月曜日, 10月 29, 2007

武士道と『硫黄島からの手紙』

明治の頃、新渡戸稲造がアメリカで『武士道』を書いた時、ルーズベルト大統領は感銘を受けて、回りにも配って薦めるほど絶賛していたそうですが。クリントン・イーストウッド監督はこの本を読まなかったのでしょうか。

映画『硫黄島からの手紙』の栗林中将の台本は、いかにもアメリカ人が書いたセリフ。実際にそうであったであろうというイメージから、かけ離れています。

ニノが演じた西郷は、パン屋さんだったから、武士道的な傾向が感じられなくても不思議ではありません。でも、いくら、アメリカ帰りの人でも、訓練を積んだ中将という人が武士道っぽい部分がないわけはない。特に、子供への語りかけを中心とした独白の部分は軒並み、日本人の軍人さんの背景を無視しているようで感覚がずれています。清明さも無くて、当たり前に神社に参った経験がない中将を描こうとしたかのよう。

軍人さんを肯定するわけでも、戦争を肯定するわけでもないけれど。武士道を語る時、前回の戦争の事は苦い後悔と共につきまとってしまう。結局避けては通れない。

アメリカでもルーズベルトのような優れた指導者に高く評価されたはずの武士道が、高い評価の映画の中の重要人物で完全無視されている。歴史を考える上で重要な素材であるのに。

しいて言えば途中で自決した人たちは武士道ぽく描かれていたかもしれません。けれど、死に急ぐのは本来の武士道にとっては犬死にで肯定されない。生きて本務を全うするよう命じた栗林中将の判断の方が本来、武士道的なのに。大事な部分をアメリカ的なメンタリティーに飲み込もうとしているかのよう。

日本の歴史の理解にはまだまだ、乗り越えなければならない『よじれ』があるようです。

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