横浜でもしばらく前に梅雨に入って、雨の日が多くなりました。今日は降らなかったけど。
うちの近所には池があって、今の季節、例年通りに、ちっちゃい蛙が沢山現れます。おたまじゃくしが蛙になるんです。
例年、あまりにちっちゃい蛙があまりに沢山、ぴょこぴょこ出てくるので、特に雨の日、道行く人たちに踏まれてます。特に夜は、まずもって見えません。踏まないというのは無理なんです。
だからね。例年、いえ、実はいつも思ってるのですけど、命と言うのはいつも、失われているんだよね。
私たちがご飯を食べるというのは命を食べているということだし。ありんこを踏むこともあるし、蚊取り線香だってつけますが、蚊だって命をもった生き物です。
いつも思っているけれど、蛙が出てくる季節には特にそう思います。
いつも命は失われているし、いつも生まれています。蛙はいっぱい生まれています。蚊もそう。
池の鯉におたまじゃくしが食べられてしまうようでも、道でいっぱい踏まれているようでも、また蛙はいっぱい出てくるんです。
そうやって命はどこかに行こうとしているようです。
東北大震災の後、私は何も被災地のお役に立つことをしていませんが、高校の同窓生が色々な活動をしているのを教えてくれます。
医療チームで最近陸前高田市に行ったという同窓生がいます。陸前高田市は津波の被害にあったそうですが、町がなくなって未だに壊滅状態だそうです。
もうすぐ3ヶ月にもなろうとしているのに。改めて甚大な被害に驚きました。
津波の前では人間も蛙と同じように無力です。
踏まれて死んでしまった蛙も、卵からおたまじゃくしになった数ヶ月、足が生えて歩いた数日間、素晴らしい命を全うしたのだと思います。命だったのだから。
今生を卒業して次の世へ命をつないでいるのだと思います。
踏まれた蛙も、食べられた鶏や牛や豚も、蚊取り線香で落ちた蚊も、みんなその与えられた出来事を受け入れています。化けて出てくるわけではなく、次の命はさらに生まれ続けて、営々と命は続いているのだから。
人間もそれを受け入れざるを得ないです。
そうだ。だけど、私が蛙だったら、私は、踏まれない。
私は、さっとよける。靴が私の上に襲いかかってきても。
壊滅状態はいやだけど、踏まれた蛙たちの冥福を祈って何とかがんばろう。
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