火曜日, 2月 13, 2007

死のイメージを克服するということ:千の風になって

「千の風になって」という歌を初めて聞いたのは、去年の紅白歌合戦ででした。私のお墓の前で泣かないで下さい、そこにはいません、千の風になって空を吹き渡っています、という詩です。

これを聞いた時、以前考えた、自分の死についての思いを思い出しました。死んだら自分は宇宙までばらまかれ、子供達の中にも入ったり、その他の色々なものの中にも入ったりするのだから、子供達とも供にいることができる、そう考えることはできる、と、以前のブログにも書きました。それは私にとっては以前ご紹介した柳澤桂子さんの般若心経の解釈や、ラズロー博士の著書で学んで考えつつあることでした。でも昔からそういう風に考える人がいたのですね。随分古い、19世紀の、作者不詳の外国の歌の翻訳だそうです。

娘と2人で聞いていましたが、私は密かに驚き、喜びました。到底伝えることはできない、でも、その考えが今テレビ電波に乗って、娘の前で歌われている。何も話せませんでしたが、娘がこの歌を聞いてくれているということが嬉しかった。

秋川雅史さんというテノール歌手の浪々とした歌でした。それが印象深かったのか、また、歌が話題にもなっていて他でも聞く機会があったのか、一ヶ月くらい前から、家で子供達がこの歌をよく歌うようになりました。面白がっているかのようにテノール歌手の真似をして、浪々と冗談交じりのように繰り返し歌っています。まずお姉ちゃんが歌い始め、次第に弟も歌詞を覚えました。

今朝、ゴル吉は学校へ行けませんでした。時間割が分らないからとか、疲れたから、とか言って、元気なくせに行こうとしません。いつも一緒に行く子達に時間割を聞き、通勤途中の担任の先生をつかまえて事情を話して行くように電話をしてもらっても、ダメでした。押入れに入ったり、マンガの本をめくったりする合間に、「千の風になって」を繰り返し歌っているのです。

この子にこの歌の意味がどれだけ分かっているのだろう、といぶかって、聞いてみました。

「多分違うと思うけど、死んでも心配しないでっていうこと?」
「そうだよ。」

歌の意味も、死ということの意味も、分からないままに、何かそこに自分が克服しなければならないものがあると無意識に感じたから、繰り返しその回りを回っているらしい。止まっていて踏み出せなくなって、学校へ行くという気力が起きなくなったらしいのです。

そう思った時に、電話がなりました。担任の先生からです。2時間目が終った休み時間に、上手にゴル吉の気力を持ち上げて下さいました。幸い、3時間目から学校へ行けました。

連れて行って先生にお会いした時、土曜日からお父さんが入院したということをお話しました。ナイーブな子だから不安定になっているのでしょう、と言って下さいました。よくゴル吉を理解して下さって、ありがたいです。

無事、後の授業を受けて、さきほど帰ってきました。そして、また、「千の風になって」を歌っています。そして、かあちゃんに見せたいものがある、木の上にとっても気持のいい寝床があるんだ、というのです。

近所の大規模集合住宅の広場の隅に、防災倉庫があります。その裏に、木が植えてあります。ひとかかえほどの幹に抱きついて、あちこちのわずかな瘤に手をかけ、両足で体を持ち上げ、枝のあるところまで登ってしまいました。このあたりの普通の子には登れないでしょう。ゴル吉は棒のぼりもクラスで一番早くてっぺんまで登れるのです。あぁ、あのエネルギーはやっぱり止められない、と思いましたが、それで終わりではありませんでした。

それから防災倉庫の屋根に乗り移り、屋根の上を歩き始めました。「そこは乗っちゃいけないんだよ。」「でもここからじゃないと行けないんだ。」と言って、防災倉庫の端まで来ると、その横の二かかえほどの大きな木の枝に乗り移りました。木の幹と防災倉庫は1.2メートルくらい離れています。枝は大きいですが屋根からはけっこう離れています。よくあんなところに移れるもんです。それから、あちこちの枝を確かめながら、どこだっけ、ここだ、と言って、気持良さそうに枝に寝そべりました。そしてまた、「千の風になって」を歌い始めました。

しばらくして防災倉庫の屋根の端にぶら下がって下りて来ました。私は叱るべきだったでしょうか。倉庫の屋根は傷みます。管理人さんに聞けば禁止されるでしょう。でも、叱る気になれませんでした。

千の風を感じながら、疲れた息子はそこで癒されていましたから。

明日は朝から学校へ行けますように。息子が学校へ行った後に私はお父さんを訪ねました。大分元気そうだった、と息子に伝えました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 私が『千の―』を知ったのは3、4年ぐらい前に、たぶん新聞の記事でみたのが最初だったと思います。
 その少し前に長女の同級生の男の子が亡くなり、私は残されたお母さんや妹さんのことを考えていました。この詩のことをたしか話したと思います。
 死について考えを深めると、きっと宗派や国籍に関わらずこういうところに行き着くんだな、と思います。

オルゴールぴょん さんのコメント...

奈津子さん、こんばんは。
古いものなんですね。紅白で聞くまで知りませんでした。

昔の(癌になる前の)私だったら、風や光になるというのは文学的なフィクションであって本当になるわけではない、と考えたかもしれません。多分若い時にはそうだったし、少なくとも、「なるかどうかなんて分りはしない」というところまででそれ以上は保留していたと思います。死んだことはないんだものね。

でも、本当にそうなると思うこともできますね。親になった立場ではそう考えたいし、柳澤桂子さんやラズロー博士みたいな科学者に後押しされると、そう思えてくるのね。サイモントン療法でもそう言われました。

色々な思いで歌う人、聞く人があるのでしょうが、この歌、紅白依頼、随分と流行っているらしいです。今の日本に必要とされる歌だったんでしょう。

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