日曜日, 6月 29, 2008

入院中の記憶は当てにならない。

口腔癌の告知・治療から、もうすぐ4年です。当時、セカンドオピニオンで病院を癌研病院へ転院し、家から病院が大分遠くなりました。

それで、家族(夫や子供達)がお見舞いに来るのは大変だから、あんまり来れない、寂しいけれど、夫も子供の面倒を見るのは大変だし、我慢して、頑張るぞっ、頑張ったわ!、と、思っていたのです。

今日まで。

で、お見舞いに来てくれたのは、手術の時は別として、せいぜい月に一回くらいだった、と、思っていたのです。で、「私の病気の時、そんなに優しくしてくれなかったじゃん。」とか、言ったわけですよ。

ところが。

それはとんでもなかったみたいで。夫が、お見舞いの記録(日付だけ)をつけていたのです。それを見せてもらうと、殆ど毎週、土曜か日曜に、子供を連れて来てくれていたのです。遠いし仕事もあるので週日に来るのは無理ですが、週末はほぼ、可能なだけは来てくれていたようです。

要するに、私はそれを殆ど覚えていないわけです。

それは納得できます。薄情と言われてもダメです。覚えてません。他の、会社の同僚がお見舞いに来て下さったのも、全然覚えてないことがありました。

まずはモルヒネで朦朧となってたし、放射線と抗癌剤で、気持ち悪くて、高熱や湿疹が出たり、全然食べられず、食べてもすぐ吐いて。放射線の後、体力回復したら手術、と言われたけれど、回復した気がしないうちに手術になりました。

手術の後は、自分に何が起こったのか、わけが分からない気がしました。口の中は右も左も、上も下も分からなかった。右側の上顎を切除しました、という意味が分からなかったんです。気管孔が開いて息の仕方まで、生まれてこの方初めてのやり方で。

とにかく耐えるんだ、生き延びよう、今が過ぎるのを待とう、ということしか、考えてなかったし、考えてたとも言えないかもしれない。覚えていないことが多いみたいだから。

だから、自分が我慢してた、頑張った、ということばかりは覚えていても、家族も頑張ってくれていたことは、よく分かっていなかったようです。

頑張ってくれてたとは思っていたけれど、病院から遠い、私の居ない家で、子供達の面倒をちゃんとみてくれることで頑張ってくれた、と思っていたんです。それもとても、大変だったと思うから。

でも、意外と、私の事も大事にしてくれてたようです。

そんなにまで、してくれなくても良かったのに。とても、大変だったと思います。

でも、よかった。

嬉しいです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

やあ、久しぶり!って、ここは毎日読んでたけど、でもコメントを入れるのは久しぶりだと思うの。だって私北京だったから…ハハハ

チャイルドマインダーの時のテレビ偶然見ていました。はい、たいへん好感持ちましたですよ。笑いを取るための小細工などない良い内容だったと私も思ったね。

シロイルカに有料で乗れる、これには驚いた。そうなんだー

で、工藤静香は時々テレビにも出て、家庭的なネタをちらつかせていますよ。

そして「入院中の記憶は当てにならない」・・・
あらためてタイヘンな手術を受けたオルゴールぴょんさんに涙が出そうよ。ここを読んで勇気付けられる口腔がんの人のためにも楽しいことや思い出したことなどこれからもじゃんじゃん書いてね。楽しみにしています。

オルゴールぴょん さんのコメント...

や、お久しぶり! 毎日読んでくれてるのかぁ。更新がまばらになっちゃってスミマセン。竹澤くんのオリンピック出場、思う存分楽しんで下さい、って言うまでも無く楽しんでくれてるから、こっちも嬉しいよ。

工藤静香さんテレビに出てるのね。山口百恵さんみたいに引っ込んじゃったわけじゃないのだろうけど、木村さんちは『共働き』なのかな。共働きっぽいモデルが欲しいのよ。で、あらしくん達の将来に期待しちゃうのですよ。

サイト内検索は右側のボタンをチェックして検索ボタンを押して下さい