日曜日, 12月 02, 2007

いい加減の効用

本格的仕事復帰へ向けての、身につけねばならない『何か』があるかな、と考えていたのですが、うまく言えないけれど何か『いい加減の効用』のようなものが、大事なのではないか、と思いました。

通勤1時間半x2の3時間を毎日、短時間勤務とは言え、5.75時間勤務を毎日、という暮らしを全力投球でできないのは当たり前という気がします。家事もあるし。まして通常勤務でできるわけがない。(以前は残業までやってたけど。)

3時間だって、全力投球したらくったくたになるのに。

思いっきりやった後、リラックスできるような場所が会社の中にあるわけでもなし。タラタラととにかく時間をそこで過ごすことが前提になっているのです。今の会社は。

ヘンだけど、そう要求されている中で生きるには、それに合わせなければしょうがありません。

いい加減は大切、と思います。グローバリゼーションで、価値観は多様なのだから。謹厳実直だけが世界ではありません。

最近つくづくそう思った理由が二つ。先日、映画の「エディット・ピアフ」を見ました。フランス映画です。下町育ちのシャンソン歌手の一生の映画です。下町育ちということもあるのだろうけれど、フランス人の冗談好きは、真面目で勤勉な日本人とは気風がかなり違う感じです。

フランス人も癌になる人は多いらしいですが、お酒や甘い飲料など食生活に依るものが多いらしいです。日本人は生真面目さとストレスに依るものが多いらしい。日本の職場で昼食時にお酒は飲めないけれど、米国で勤務した時に一緒だったドイツ人は昼食時にビールを飲んでいました。フランスは、昼休み自体がかなり長いのではなかったっけ。
フランス的な気風は、多分あまり癌になり易くないのかもしれない、と思いました。

もう1つは、最近のロシアについての講演録を読んだのですが、ロシア人の気風も自由奔放的な所が強いらしいです。だから、帝政ロシア時代は帝政で(殆ど知らないのでちゃんと書けないけど)、ソビエト連邦時代は共産主義で、強力に人々に枠組みを与える必要があったらしい。で、ソ連邦崩壊後、本来の奔放な素の民族性が出てきている、という講演でした。(ちゃんとした紹介でなくてごめんなさい。)

東南アジアも、以前旅行で一緒になったフィリピン人はかなりゆっくりで目盛りのはっきりしない体内時計で動いていたし、東南アジアにいる弟の会社の従業員の感覚も、日本人よりかなり自分中心的らしいです。でも、それは極めて人間的に自然なのじゃないかしら。

大体、キリスト教とイスラム教と仏教とヒンズー教と、その他色々な考えの世界中の人が仲良くしなければならないんだから。   いい加減な話ではなく、いい加減は大切。何だか、書き方が間抜けです。落語で芯を形成した樋口強さんみたいにバッチリとは表現できないですが。

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