『がんサポート情報センター』というサイトに、玄侑宗久さんと鎌田實さんという方の対談がありました。
玄侑宗久さんは僧侶で小説家という方だそうですが、作品を読んだことはありません。対談の玄侑宗久さんのお話の中の、がんについての話題の中で、華厳教と、カオスと、サイモントン療法が出てきましたよ。前回触れたキーワードが出てきました。全く的外れというわけではなかったようです。
他に、「量子」っていうキーワードも出てきました。玄侑宗久さんは科学にお詳しいようです。
量子力学も踏まえてものを考えておられるのは、頼もしいです。量子力学はできてからもう100年もたつのに、けっこうそれを踏まえて物事が語られないことが多いです。不確実性の時代とか、量子論的な概念は色々なところに漏れ出してはいるのですが。
量子力学は知っておいて欲しいと実は色々な時に思うのですが、時として分かってもらうのは難しいですね。
昔、看護学科の学生さん達の物理実験のお手伝いをした事がありましたが、彼女達の中には、物理は本当に嫌いで、実験が苦痛で苦痛で、どうしようもなく憂鬱な気分で仕方なく実験をしている人がいました。
でも単位をとって看護士さんになったら、一応は乗り越えたということですね。
大学出でも文科系の方は、量子論には触れたことがない、ということになるのかなぁ。高校ではやりませんよね。
理系の学部だと、一般教養の化学や物理でやるでしょうか。それでも、量子論が古典論とどう違うかとか、量子論の解釈とかは、やらないと思います。私が学部にいた頃にはやりませんでした。実は、大学院でもたいていはやりません。私は一応やったのですが、自分の卒論のテーマだったからで、普通はやらないんです。
玄侑宗久さんが触れておられる量子論のイメージは、その普通はやらない量子論の解釈や古典論との違いを踏まえています。ということは、普通は分からないかもしれません。
一般の人が量子論のイメージを持つには、どうしたらいいんだろう??? 今はいい本がありますか?
朝永さんの教科書やディラックの教科書をコツコツと読むという以外にないというのが定番ですが、これらを読んでも解釈は書いてありません。
いい本があるのかもしれませんが、とりあえずポイントだけ書くと、量子論では、ものの存在は波であり同時に粒子である、ということ。
その意味は、ものは観測するとある場所に局在した粒子として観測されるのですが、観測しない間は波として広がっているのです。波として干渉もします。
玄侑さんの意識はこの波を感じられるらしいです。文学的な表現なのかな、と思いますけど。
2 件のコメント:
あらー、またしても私たち結構近いこと考えてるかも…、っていうのが憚られるほどゴルぴょんさんは難しいことを言ってますね~
私もそこのサイトちらっと見てたのよ。
玄侑さんの本は数冊読んだだけだけど、いつかまとめてしっかり読みたいと思ってたはずが、あっちへ行ったりこっちへ飛んだりして、忘れてた。
私も読もう。
奈津子さん、こんばんは。
玄侑さんの名前を見た時には奈津子さんを思い出したよ。以前書いてましたよね。
難しいみたいに見えるかもしれないけど、量子論は学校教育でもっとやってもいいのに、と思います。
小学校でコペルニクスが出てきて、中学校でニュートンが出てくるから、高校で量子論をやってもよさそうに思うけど。
玄侑さんの量子論の波の広がりのイメージは私のとは違うのだけど。私は量子論の波はそんなに広がってなくて、典型的にはミクロなものだと思うけどね。
でも、量子もつれと言って、空間的に離れた場所が互いに関係を持っているということがあって、それのイメージと混ざっているのではないかな、と思いました。あれは波が広がっているということではないのだけど。
まあ、細かい事を言わないとすると、波であること、確率的な法則であること、離れた場所が互いに関係を持つことがあること、などが、量子論の特徴なんです。そういう量子論的な法則の方が、決定論的な古典力学の法則よりも、「心の持ち方で病気の経過は変わる」とかの考え方とは相性がいいんだよね。
結論としては、楽しんで病気より元気にすごそう!というのが正解だと思います。大昔のお医者さんが言ってたり、お坊さんが言ってたりすることにたどり着くわけで、実は昔の多くの人が知ってたことなんだよね。
コメントを投稿