業務の片手間にメンタル関連をやるかやらないかという感じのよう。

社内のお祭りの準備とか、ね。総務って何でも色々をやるところのようで。

あと、関係がありそうなのは、教育関連の部署とか。

上司もどこでメンタル関連ができるかは知らないし、総務とのコネクションもないとのこと。

でも移ることを希望はできるから、異動の希望を出してみたらとのこと。但し今の部署にいる間は今の仕事をしっかりやるように、とのことですが。

異動の希望を出すというシステムがあるんです、当社には。但しいつもは受け付けていませんが。年に一回です。

以前技術部から特許部門に移った時には、技術部の上司に非常にお世話になりました。部長がこの仕事をみつけてくれたんです。

今の上司とも、良い関係でいて異動したいものですが、話してみた感触はそう、悪い雰囲気ではなく話せました。

あんまり他の同僚とかに相談もできないし、人事は難しいです。安全?なのは上司くらい? 危険なのも上司かもしれないけど。

木曜日, 5月 26, 2011

私は助かる

ご無沙汰してます。癌の方も、元癌の方も、そうでない方も、お元気でしょうか。

パソコンが壊れたままで、ネットに縁遠くなってます。

でも、こんな私のブログでも、不思議と、毎日覗いてくださる方もあるようなんです。

嵐のツアーも発表になりましたが、嵐ファンの方には申し訳ない。最近は嵐の話題がないんです。

あとはやっぱり、癌の後の日常に興味がある方なんですかね。

息子のちっちゃいネットパソコンから書いてます。

最近思うことは、やっぱり東北の震災と津波の被害のことです。

で、分かったような気がするのですが、地震と津波に対しては、「私は助かる」と信じて対応することにしました。

あの津波がざば~んと、やってきても。

私も助かると信じていれば、板切れなどが流れて来たときに、つかまることができるかもしれません。

そしたら、流されたり漂流したり色々大変でも、結局助かることができるかもしれません。

癌とは関係ないようなもんですが。

でも、癌になった時も、きっと自分は助かると信じることが、結局助かるためには大事なんだと思います。

但し何もしないでただ信じるのではなく、最大限の努力はした上で信じるんです。

津波も、備えを十分にしていた釜石の小中学生たちは殆どが助かったそうで、「釜石の奇跡」という新聞記事になっています。(すごいですよ。興味がある方検索してみてください。)

だから自分なりにいろいろ精進して、まぁ、まだ準備できないことも多々ありますがそれでも、自分は助かると信じて、暮します。

はい。100歳くらいまでは生きそう。

火曜日, 5月 17, 2011

勝訴

って言っても、争いごとというわけではなく、特許の審判です。争いと言えば争いではあるのかな。裁判の一種です。

エンジニア時代に出願していた特許に拒絶査定が来て、審判に出していたのですが、勝ちで審決しました。

米国でも中国でも許可査定だったけれど、日本でだけ拒絶でした。審査官とのやりとりはトンチンカンだったけれど、審判官とは多少話が通じて、粘って説明を重ねた結果、勝ったとのこと。

日本の審査官は分かりもしないくせに、「従来の技術から容易に類推できる」ととりあえず言っておくという傾向があるように思えます。他国で許可になっても日本でだけ拒絶という例が多いんです。

私ももう一個そういうのをかかえていますが、他の人も経験しているみたいです。

何でだろ~。

病気休職する前の頑張ってた時代に書いた特許、他国では守ってくれると言っているのに、何で日本でだけ守ってくれないんだ!と思っていましたが、これで守ってもらえることになりました。

私個人の権利だけでなく、関連して開発している熾烈な開発競争にも、莫大な予算をかけています。私が特許としてまとめるために必要だった背景技術には、職場の多くの同僚、先輩の技術の積み重ねがあります。「容易に類推」なんて、何て馬鹿なことを言うんだ!と思います。

地味な内容なんですが、でもあれはやっぱり認められるんだな。あのくらいは認めてもらえないと、企業の研究開発は続けられなくなります。

特に日本の特許庁には認めてもらいたいと思いましたが、認めてもらえてよかったです。

ちなみに、この特許の始めの審査の手続きで審査官とやり合ってくれたのは女性の同僚で、審査官が拒絶査定の主張をくり返すのに対して、審判請求(裁判を起こすこと)をしてくれましたが、その後、彼女は産休に入りました。

審判手続きを担当してくれたのも別の女性の同僚でした。何度か審判官とやり合って、審決になりましたが、ちょうど元の担当の女性同僚が最近、育児休職から復帰したところでした。

以前、息子の出産の前に出願していた特許が、出産・育休後に復帰した時にちょうど許可査定の結果が来ていたことを思い出しました。息子の他にもう一人の子供を会社の特許担当の人に無事に世に出してもらったような気がしたものでした。

技術開発でも特許出願でも特許の処理でも、会社という組織のお陰で、出産・育児をする女性が仕事をすることができます。

水曜日, 5月 11, 2011

今ここにある幸せ

ご無沙汰しました。パソコンが壊れちゃいました。今日は息子のちっちゃいネットパソコンで書いてます。

久し振りで、何を書こうかな~、と考えました。

最近考える大事なことは。

相変わらず地震の被害は収まらないし、福島原発も収まらないし、落ち着かないのだけれど。

大事なのは今ここにある幸せを、目いっぱい大事にすることかなぁ、と。

目の前にあると、忘れてしまいそうになるので。

でも、意識して、「感じます、受け取ります、ありがとう、」って心の中で言っていると、幸せを今、感じることができます。そうすると、子供にもガミガミ言わなくてすむようになります。わがままばっかりで振り回されるような気がしても。

生きてるだけで丸もうけ、って言葉がありましたっけ。

生きてるだけで、幸せ。

て思えるといいですね。

金曜日, 5月 06, 2011

ノーモア フクシマ 2

原発推進をしてきた学者先生たちなど識者の「建言」というのがありました。3月30日付けです。

福島原発事故についての緊急建言」(←リンク)

昨日書いたようなノーベル賞受賞者や元文部大臣は含まれていませんが、16人の先生方のお名前があり「原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。」とあります。

それから1ヶ月以上が経っても、事故の状況は危ない状態のままで安定している、みたいな状態に見えますが、原発推進をしてきた学者の先生方(の一部)には良心があった、て感じがして、ちょっとホッとしました。




火曜日, 5月 03, 2011

ノーモア フクシマ

福島第一原発は地震では大丈夫だった、津波の被害で大事故になっただけだ、とも言われていますが、地震の
直後のデータは公開されておらず(収集できなかったのか隠しているのか?)、津波の前には大丈夫だったという証拠はないそうです。

原発が推進され始めの頃、公聴会などがあったようですが、物理学者の先生が発言しようとしたら「ダメダメ、そんなこと言っちゃダメですよ、」と制止された、と言っていたということを以前書きました。また、原発がコストが安いって本当なのか、という疑問への答えは示されないままだ、という当時の印象は、結局今でも正しいようです。炉の安全だけでなく、放射性廃棄物を数100年単位以上の期間安全に保てる見通しはないのです。

つまり、推進した人たちは、福島第一原発みたいな事故がいずれ起こる可能性があるということは分かっていて、推進していたと言われても、反論できないでしょ。

当時の私が学生だった頃、なるほどな~、と思って高木仁三郎先生の岩波新書を読んだのを覚えていますが、高木先生はその後も多くの反原発の立場の本を書いておられるようです。

先日新聞に高木先生の著書が引用してあって、なあんだ、結局問題はあの当時のままなんだ、と思いました。

そうなると問題は、そう分かっていて、なぜ原発を推進するのか、だよなぁ。

ダメダメそんなこと言っちゃダメですよ、って言って、推進派の路線を既定路線にしちゃったのです。多分、目先の経済的な理由を優先したい人たちがいたんだね。

広島と長崎に原爆が落ちて、日本は唯一の被爆国であるのに、何で自分たちでまた原発事故が起きるようなものを作るんだろう。

原爆の開発は第2次世界大戦中で、原爆には相対性理論のE=mC2という原理が使われているのです。アインシュタインは、日本の軍事行動を挫く必要があると考えて一旦は協力したそうです。けれど、後になって原爆の開発は間違いであった、と後悔して、核兵器廃絶を訴えたそうです(ラッセル=アインシュタイン宣言)。

大きな力を手にできると思うと、使ってしまいたい誘惑にかられるのは大科学者も一緒だったんだよね。でもそれを使うということの意味が分かって、修正ができたのです。

物理学者の伏見康司先生は、原子力の平和利用を推進されて、2008年に亡くなったそうです。敗戦国である日本が、原爆に負けずにかえって原子力を飼いならしたい、とか、思われたんでしょうかね。戦争にもアインシュタインにも負けずに日本を立て直そうと思われたのかもしれません。

伏見先生が亡くなったのは99歳(生れ年と引き算で)なので、福島第1原発事故についてのご意見を伺うのは無理な夢です。が、もし生きておられたら、アインシュタインと同じように、この壮大な実験の結果をご覧になって、原子力発電所の廃絶を訴えられたのではないでしょうか。

伏見先生の後に続く指導的なお立場の、ノーベル賞で有名な小柴昌俊先生とか、小林誠先生とか、益川敏英先生とか、南部陽一郎先生とか、元文部科学大臣の有馬朗人先生とか、どなたか、指導的な発言をして下さらないかなぁ。

今のままじゃ日本の物理学者の面目は丸つぶれでは。

アインシュタインを超えてください。
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