月に一度の、産業医の先生を交えた面談がありました。
新しい職場の方へ通って、ほぼ元気に過ごしていることを報告しました。この分なら正式に新しい職場へ移動しても大丈夫だろう、という方向の話になりました。もう、私もそういうつもりになっています。
そしたら、皆さん口々に仰います。
「毎日だから、通勤は大変だと思うんです。」
「僕も通勤が一番疲れるんだ。」
もう。。。。そうでしょ!!! (もちろん心の中で。)
皆さん分かってらっしゃるのに、変えることはできない。私がその気になったと思って安心して、本音を出されたようです。自分も大変だと思っていても、病後の子持ち主婦にも『みんなやってるのだから』と言って、同じようにさせる現状をどうしようともされません。ご自分はPTAにだって出た事がないのに。
社内の「男女共同参画推進」担当の方からもその後の返事が来ましたが、今の近い勤務地で移動先の仕事内容をやることは、「現場で運営ができるなら、それに沿った制度を作るお手伝いをしましょう」とのことでした。
現場がやればそうなっていくのです。
でも、現場の方々は、制度がそうなっていないから、できないわけです。
そして、「でも、元気に復帰できて本当によかった。復帰の当初よりも元気そうだよ。」と言って口々に喜んでくださいました。 本当にいい人たちなんです。
いい人には変革はできないのです。
移動先に通っている間に昔の知り合いに何人も久しぶりに会いますが、その内の1人の女性が、以前の上司がオキテ破りの超法規措置で管轄外の『近い社宅』を使えるようにしてくれた経験を教えてくれました。
社宅も、「通勤時間が長いのは普通だから」と言って職場から離れた場所を与えられることが多いですが、家族もちの女性にはそれが切実な負担だから、やる手腕のある上の人はそういうことをやってくれる場合もあるのです。
けどね。 まずはやってくれない人達が殆どだわけで。 世の中が変わって皆がこれはおかしいと言い出すのを待つしかない。
通勤時間は本を読んで没頭してしまうこともありますが、そうすると乗り過ごしたり。気がついて電車を降りて引き返すと、短時間勤務で出勤時間を固定されているので、遅れて欠勤がついてしまいます。
本も読まずにぼ~っとしていると、待っても、待っても、降りる駅に着かなくて、とてつもなく退屈です。
今日は嵐のアルバムを聞きながら乗っていました。バスに乗っている時に快適さを感じることも先日書きましたが、今日も、何だか景色が違って見えると思いました。こんなに美しい街だったんだ、って。
バスの後、駅についても聞いていて、『Eyes with delight』の歌詞が聞こえてきました。
「その瞳は今風を見てる、、涙より深い輝きをたたえ」
ふ~む、と思って聞いていたら、目の前の人たちの「目」が、どの人も何かを見ていて、深い輝きをたたえているんだ、ということが、急に分かったんですよ。その目の向こうに意識があって、あ、ドアが開いたから降りようと思っている、左右を確かめている、横の人を気にしている、などの心の動きが、一々声のように聞こえてきました。
そんなこと、普通の人は普通に気がついていることなんでしょうかね。 どの人にも、生き生きとした心がある。
以前、家の近所の道を歩いていて、急にその横の木々の『気持ち』が伝わってきて、あ、私が元気になるように応援してくれている!と思ったことがありました。その時と同じような感動でした。
暫く電車の人々を見ていて、そうだそうだ、どの人も、確かにその目の奥に心の動きがある、と思いました。
でも、すぐに、これはマズイ、とも思いましたね。人の心の動きが見えすぎるのも、自分の心が騒がしくなりすぎる、と思って、すぐにシャットダウンしました。
日常的には、他人の気持ちは必要に応じて適度に見つつ、適度に見ないような平衡状態になっているのでしょう。 電車の中なんて、みんなお互いに無視し合うのが普通なのですから。
電車に乗っていると、見えるのは人間ばかり。嵐の歌は見えるものについて妙に感性を覚醒させる効果があるのかもしれません。
毎日毎日、通勤3時間。 何をして過ごしましょうか。 寝てる人も多いですけど。
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