火曜日, 5月 03, 2011

ノーモア フクシマ

福島第一原発は地震では大丈夫だった、津波の被害で大事故になっただけだ、とも言われていますが、地震の
直後のデータは公開されておらず(収集できなかったのか隠しているのか?)、津波の前には大丈夫だったという証拠はないそうです。

原発が推進され始めの頃、公聴会などがあったようですが、物理学者の先生が発言しようとしたら「ダメダメ、そんなこと言っちゃダメですよ、」と制止された、と言っていたということを以前書きました。また、原発がコストが安いって本当なのか、という疑問への答えは示されないままだ、という当時の印象は、結局今でも正しいようです。炉の安全だけでなく、放射性廃棄物を数100年単位以上の期間安全に保てる見通しはないのです。

つまり、推進した人たちは、福島第一原発みたいな事故がいずれ起こる可能性があるということは分かっていて、推進していたと言われても、反論できないでしょ。

当時の私が学生だった頃、なるほどな~、と思って高木仁三郎先生の岩波新書を読んだのを覚えていますが、高木先生はその後も多くの反原発の立場の本を書いておられるようです。

先日新聞に高木先生の著書が引用してあって、なあんだ、結局問題はあの当時のままなんだ、と思いました。

そうなると問題は、そう分かっていて、なぜ原発を推進するのか、だよなぁ。

ダメダメそんなこと言っちゃダメですよ、って言って、推進派の路線を既定路線にしちゃったのです。多分、目先の経済的な理由を優先したい人たちがいたんだね。

広島と長崎に原爆が落ちて、日本は唯一の被爆国であるのに、何で自分たちでまた原発事故が起きるようなものを作るんだろう。

原爆の開発は第2次世界大戦中で、原爆には相対性理論のE=mC2という原理が使われているのです。アインシュタインは、日本の軍事行動を挫く必要があると考えて一旦は協力したそうです。けれど、後になって原爆の開発は間違いであった、と後悔して、核兵器廃絶を訴えたそうです(ラッセル=アインシュタイン宣言)。

大きな力を手にできると思うと、使ってしまいたい誘惑にかられるのは大科学者も一緒だったんだよね。でもそれを使うということの意味が分かって、修正ができたのです。

物理学者の伏見康司先生は、原子力の平和利用を推進されて、2008年に亡くなったそうです。敗戦国である日本が、原爆に負けずにかえって原子力を飼いならしたい、とか、思われたんでしょうかね。戦争にもアインシュタインにも負けずに日本を立て直そうと思われたのかもしれません。

伏見先生が亡くなったのは99歳(生れ年と引き算で)なので、福島第1原発事故についてのご意見を伺うのは無理な夢です。が、もし生きておられたら、アインシュタインと同じように、この壮大な実験の結果をご覧になって、原子力発電所の廃絶を訴えられたのではないでしょうか。

伏見先生の後に続く指導的なお立場の、ノーベル賞で有名な小柴昌俊先生とか、小林誠先生とか、益川敏英先生とか、南部陽一郎先生とか、元文部科学大臣の有馬朗人先生とか、どなたか、指導的な発言をして下さらないかなぁ。

今のままじゃ日本の物理学者の面目は丸つぶれでは。

アインシュタインを超えてください。

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