「喜びがなんであるかは、元来、多くの苦しみを堪え忍んできた人々のみが知っている。その他の人々は、真の喜びとは似ても似つかない単なる快楽を知っているにすぎない 。」
カール ヒルティー『新書簡』より
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そうなのかなぁ。苦しみを堪え忍んだ後でなければ喜びを知ることはできず、単なる快楽しか知らない、と。
喜びは大事だけれど、快楽主義になってはいけない。
苦しんだ人には喜びの大切さを言わねばならないし、楽ばかりしている人には快楽を戒めねばならない。つまり、相手に応じて正反対の事を言わねばならない。
勉強ばかりしている子には、遊びなさい、と言い、遊んでばかりいる子には、勉強しなさい、と言わねばならない、ということ。
癌になる人というのは、生真面目な人が多いらしいです。いわゆる、Cタイプ。癌性格とか言われます。
苦しみを堪え忍んだ上でさらに頑張って、病気になったような人が多い。
そういう人は喜びが何であるのかも分からなくなり、笑う事も忘れ、免疫力を落としている事が多い。
癌になった人には、「笑うと免疫力が上がりますよ」と言って、落語に行ったりして遊ぶ事を奨励した方が良い。
つまり、癌になったら、快楽主義の誹りを受けずに、大手を振って遊ぶことができるわけです。
死ぬかもしれない、となったら、本人がやりたいと言うなら誰も止めません。
癌になること自体が苦しみだとしたら、喜びを知ることのできる切符をもらったようなもの。
「喜びリスト」を作って、日々実行するように、という指導を受けたりします。
癌にならないうちに知る事ができたら一番良かったのだけれど。
癌になったら真の喜びが分かるっていうものでも、ありません。真の喜びとは? ヒルティーさんも、それを書いてくれればいいのに。
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