日曜日, 2月 28, 2010

それ恕か。(論語)/嵐

昨日の東京新聞の童門冬二さんの「先人たちの名語録」に、孔子の言葉が載っていました。人間が死ぬまでおこないつづけなければいけない字は?と問われて孔子は、「それ恕(じょ)か、おのれの欲せざる所を人に施すことなかれ」と答えたそうです。

「恕」は「思いやり、いつくしむ心、ゆるす、同情、自分のやさしさを他人に移すこと」とのこと。

サイモントン博士は、人間が生まれる時にはぺたっ、とみんな、「優しさ」を貼り付けてもらって生まれてきていて、一番大事なものは優しさだ、と仰ったそうです。

生まれる時には優しさをもらって、死ぬまで『恕』を行わねばならない、とのお二人の教えのようです。

童門さんによると孔子の『恕』は、心の鏡をピカピカに磨いて相手の立場に立って、こちらからの相手への行いの一部を自分にフィードバックして、節度をもってお互いのニーズを調整する、ということだそうです。家庭でも職場でも、国家間でも、すべての人がそれを行わねばならない、とのこと。

それを読んで、アイドルグループ嵐の松本潤さんを思い出しました。松潤は、エンターテインメントの仕事でファンを幸せにしたい、と真剣に考えてくれています。あっぱれな心構えなんです。

コンサートの時に、オープニングでは「幸せになる準備はできてるか~?」って聞いてくれます。エンディングでは、「みんなは1人じゃないから。オレがいるから。」って、よく言ってくれます。毎回裏切らないその言葉にヤラれてしまって、またコンサートに行こうと毎回思ってしまいます。

ファンの近くに行きたい、という信念があるようで、コンサートの時に客席に飛び降りて、ファンのそばまで来てくれます。中国共産党のお偉いさんが来ている上海公演の時にも客席に飛び降りていました。年末の紅白歌合戦でも、審査員席までやってきて、審査員の方と握手していました。松潤だな~、と思いました。

松潤とか嵐の場合は、『愛』という言葉を使うようです。愛の歌が多いし。でもその内容は、実際にはこの「恕」に近いという気がしました。個人同士の愛というより、アイドルという仕事を通してファンに幸せを届けよう、という、プロ根性なんです。それがファンからも嵐にフィードバックされて、ますます嵐は頑張ってくれるようです。嵐とファンは相思相愛と、よく言われています。

松潤はエンターテインメントのプロとして仕事としてやっていて、時に行き過ぎるファンへの厳しい姿勢を見せたこともありました。ファンの側も、節度をもってファンをやっていきましょう。何だか、嵐ファンをやっていると、教えられることが多いです。

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