金曜日, 5月 08, 2009

空即是色

喜びを感じながら生活すると健康に良い、という時、危険だと思うことがあります。苦しい時、それを無視して無理に喜びを感じようとしては、いけないらしい、と思っています。以下は、素人の癌経験者の考えなので興味がおありの方だけどうぞ。

癌患者にカウンセリングを行うと治療効果が改善する、という研究結果が、欧米ではいくつも報告されているようです。サイモントン先生の研究結果も、著書やホームページで紹介されている通りだし、その他にもたくさん、あるらしい。でも、日本では、必ずしもそうでないようです。

私が自分の癌治療を一応終えてサイモントン療法を知り始めた頃、日本での研究報告がないかと気になってネットで調べてみました。サイモントンジャパンが細々とやっているのを別として、その時みつかった情報では、日本ではむしろ治療効果が悪くなるという報告がありました。前向きにすることで治療効果が改善する事はない、と書いたものもありました。大きな病院での癌関連の精神神経科の治療内容は、精神面のケアと治療効果に関するものではなく、主に癌に起因した鬱病対策でした。素人の目についた範囲で、の話です。

素人話でなく、ちゃんとした研究として、ちゃんとした医療関係の方々が調べておられるだろうと思いますから、ここの点が本当にはどうなのかは、専門家に譲ります。

だけど、癌患者は今、少しでも治療に良い事を実行していかねばなりません。研究結果が出るまで待つわけにはいかない、と考える方が殆どだと思います。私はそうでした。

それで、素人話としてですが、日本人の癌患者は「前向きに」というと、本心は苦しいのに無理をして前向きにしようとする傾向があるのかもしれないと思うんです。

例えば癌細胞は壊れている弱い細胞なので、癌細胞は弱いからこそ、正常細胞以上に、放射線にも抗癌剤にも反応するのです。そう知って信じた上で自然に前向きになるのと、そうは信じられずに本当は恐怖でいっぱいなのに無理に前向きになるのとでは、健康に正反対の効果を及ぼすのかもしれません。

その他、例えば仕事のストレスが原因で免疫を落としたのが病気の原因だとして、「前向きに」して日本人の場合、楽になる方向なのかどうか。「前向き」の内容によっては、実は後ろを向いた方が良かったりすることが、ないでしょうか。

カウンセリングをした時に、どう対応すれば本人に良い影響を与えられるのか、難しい。サイモントン療法は独自に体系化されていて、多分その全体で結果的に良い影響を与えるようになっているのだと思います(これも素人話です)が、それは難しいので認定カウンセラーにしかできないわけです。

私は素人話しか、できませんが、喜びは大事だけれど、無理して苦しみを無視したり喜びを感じようとしては健康に悪そうだ、と思っているのです。

般若心経の色即是空、は、色が苦しみだとして、苦しみは空である、色が喜びだとして、喜びは空である、という意味かと思います。これは割りと、理解され易いのではないかと思います。でも、その後に、空即是色、と続いているのが、大事だと思うんです。空は何もない空ではなく、空は同時に苦しみや喜びを持って生きていることだと教えているのだと思うんです。

「色即是空」にとかく偏りがちではないでしょうか。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」って、ご存知ですか。若い方は聞いたことがないかもしれませんが。無念無想の境地では火も熱くない、という格言で、どんなことだって感じずに我慢する事はできるはずだ、という意味です。

実際は、火に焼かれれば死んでしまうわけです。真に受けたらえらいことになりますが、焼かれて死んだ人の言葉でも、焼かれない日常生活の中で我慢を奨励するために使われています。

「武士道とは死ぬこととみつけたり」は本来、死んでも大丈夫だという境地でこそ武士として存分に働くことができる、という意味だと思うのですが、武士として目的のために死ぬのが武士道、と解釈されることもあります。是空で止まっている考えではないかと思います。本来、空即是色がこの言葉の意味だろうと私は思っています。

苦しい事にとらわれることなく(空)、苦しいと言うのは止めた方がよいけれど、同時に苦しみを無視しない(即是色)のが、よいのです、きっと。必要な薬はもらうとか、治療をするとか、必要な内容は必要な範囲で伝えるとか。

「喜び」関連のことを書くのはとても勉強になるのですが、読まれた癌患者の方が我慢をしすぎることがないように、書いておきたくなりました。

4 件のコメント:

奈津子 さんのコメント...

ここしばらくの「喜び」話、興味深く読んでます。

そのわりにはコメント入れてないのは、何て言えばいいのかぼやけてしまうからなのよね。

私は転移がわかった後は「義理と無理はしない」とか「快適を求める」とかが何かの決定に迷った時のポイントになってるかも。
それでいいんだよね?ゴルぴょん先生。

オルゴールぴょん さんのコメント...

奈津子先生のポイントは、義理で何かをするのではなく自分のために、無理せず快適を求めるなんだね。健康に良さそうです。

ついつい人のために快適でないことも無理にやっちゃうけど、それは健康に悪そうです。

快適と喜びは近いんでしょうね。喜びと言った方がより元気がある感じかな。でも無理してはいけないし。
何て言ってるのかぼやけてしまうけれど、健康に良い事を健康に良い範囲でやるのが、いいのかなぁと、思っております。

奈津子 さんのコメント...

ついつい人のために快適でないことも無理にやっちゃう・・・

それって、たとえば誰かのために‘一肌脱ぐ’というような場面では、逆に心が喜ぶからOKだと思う。

うろ覚えだけど、イギリスの画家であり詩人でもあったW・ブレイクの詩に、
「喜びの子よ、どこから来たの?名前は喜ぃちゃん」
みたいなのがあって、まわりに赤ちゃんが生まれるといつもこれを思い出します。
この世は、そんな「喜ぃちゃん」で出来てるんだよね。

オルゴールぴょん さんのコメント...

快適でないことも一肌脱いで自分の心が喜ぶなら健康にいい範囲でやった方がいい、

義理だけで無理してやるなら健康に悪いからやらないほうがいい、

でいいでしょうか、奈津子先生。

「喜ぃちゃん」にぴったりだと思う動画があったから、記事の方に載せました。見てね!

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