水曜日, 3月 28, 2007

死はどれくらい身近か?

『葉隠(はがくれ)』、正しくは『葉隠聞書(ききがき)』

   佐賀城外の隠士(いんし)山本常朝の口述を、田代又左衛門陳基(つらもと)
   が筆録した鍋島藩の記録。同藩の武士の修養書。11巻。1716年成る。
   葉隠論語。鍋島論語。    ---広辞苑より---

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江戸時代の半ばなら、死がどれくらい身近かというと、今とあまり変わらなかったのではないでしょうか。映画の『武士の一分』を見た時にもそう思いました。普通の武士にとって平和な日常は普通に平和だったのでしょう。そういう風に描かれていると思いました。

辻斬りやあだ討ちはご法度で、日常にはないこと。あれば捕まってお裁きを受けるというのは今と同じ。今のように新聞やテレビで連日のように殺人事件が報道されるよりも、感覚的には少なかったかもしれません。

切腹は制度?としてはあったけれど、太平の時代には普通は縁のないことだったでしょう。今だって死刑はあります。赤穂浪士の討ち入りが1703年。太平の世が続く中で忠義のあだ討ちが当時としてとても珍しかったために、歌舞伎や浄瑠璃で忠臣蔵としてもてはやされるようになったと聞いています。『葉隠』と同時代です。平和だったから、武士の修養のための本がまとめられる必要があったのでしょうか。

今は年をとると病院で死ぬけれど、昔は自宅で死ぬのが普通だった、という違いはありますね。私も若い頃は、この違いは決定的だ!と思っていました。でも、回りの、死ぬ方は確実に居なくなります。実際に、ご近所の方や、親戚の方が、死ぬという経験は誰しも必ずするものです。人間の数だけ死ぬ人がいるということは今も昔も同じ。年月生きていくにつれて遅かれ早かれそれには遭遇します。

だから、実は死がどれくらい身近にあるのかというと、今もあまり変わらないのかもしれません。でも、そう思われないのは、『武士』という階級がいなくなったから。刀を持って、いつでも殿様のために命を捧げるという人たちがいる時代ではなくなったから。

命を捧げる対象としての将軍は黒船が来て居なくなり、天皇へ大政奉還しましたが、命を捧げる対象としての天皇も人間宣言をして普通の人になりました。だけど、別に捧げなくたって、必ずいつか命はなくなります。
命はなくなるという事実との付き合い方は凡人には難しいけれど、『武士道とは死ぬこととみつけたり』とは、武士は死ぬことを前もって許容して生きる、ということだろうと思っています。殉職を賞賛するといった解釈もありがちなるようですが、それは浅い解釈だと思います。『空即是色』の般若心経のように、死を許容して、或いは何か、死について納得して生きることが、何か、良く生きることになる、と言っているように思うのですけど。ならば、武士道の中には現代にも参考になるものがあるのではないでしょうか。

実際に読まなきゃしょうがないですけれどね。でも原典は難しそう。新渡戸稲造『武士道』は大好きな本ですが、読んだのはウン十年前です。

死について考えていると言ってもおかしいとは思われないであろうがん患者は、『武士並みの特権階級』かも?


   
   武士道 新渡戸稲造著 岬龍一郎訳

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 『死』そのものよりもお葬式が気がかりです。納得できる形が見出せないから。
去年読んだ斎藤美奈子の『冠婚葬祭のひみつ』など読むと、あと数10年くらい経ったらきっと葬儀の形も変化してるんだろうなと思いました。

匿名 さんのコメント...

凛凛です。

私  すごく前の日付けにコメントしてしまいました~えへへ・・・

生き様は  死に様  などと言いますものね。
生きるのも 死ぬのも 立っている場所が違うだけなのかも・・知れません・・・

オルゴールぴょん さんのコメント...

私はお葬式と言うのは現実味がゼロで、何も考えてないんですけど、遺影を気にしている夫はきっと通り一遍のお葬式を考えてるんでしょうねぇ。
ひみつ、ですか。どんなひみつなんでしょ。色々ありそうですね。
数10年したら考えましょうか。

オルゴールぴょん さんのコメント...

凛凛さん、豆まきの方にもコメントありがとうございました。
どの日付でも、私の所にはコメントを頂いた通知が来るようになっているので分ります。

でも他の読者の方には分りにくいですね。新規コメントリスト表示がここのデフォルト機能には無いようなのです。つけて下さい、って頼んではみたのですけど。

生き様は死に様、ですか。なるほどねぇ。

生きたようにしか死ねないんですね。まずはよく生きなければね。

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