土曜日, 11月 03, 2007

『青の炎』の迷路:またまた癌患者

今日は、娘は部活、息子は『わんぱく広場』、お父さんはパパさんの会で、私は日中フリーでした。子供と一緒には見れなさそう、と思っていた、『青の炎』(嵐の二宮和也主演)のDVDを見ました。

子供と一緒に見れない映画だったけど、ニノもこんなヘビーで切ない演技ができるのね、と感心、満足。山田太郎みたいに笑っている役とも、硫黄島の西郷とも、全然違う顔が見れました。

でも、内容の危なさも、設定の中での救われない展開も、子供にそのまま見せられない。エンディングも。

やった事が犯罪だということも危ないし、あんな状況になったら、救われようがない、しょうがない、と、考えかねないし。

以下ネタばれですが、思ったことをメモしときます。

この不幸な話の大元が、またまた癌患者は死ぬ、という観念。離婚した義理の父親がもうすぐ死ぬと思い込んで舞い戻って来た所から始まっています。自暴自棄になって酒びたりだけれど、癌は話の本筋ではなくて、殺人が行われた後で「あれは実は」と、ちょこっと出てきます。

本当の癌経験者(とその家族)としては、やっぱり死ぬと思わないといけないのか、ってことになってしまう。そうでもないですよ、というのが1つ目の迷い道。

もう一つは、殺すより他に解決方法がなかったのか、ということだけど、本当に現実に自分がそういう状況に置かれた時にそうできるかどうかは分からないのですが、一歩離れて一般論を言えば、困った人を抱えた家族で閉じてしまっては行き詰って来ます。だから、どうしようもなくなったら誰か他の人を入れなきゃいけないと思います。

母親が新しい男友達に時々来てもらうとか、すれば、違った展開があり得たのでは。或いは、母親の妹でも、親でも、居れば全然違うのに。

でも母親は閉じたままでやり過ごそうとしたから、「家族を守ろう」とした息子の秀一(17歳)に無理がかかりました。17歳はまだ視野が狭いから、ああいう方法に出ることはあり得ないことではないと思います。

17歳が何とかし得たとしたら、やっぱり、誰か他人に助けを求めること。弁護士さんにもっと踏み込んで相談するとか、友人とか、他の大人とか。      でも、自分が10代の頃はめちゃくちゃ視野は狭かったけれど。

3つ目の迷路はエンディング。殺人犯でも、あのエンディングは肯定できない。けど、映画だから。

秀一は優等生タイプで、人に相談しそうな子じゃないようです。こういう行き詰った状況では、優等生の方が危ないのかも。

なんて映画のストーリーに対して散文的な事を言ってもしょうがないですが。

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