今日も、朝は自分は冷凍のご飯でおかゆを作って食べ、子供達には、「親は子供が自分でごはんの準備ができるように育てなきゃいけないの!」と言ってやりました。
すぐにとはいきませんでしたが、小6息子のせんべいも、高1娘のたまこも、遅い朝食に自分でラーメンを作っていました。私はトッピング用に海苔とチャーシューを出してやりました。
私はおかゆでも食べるのに時間がかかって、なかなかお腹いっぱいにならない、と話していたら、何と白髪大王のお父さんが私用にもラーメンを作ってくれました。やさしい~~。
癌になってもず~っとつっぱって来ましたが、もっと早くにもっと甘える立場を取ってもよかったのかもしれません。
でも、うちの場合はこれがいいタイミングだったのかもしれません。私の退院直後は、家中がもっと緊張度が高かったんです。お母さんは死んじゃうのではなく、大丈夫だと思いたいという雰囲気が強かったような気がするし、まぁ、ひょっとしたら、私がそう思い込んでいたのかもしれません。
よく、癌になって、治療費もかかり、仕事もできず、経済的に逼迫して大変だというお話がありますが、治療費がかかって収入も途絶えて大変だ、と、ご本人が責任を背負い過ぎてしまうことも、多いのではないかと思います。多分、あまりに怖くて、家族でも話し合いすら、されていないことも、多いのではないかと思います。
でも、どうせ、いつかは死ぬのだとしたら、自分はずっと背負うことはできないのです。自分が死んだら子供達は子供達自身で生きていかねばなりませんが、死ななくたって、子供達自身で生きていけるように準備してやらねばならないのです。
背負って責任を果たしているつもりでも、実は自分が居なくなった時のための相手側の準備はできなくさせてしまっていることもあるわけです。
癌になったら、早めにそういうことに気付けるから、いい子育てができる可能性があるわけですよ。
私にそういう事を考えさせてくれたのは、私にとっては困った所のあった頑固者のおじいさんである私の父でもあります。父は他人の世話になりたくないという姿勢が強く、母の負担がとても大きいのですが、母は父の要求を先取りして世話をやくことを止めません。
母が必要以上の世話をやくことを止めれば、父も他の方々の好意を謙虚に受け入れることができるようになる可能性があると思いますが、できないようです。お酒をね、注がなきゃいいのに、おばあちゃんは注いじゃうんです。
逆はないのです。おばあちゃんは、おじいちゃんが重くて転んで骨折しても、重いからイヤですと言わないんですねぇ。
おじいちゃんの方がおばあちゃんの大変さを理解して、自分からたまにはデイケアにでも行っておばあちゃんを休ませようと思ってもよさそうなのに、そうはならないんです。
おばあちゃんは世話のしすぎはダメだよ!とかって、常日頃思っているのですが、私も家族の世話をしすぎだったかなぁ。
おじいちゃんはデイケアの方や看護師さんのお世話を素直に受け入れればいいのに、とも、常日頃思っていますが、私も家族に世話をしてもらおうと思ったことがなかったかなぁ。
1人で背負う事が偉いわけじゃないですね。それはできないことであって、やってもいずれ自滅するか、一心同体の配偶者を自滅させるか、になるようですよ。
癌のお父さん、お母さんは、いい機会ですから、背負っていると思っている責任について、再検討してみましょう。きっと、いい子育てができると思います。
3 件のコメント:
おはようございます。
頑固なおじいさまはおばあさまの献身的なお世話が実はおばあさまの生きがいの一つ(自己犠牲の美徳・・・的な)ことをご存じなのではないのでしょうか?夫婦って端からみたのでは分からない微妙なバランスを持っているのではないのかと・・・。(もしおばあさまがあまり愚痴をおっしゃらないのでしたらですけれど)
先ほどのミセス・凛はミセス・リンです。変換間違いでした。
ミセス・リンさん、こんばんは。
よく分かっています。お酒をおじいちゃんに注いであげるのがおばあちゃんの『愛情』だから、しょうがない、と、思わざるをえないんですね。
本人達のバランスは他の者にはどうしようもないものがありますが、それを見て自分を振り返ることはできるわけです。
『愛情』の中身の点検って、けっこう難しいと思います。でも、癌になったお陰で、点検することができました。
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